「う〜〜〜っ」
「もうちょっと!」
台所からソフィーのうなり声が聞こえて来る。
苦しいとかそういうのではなく、気合いを入れているというか、そういうような感じの声。
―――そしてそれを応援するようなマルクルの声。
一体何をやってるんだろう?
僕は部屋から出て台所のほうを覗き込んだ。
「…ソフィー?」
「あ、ハウル」
「ハウルさん」
ソフィーは必死に背伸びをし、手を伸ばして何かをとろうとしているところだった。
その脇にマルクルがいる。
「……何してるの?」
「何って……ほら」
と指さした方向には棚。
大きな鍋がその上にのっかっていた。
「今日はシチューを作ろうと思って大きい鍋を使おうとしたんだけど……」
届くと思っていた棚は後一歩という処で届かず、変な声を出していたらしい。
「僕を呼んでくれれば取ってあげるのに」
僕はそういうとソフィーを脇へとどかし、腕をのばしてその鍋を取った。
「はい、ソフィー」
「ありがとう」
その鍋を受け取ってソフィーがにっこりと微笑む。
「これで晩ご飯が作れるわ」
「美味しいの、期待してるね」
るんるん気分で台所へと去っていくソフィーを見送って、僕はふとマルクルに視線をやった。
「マルクル?」
マルクルはなんだか不満そうな顔で僕を見ていた。
「ハウルさんくらい背があればいいのにな……」
ああ、そういうことか。
マルクルが何を羨ましがっているのかに気がついて、僕はそっと彼の頭をなでた。
「僕くらいの年になればマルクルだって大きくなるよ」
「……今大きくなりたいです」
うーん……なんか、すごく落ち込んでしまってるようだ。
その理由がいまいち分からず首をひねっていると、カルシファーが近寄ってきた。
「おまえが背伸びもせずにあっさりと鍋を取っちゃったからだろ」
耳打ちしてくるカルシファーに僕はため息をついた。
「だって、このくらいの高さなら普通に届くじゃないか……」
「大人のやることに憧れる時期なんだよ。おまえにだってそういう時期があっただろ?」
「うーん……」
そう言われればそんな時もあったような気もするけど。
「じゃ、一時的にでも大人になってみるかい?」
何の気なしに言った言葉に、マルクルが表情を輝かせた。
―――ま、まずいこと言っちゃったかな?
「是非! お願いします、師匠!!」
「う、うん……」
手をぎゅっと握りしめぶんぶんと振り回すマルクルに押され、僕は頷くしかできなかった。
マルクルにはリビングで待つように言い置いてから、僕は部屋に戻った。
「おい、安請け合いしちゃっていいのか? 年齢を変える魔法なんて存在したっけ?」
カルシファーが勝手に入ってきて、忙しく動き回る僕の周りを飛び回る。
「年齢を変えるなんて言う大がかりな魔法は、すぐには無理だよ」
「じゃ、どうすんだ」
「体の年齢を変えてしまうのは無理だけど、一時的に容姿を変えることは出来る」
僕の言葉でカルシファーは何かを思いついたらしい。
「……変身の魔法を使うってことか」
「そういうこと。もちろん、マルクルにその魔法を使うのは無理だから、薬で代用しなきゃいけないけどね」
言いつつ僕は材料を用意し始めた。
「15年後くらいを想定すればいいかな? そうしたらマルクルは20歳過ぎくらいになるはずだし」
「……そんくらいでいいんじゃないか?」
何だろう、カルシファー……突然適当な返事を返すようになって。
「なに? 何かあるのか?」
「いーや……何でも」
今はカルシファーにかまっている暇はない。
疑問に思いつつも僕は薬を作る準備にとりかかった。
「出来た」
変身の魔法自体はそんなに難しいものじゃない。
僕はできあがった薬をコップへと移し替えた。
カルシファーは途中で興味を失ったらしく、外へと出て行ってしまった。
―――僕よりも強い魔力を持ってるんだから手伝ってくれてもいいようなものだけど。
そんなことを思いつつも僕は部屋を出て、リビングへと歩いていった。
「あ、ハウルさん! もう出来たんですか!?」
言われた通りおとなしく待っていたマルクルが、僕の姿を見て飛びついてきた。
「これを飲めば望み通りになるよ。ただし効力は一日くらいしか続かない。それでいいね?」
「はい! ありがとうございます!!」
はい、とマルクルにコップを渡すと、マルクルはじーっとそれを見つめた。
「……す、凄い臭いがしますね……」
「まぁ……味を考慮して作ってはいないからね」
でも「大人になりたい」という気持ちの方が勝ったのか、マルクルは鼻をつまむと一気にその薬を飲み干した。
「お待たせ〜〜ご飯が出来たわよ」
と、リビングの方へとやってきたソフィーがぎょっとして立ち止まる。
「ソフィー!」
僕の隣に男性を見て、ソフィーは固まってしまった。
「びっくりした? ソフィー」
ソフィーはその言葉遣いで目の前の男性が誰なのか分かったらしい。
「……マルクル?」
「そう!」
マルクルは茶色の髪はそのままで、顔立ちはかなり凛々しくなり背も伸びて大人の男に成長している。
体つきも僕よりしっかりしているから、女性の目から見たら「かっこいい」という部類に入るんだろうな。
―――僕の服がやや小さく、彼の方が僕よりも背が高くなっていたことにはちょっと……いや、かなり不満。
ソフィーは僕のほうへと視線を向けた。
「ハウルがやったのね?」
「大人になりたいって言うから、一時的に大人になる魔法をかけたんだよ」
「そうなの……」
マルクルは驚いた様子のソフィーをにこにこと微笑んでいる。
「ご飯出来たんでしょ? 早く食べようよ!」
―――容姿だけ大人になる魔法だから、中身は小さいマルクルのまま、なんだよね。
だから微笑むと凛々しい顔つきが崩れて人なつっこいものになる。
「そ、そうね……食べましょうか」
戸惑いを隠せないソフィーと共にマルクルが歩いていく。
「ハウル、早くいらっしゃい」
「う、うん……」
―――早くもマルクルを大きくしてしまったことを僕は後悔していた。
ご飯を食べた後、マルクルは甲斐甲斐しく片づけの手伝いをしていた。
「はい、ここの皿も片づけておくよ」
いつもなら届かないはずの食器棚にも簡単に手が届くのが嬉しいのか、ソフィーが洗った皿を次々としまい込んでいく。
「ありがとうマルクル、助かるわ」
「ずっと大きいままでいようかな僕」
………おもしろくないっ!
「そんなに不満なら大きくしなければいいのにねぇ」
「やってる時は気がつかないんだよ……ハウルの中身は子供のまんまだからさ」
ばーちゃんとカルシファーがそんな話をしているのがまた腹が立つ。
二人をぎらっと睨み付けるとばーちゃんとカルシファーは口をつぐんだ。
僕が不満そうな顔をしているのにソフィーはずっと気がついていたんだろう。
片づけが終わった後、ソフィーはソファに座っている僕の前に湯気の出ているコップを差し出した。
「はい、どうぞ」
「………」
無理矢理僕の手にコップを握らせると、ソフィーは自分用のコップをテーブルに置いて近くの椅子に座った。
「マルクルは?」
「お鍋を片づけてくれてるの。大きくなったことがとっても嬉しいみたいね」
「………」
口がへの字になるのを隠そうと、僕はコップの中身を一口飲んだ。
「ねぇハウル?」
「なに」
「あのマルクルの姿って、未来の彼の姿なの?」
―――一応、15年後くらいを想定して姿が変わるように魔法をかけたけども。
「……まぁね」
「前にもあなた、王様に変身したことあったわね……」
「したけど?」
「……改めて思うけど、あなたって本当に凄い魔法使いなのね」
そんなにしみじみと言われると、どうもなぁ。
ソフィーって僕のことをどう思ってるんだろう?
「ソフィー……僕の実力信じてなかったの…?」
「そういう訳じゃないけど」
ソフィーはくすくすと笑い声をあげた。
「本当に力と精神のバランスがとれてないなぁって思って。あなた、自分でマルクルを大きくしておいて拗ねてるでしょ?」
僕が返事を返そうとした時。
「ソフィー!!」
向こうから声が聞こえた。
―――そして。
「きゃ…!」
椅子に座ったソフィーの後ろからマルクルが抱きついてくる。
「び、びっくりするじゃないの、マルクル……」
マルクルはぎゅーっとソフィーを抱きしめ続けている。
「今のあなたは大人の男性なんだから、いつもの勢いで飛びつかれたらつぶれちゃうわ」
「ハウルさんがいっつもソフィーを抱きしめてる理由が分かった」
「え?」
マルクルはソフィーの髪に顔を埋めてすりすりと頬をすり寄せている。
「凄く気持ちいい。やわらかくってあったかくって、ずっとこうしていたい」
「……………」
ソフィーが慌てた様子でマルクルを見上げた。
「マ、マルクル? 別に小さい姿の時だっていっつも抱きしめてあげてるじゃない」
―――僕の見てないところでそんなことしてたのか、この二人。
「ソフィーに抱きしめられるのもいいけど、こうする方が安心するんだ」
「そ、そう……。って納得してる場合じゃなくって! あ、あのねマルクル。こういうことを人前でするのは……」
「だってハウルさんは僕らの前でもするじゃない?」
言うが早いかマルクルは身を乗り出して、ちゅ、とソフィーの頬に口づけをした。
「〜〜〜〜!?」
「いつもはソフィーからだから、今日は僕からするよ?」
僕はすっくと立ち上がった。
「ハ、ハウルっ! マルクルに当たるのだけは駄目〜〜〜!! 中身はまだ子供のまんまなんだからっ!」
ソフィーがマルクルを押しのけてはじかれたように立ち上がり、慌てて僕を押さえ込む。
「まぁまぁハウル、落ち着けって」
カルシファーまでもが飛んできて僕を宥めるように声をかける。
二人がかりで宥められて渋々溜飲を下げた―――のだが。
「おまえがやったことなんだから今日一日は我慢だぞ」
カルシファーが耳うちしてきて、僕はうっと詰まった。
マルクルは不思議そうに僕らのやりとりを見つめている。
「マルクルは賢いけどこういう方面の知識は全くないんだ、子供が母親に懐くのと同じような感覚で懐いてるんだからな」
「わ…分かってるよっ」
カルシファーにそこまで言われなくったって!
でも腹がたつんだから仕方ないだろう!!
「……寝る」
「あ、ハウル……」
僕は身を翻して階段を上りだした。
「ハウル」
ソフィーが声をかけてくる、が。
「お休みっ!」
僕はそれだけいうと部屋の扉を荒々しく閉じた。
次の日。
あの薬は半日程度で効き目が切れるようになっていたから、マルクルは元の姿に戻っていた。
「おはようございます、ハウルさん!」
いつもの服にがま口を大切そうに抱えたマルクルが、僕の姿を見て駆け寄ってくる。
「……ん、おはよう…」
小さい体のマルクルは、僕の目から見ても可愛い子供だ。
―――でも15年くらいたてばマルクルはあんな風になるってこと、なんだよな……。
当然僕らも年はとってる訳だけども……なんだかおもしろくない。
「おはよう、ハウル」
ソフィーがテーブルの上にベーコンエッグとパンを置く。
「これでみんなそろったわね。頂きましょうか」
「はーい!」
皆次々と席についていく。
―――いつもと変わらない風景。
なんだけど。
(―――うかうかしてられないな、これは……)
身近なところにいたライバルに僕は新たな決意を固めたのだった。
その決意ってのが何なのかは、秘密。
END
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