真っ暗な部屋のなかで、かしゃん、とドアの取っ手が回る音がした。
扉の色が黒に変わり、続いてハウルが扉を開けて入ってくる。
「……遅かったな」
薪の上でうたた寝をしていたカルシファーが身を起こす。
「ちょっと長引いた。でも片を付けてきたから……」
肩から引っかけていた上着を椅子の背にかけ、ハウルはまっすぐにとある部屋の方へと向かった。
階段の前にある、ソフィーの部屋。
起こさないようにとそうっと扉を開けたハウルは、中を覗き込んで息を飲んだ。
「カルシファー。ソフィーは?」
中で眠っている筈のソフィーの姿がない。
いつもならきちんと閉じられている筈のカーテンが全開になっていて、そこから外の灯り―――今日は満月で外は眩しいくらいの光に満ちていた―――が部屋のなかを照らしている。
何処にもソフィーの姿がない。
「ソフィーは何処にいった?」
足早にカルシファーの処に戻り、もう一度問いかける。
「眠れないから夜風に当たってくるって外に出てったぜ」
「何処に」
苛々した様子で矢継ぎ早に問いかけるハウルを見上げて、カルシファーはちょっと考えてから口を開いた。
「あれは―――城に通じる扉だな。湖の辺りに行ったんじゃないか?」
それだけ聞くと、ハウルは身を翻して扉へと近づいた。
取っ手を回し城へと繋げると、扉を開ける。
「―――っ…」
扉を開けた瞬間青い光が目の前に広がって、ハウルは目を庇うように手をかざした。
―――目の前に広がるのは、湖。
その上に不気味なくらい大きい月があって、山々を照らしている。
世界の全てが青い光に染まっていた。
「………」
導かれるように足を進めていく。
少し歩いたところでハウルははっと足を止めた。
「ソフィー……」
湖の中にソフィーがいた。
彼女は水浴びをしているようだった。
誰もいないと思っている気安さのせいか、何もまとわない体を隠すことなく月明かりの中立っている。
ぱしゃん…と水が跳ねる音がした。
星の色に染まった髪が、月明かりのなかできらめいている。
月の光を体いっぱいに浴びようとしているのか、しなやかな肢体を伸ばす。
その動きで波紋が生まれ、ソフィーの周りで光が踊る。
「―――…っ…」
時折髪をかきあげる仕草が何時になく艶やかで、ハウルはその場から動けなかった。
「――きゃっ…ハウル!?」
湖からあがろうとしていたソフィーが悲鳴をあげて首まで沈み込む。
その声でハウルははっと我に返った。
「い、いつから……そこにいたのっ……!?」
「え……」
要領を得ないハウルの態度に、ソフィーは声をあげた。
「向こうを向いて! 出られないじゃないっ…!」
「わ、分かった……」
ソフィーの悲鳴のような声にハウルは慌てて背を向けた。
―――背後で、水の滴る音がする。
視界が遮られている分、どうしても耳がそちらの方へと集中してしまうのを止められない。
「――まだ振り向いちゃダメ!」
ハウルが聞き耳をたてているのに気がついたのか、ソフィーが焦った声を出す。
「見てないって……」
かなり焦っているのか、ソフィーは服を身につけるのに四苦八苦しているようだ。
暫くはじっと背を向けていたハウルだったが―――。
「……もういい?」
「まだダメ! ドロワーズをつけてないからっ!」
―――上を着たのならドロワーズくらいいいだろう、なんていう理由を自分の中で勝手につけて、ハウルはそのまま振り返った。
「きゃ…ま、まだ振り返っていいって言ってないのに!!」
ようやくドロワーズを身に付け終わってスカートをたくしあげていたソフィーが、ざっとスカートを押さえつけて真っ赤になっていた。
髪の毛からはまだ雫が落ち、足は素足でブーツも履いていない。
相当焦っていた割には(だからこそかもしれないが)全然着替えが進んでいない。
「いいじゃない、部屋に帰ったらまた着替えるんだから」
「良くないわよ……こんなみっともない姿で男性の前に立てる訳ないじゃないっ」
ぶつぶつと言い訳めいたことを呟くソフィーの前に立つ―――と。
「―――……見た?」
恥ずかしさからか涙目になったソフィーが、小さい声で尋ねてきた。
何を見たのか―――という事に思い当たって、ハウルは笑みを浮かべた。
「見た」
「〜〜〜〜!!」
羞恥でうずくまりそうになるソフィーの腰に腕を回して支え、逃さないと言わんばかりに彼女の顎に指を添えて自分の方へと向かせる。
「すごく綺麗だった。……まるで女神のようで、その場から動けなかった……」
「……口が上手いものね、ハウルは……」
「本当だよ。その時の僕の気持ちを、どうやってソフィーに伝えたらいいのか分からないくらい……凄く、どきどきしてる」
「ハ……」
そのまま唇を重ね、ソフィーの言葉を封じてしまう。
先ほどまで水を浴びていたせいか唇が冷たい。
自分の体温を伝えたくてハウルはよりいっそう深く唇を重ね合わせた。
唇を離し、いつの間にか閉じていた目を開けると、ソフィーが潤んだ瞳で自分を見つめていた。
「――お城に戻りましょう。ハウルまで冷えてしまうわ…」
確かにさっきよりも風が出てきている。
月も傾き、夜更けになりつつある事を示していた。
―――わき上がってくる欲求を抑え込み、ハウルは頷いた。
「うん、戻ろう」
―――今まで見たことのない彼女を見て、心が騒いでいた。
もっと触れたい。
星の色をした髪に触れて、その体の全てを知りたい。
はっきりとわき上がってきた欲望とも言える想いを自覚して、ハウルは胸を押さえた。
だけど。
「戻ろ、ハウル!」
にこにこと微笑んでいる彼女を失いたくない。
こんな欲望をぶつけてしまったら、繊細な彼女を壊してしまうだろう。
それどころか彼女の信頼までも失い―――永遠に彼女を手に入れることは出来なくなる。
そんな事にでもなったら―――。
「―――うん」
ハウルは無理矢理笑みを作ると、ソフィーの後を追うように歩き出した。
いつまで保つだろう。
決して遠くない未来に、闇に呑み込まれてしまうような―――そんな予感がした。
END
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