それは偶然だった。
荒地の魔女が放ったゴム人間達の追求を避けようと裏路地に入った時に聞こえて来た声。
「結構です、用事がありますので……」
女の子が兵士に絡まれている。
麦わら帽子をかぶり地味な色のワンピースを着た女の子だ。
怯えているのが後ろ姿からも分かる。
普通なら放っておくところだが何故か気になった。
その女の子の声に聞き覚えがあるような気がしたのだ。
「君、幾つ? この街の子?」
「通してくださいっ…!」
殆ど悲鳴のような声で後ずさる女の子の処に、僕は舞い降りていた。
「やぁ、ごめんごめん。探したよ」
女の子の肩を抱き、引き寄せる。
びくっと彼女が体をすくめるのが分かったが構わず引き寄せて、僕は兵士たちにすっと魔法をかけた。
「君たち、ちょっと散歩してきてくれないか」
自分の意志と反して歩いていく兵士たちを少女が不思議そうに見送るのがおかしくて、僕は微笑みかけた。
「許してあげなさい。気はいい連中です」
―――僕の顔をじっと見つめる女の子の瞳に、見覚えがある。
本当ならここで彼女を解放する処なのだが、何故かこの少女ともっといたいという気分になっていた。
「どちらへ? 私が送って差し上げましょう」
人見知りな性格なのか、少女は体を強張らせて逃れようとする。
「いえ…チェザーリの店へ行くだけですから…」
背後から気配が近づいている。
しまった……ゴム人間たちに距離を詰められたか。
「知らん顔して。追われてるんだ」
声を潜めて彼女の腕を自分の腕に絡ませる。
「歩いて」
促すと彼女は僕の言う通りに歩きだした。
ちらりと視線を向けると、少女は緊張した面持ちでただ前だけを見て歩いている。
僕の腕に絡む彼女の腕は思った以上に華奢で、とてもか弱い。
―――後ろでゴム人間たちが実体化したのに気がついているだろうに、体をすくませる事無く僕の歩調に合わせている。
人を恐れるのにこういう未知なるものは恐れない彼女が不思議でならない。
一体どういう女の子なんだろう?
「ごめん、巻き込んじゃったね」
―――と、前からもゴム人間たちが実体化して襲いかかってきた。
「あ…!」
「こっち」
ゴム人間たちを避け、明るい路地の方へと入る。
それでもゴム人間たちは懲りずに後を追ってくる。
もうちょっとで大通りに出る―――という処で、ゴム人間達が前方で実体化した。
「ああ……!」
「このまま……!!」
少女の腰に腕を回してそのまま宙へと舞い上がる。
とん…と宙を蹴って僕は彼女を導くように引っ張り上げた。
その時に少女にも魔法をかけたのだが、彼女が分かる筈もない。
「あ…あ……ああ…」
「足を出して、歩き続けて」
言われるままに少女が歩き出す。
勇気づけるように彼女の手を強く握り、僕は優しくリードするように歩き続けた。
「そう、怖がらないで」
少しコツを掴んだのか、少女は確実に一歩ずつ足を踏み出し始めた。
―――初めての筈なのに臆することなく足を踏み出す少女に、僕は少なからず驚いていた。
「上手だ」
それまで強張った表情をしていた少女が、ふっと笑みを浮かべる。
やっぱり見たことがある―――一体何処でだろう?
この大通りを越えればチェザーリの店。
そのベランダに少女を下ろして、僕はそっと手を放した。
ベランダから僕を見上げる彼女の表情は優しい。
ああ――こんな表情も出来るんだ。
「僕は奴らを引きつける。あなたはちょっと待ってから出なさい」
「はい」
少女の微笑みにつられるように、僕も微笑んでいた。
―――この少女の微笑みをもっと見ていたかった。
けどすぐ近くまでゴム人間たちが迫ってきている。
このままここにいれば彼女まで巻き込まれてしまうだろう。
「いい子だ」
僕はそのままベランダから舞い降りた。
「あ……!?」
彼女の目からは僕の姿が消えてしまったように見えたことだろう。
―――少女の名前、聞き忘れてたな。
それだけが心残りだった。
ゴム人間たちの追求を逃れ、身を隠し―――ようやく落ち着けたのは夜も更けてからだった。
朝になって疲れ切って戻ってきた僕を出迎えたのは―――知らない老婆。
その老婆はカルシファーの上にフライパンを置いてちょうど料理をしている処だった。
「……カルシファー。良く言うことを聞いてるね…」
僕の言う事しか聞かない(それも僕が彼と契約を結んでいるから、仕方なくカルシファーは命令を聞いているにすぎない)はずのカルシファーを従えるなんて。
――と老婆に視線を向けると。
(―――え…!?)
あの、裏路地で出会った少女の姿がだぶって見えた。
そうか―――僕と関わったせいで、彼女は呪いをかけられたのか。
「あんた…誰?」
そう。あの時に僕は名前を聞き忘れていた。
もう一度会いたいと思っていたあの少女を目の前にして、胸が高鳴るのを押さえられない。
「あたしゃソフィー婆さんだよ。この城の新しい掃除婦さ」
ソフィー。
―――あの時の、あの場所で見た、女性。
あの女性はソフィーと名乗っていた。
―――未来で、待ってて……!!
少女が最後に叫んだ言葉はまだ脳裏に焼き付いている。
ようやく出会えたんだ。
姿ももう覚えていない、遠い過去からずっと想い続けていた人。
これから時間をかけて、彼女の事を知っていけばいい。
今まで感じていた空虚な気持ちが取り払われて、胸が高鳴ってくるのが分かる。
これから何かが変わる。
そんな予感がしていた。
END
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