「本当だよ、桜っていう花があるんだよ!」
マルクルがカルシファーと何か言い合っている。
「花なんてどれも同じだろ〜」
「この前図鑑で見たんだよ、すっごく綺麗なんだから!」
「一体何を言い争ってるの」
ソフィーが間に割って入ったことで、二人の言い争いはようやく止まった。
「桜っていう花について話をしてたんだ」
「マルクルが見ようってうるさいんだよ〜」
「ほら!」
マルクルが早速どこからか図鑑を持ち出して来てソフィーへと差し出した。
「これ」
マルクルが指さしたところにはイラストが載っていて、モノトーンながらに美しい花である事は容易に想像出来る。
「綺麗ね……」
おばあさんもやって来て横から覗き込む。
「これが桜かい。綺麗だねぇ〜」
「本物はもっと綺麗だよ」
その上からハウルが覗き込んで来た。
「ハウルは見たことあるの?」
「あるよ」
マルクルとカルシファーが「ええ〜」とか「へぇ〜」とか声をあげる。
「見てみたいなぁ」
「そうね。あたしも見たことないもの」
「なら、みんなで見に行こうか」
ハウルの言葉に皆が歓声をあげたのは言うまでもない。
「でもどうやって行くんだよ。フライングカヤックでも使うか? まさかまた城の引っ越し……?」
「まさか」
ハウルはカルシファーに近づくとひそひそと耳打ちをした。
「え゛」
「頼んだよ、カルシファー」
「またおいらかよ……」
カルシファーがぼやくのを無視して、ハウルは皆に向き直った。
「さ、明日には着くよ。楽しみにしてて」
「はーい!」
マルクルがヒンと共に走っていき、おばあさんがいつもの場所へと座ったのを見計らってから、ソフィーはカルシファーへと近づいた。
「……ハウルに何を言われたの?」
カルシファーはむすっとした様子で薪を口のなかに放り込んだ。
「城を300キロ動かしてくれってさ……こういう役目はいっつもおいらだ!」
動く城を動かせるのはカルシファーだけだから仕方ないのだが、折角自由になったのを自分の意志で戻って来たカルシファーとしては、納得いかないものがあるのだろう。
「ごめんね、カルシファー。城を動かせるのはあなただけなの―――お願い」
暖炉に顔を近づけて目を閉じると、カルシファーがちゅっとソフィーの唇にキスをしてくる。
「……ソフィーがそう言うならいいや!」
すっかりカルシファーは機嫌を直して元気よく動き出している。
カルシファーが機嫌良く動き出したのを見計らって立ち上がったソフィーは、背後にハウルが立っているのに気がついてぎょっと後ずさった。
「……は、ハウル?」
ハウルはソフィーの腕を引っ張って引き寄せると、軽く唇を触れあわせて来た。
「!!」
「……カルシファーと仲良いのはいいけど、それ以上仲良くするのは駄目だからね」
ソフィーは赤くなった頬を押さえて、ハウルを睨み付けた。
「……それ以上仲良くしてるのはハウルだけよっ」
「それならよろしい」
途端ににっこりと微笑みを浮かべて離れていくハウルを、ソフィーははぁと溜息をついた。
(全く……手間がかかるったらありゃしないわね……)
さて、次の日。
「―――みんな、起きろ!!」
ハウルの声でソフィーは飛び起きた。
辺りを見回せばまだ夜。
月は地平線の彼方に沈んでしまったようだが、太陽があがるにはまだ時間がある。
「ほら、着いたよ! 皆桜を見るんだろう!?」
「……ハウルさん、まだ夜明け前ですよ……」
マルクルが目を擦りながら降りてくる。
ソフィーは手早く着替えると部屋を出た。
「おばあちゃん、さ起きて」
「もう朝かい?」
おばあさんの着替えを済ませている間、ハウルはカルシファーをたたき起こしていた。
「君も見に行くんだよ、カルシファー」
「おいらは疲れたよぉ……」
「後で自慢したら怒るんだろう? なら辛くてもついておいで」
「マルクル、着替えた?」
「うん、着替えたよ」
すっかりいつもの服に着替えあのがま口も肩からかけたマルクルが、ヒンを従えて立っている。
「用意出来たわよ、ハウル」
「よし!」
ハウルが扉を開ける。
「ここが僕が見つけた桜だよ。―――どうぞ」
ハウルがあけた扉の向こうには――――。
「うわあ……」
荒地の岩肌の上に、一本の桜が立っている。
満開からやや散りかけの頃なのか、花びらがはらはらと散っていた。
―――もうすぐ夜明けの、濃い闇のなかでその桜は浮かび上がって見えた。
「これ、ハウルさんの魔法ですか?」
「いいや、僕は全然手を加えてないんだよ。―――自然のままの姿だ」
自然のままの姿でこんなに綺麗なものがあるなんて。
ソフィーはただただ桜を見上げていた。
その肩あたりで、カルシファーもあんぐりと口をあけて桜を見上げている。
「……ソフィーもカルシファーも何て顔してるんだ」
ハウルが笑いながら声をかけてくる。
「凄く……綺麗」
「うん……」
ハウルも闇のなかに浮かび上がる桜を見上げた。
「こういう凄いものを見るたびに、僕は自分の無力さを思い知らされるよ」
「へぇ、ハウルでもそう思うことがあるんだな」
カルシファーが軽口を叩くと、ハウルは苦笑を漏らした。
「そりゃそうさ。―――まだまだ、僕は未熟だって思うよ……」
―――まだ、隣にいる愛する人を守れるだけの力もない。
何物からも、彼女を守れる力が欲しい。
「……ハウル?」
ハウルがソフィーの手をぎゅっと握りしめてくる。
「――何でもない……」
ハウルとソフィーは手を握り合って、桜を見つめ続けていた。
―――願うのは、愛する人の幸せ。
END
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