或る日の出来事
「ハウルー?」 轟音が続く城のなかでソフィーの声が響く。 「ハウル、何処?」 おばあさん―――元荒地の魔女だ―――がカルシファーの前でこっくりこっくり船をこいでいるその椅子の下で、ヒンがその声に反応してぴくりと耳をあげた。 やがて皆が集うリビングに続く扉からソフィーが顔を出した。 なにやら手には布を持っている。 「……ここにもいない」 おばあさんがすーすーと寝息をたてているのを確認して、ソフィーはヒンに視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。 「ごめんね、うるさくして。ハウル、知らない?」 そう言ってからソフィーは手に持っていた布をヒンに見せた。 「新しい服を作るから寸法を測らせて、って言っておいたのに……何処にもいないのよ」 それからソフィーはカルシファーへと向き直った。 「カルシファーは知らない?」 途端に薪の間からぼわぁっと火が燃え上がり、その中にカルシファーの顔が浮かび上がる。 「………さぁなぁ」 不自然な間の後、カルシファーはそっぽを向いてそう答えた。 「なぁに、その間。気になるわね」 「何でもないって」 元々単純な性格のカルシファーは、隠し事が出来ないタイプである。 今のこの態度も、恐らくハウルからきつく口止めされているが故のものだろう。 「何で隠すの? ただ私は身体の寸法を採らせて貰いたいだけなのに」 「あ、いや……」 どうしてたかだかこれくらいの事で隠し事をされなければならないのか―――そう考えると段々悲しくなってきて、ソフィーはしょんぼりと肩を落とす。 カルシファーは案の定慌てたように炎の手をぱたぱたと動かして声をかけてきた。 「も、もうすぐハウルが帰ってくるから! そしたら……」 「帰ってくる?」 ―――という事はいつの間にか出かけていたということだ。 恋人同士だと言っても基本的にはお互い自由に過ごそう、というのが二人の間の暗黙の了解。 だが―――ソフィーは昼ご飯の時にハウルに念押しをしておいたのだ。 「ハウル、お昼から出かけるの?」 「ん? まぁね」 「だったらその前に身体の寸法を採らせて貰えないかしら。ほら、貴方ずっと同じ服を着たきりでしょ。その服も一度洗濯をしたいし、新しい服を作るわ」 「え……でも」 「幾ら魔法で何でも出来るっていっても、こういうものくらいはちゃんと時間をかけて作ったものの方がいいのよ。寸法さえとれればすぐに仕上げられるから」 「でも、そんなに困ってないし……」 「今困ってなくてもこれから困る可能性があるでしょう」 「そ、それよりもソフィーの服の方が……」 「私は皆の服を作った後に布が余ったら作るわ。私は他にも服を持ってるから大丈夫よ」 「……そうかなぁ」 ハウルは何となく納得いかない、という表情だったが、最後にはソフィーの言葉に頷いた。 筈だったのに。 「……直ぐに終わるから寸法を採ってから出かけてね、って言っておいたのにっ」 「……え、と…」 「分かった。いつ帰るか分からない人を待ってても仕方ないもの。他の用事を先に済ませるわ」 「あの、ソフィー…?」 「有り難う、カルシファー。後のこと、お願いね」 「……おーい」 カルシファーの言葉には全く耳を貸さず、ずかずかと歩いていったかと思うと、ソフィーはばたんと扉を閉じて自分の部屋へと引っ込んでしまった。 ―――これは後でハウルにも怒られるなぁ……。 そのときの事を思うと憂鬱な気分になり、思わず小さくなって薪の下へと隠れてしまうカルシファーであった。 「……フワァ」 一部始終を見ていたヒンが、退屈そうにあくびをした。 「……カルシファーは隠し事が苦手だとは思ってたけど……こうもあっさりとバラすなんて、早すぎないか?」 帰って来たハウルは、案の定カルシファーに嫌みたっぷりの言葉を浴びせかけた。 夕飯時までには、と帰って来たハウルの前には夕食が並べられていて、後は食卓に着きさえすれば直ぐに食べられるようになっている。 だが肝心のソフィーはと言うと、部屋に閉じこもったきり出てこないという。 マルクルが心配して声をかけたが、「今している仕事が一段落したら出るから、先に夕食を済ませておいて」という返事が返ってきただけだった。 「……寸法くらい測らせてやってから出かけりゃいいのによぉ」 ハウルに頼まれたせいでとばっちりを受けてしまったカルシファーは、恨みがましくハウルを睨み付ける。 この城で一番強い影響力を持つのはソフィーであるから、彼女の機嫌を損ねてしまうと自分の食事(=薪である)が危うくなる。 やっとハウルから解放されて自由の身になり、その上でこの場所へと留まっている自分としては、ソフィーに嫌われたくないのが本音だ。 「……彼女は仕事が早いから、僕が帰ってくるまでに服を作り上げてしまいかねない」 もう一つ別の理由もあってソフィーには言わずに出かけたのだが―――それが返ってソフィーを怒らせてしまったようだ。 「ともかく……マルクル、おばあさんと先にご飯を食べておいで。僕はソフィーの処に行ってくる」 「はい、分かりました」 マルクルが歩いていくのを見送って、ハウルはきびすを返して歩き出した。 コンコン 扉をノックする音がしたが、ソフィーはそれを無視してひたすら針を動かしていた。 コンコン それにもめげずに扉はノックの音をたてる。 コンコン 無視を決め込もうとしていたソフィーだったが、3度目のノックがした処で根負けして針を置いた。 「……開いているわ」 ソフィーの声を待っていたかのように扉が開いて、ハウルが姿を見せた。 「ただいま、ソフィー。……黙って出かけて、ごめん」 ソフィーが何に怒っているのかはカルシファーの話から良く分かっていた。 だからまず最初にその事について謝罪の言葉を述べる。 頭を下げて謝りの言葉を口にするハウルに、ソフィーは目を丸くした。 ―――やがて。 「ふふっ……そこまでしなくていいわよ、ハウル。そんなに怒ってる訳じゃないから」 ソフィーは苦笑を漏らして優しく声をかけた。 子供の頃にカルシファーを呑み込み心臓を失っていたハウルは、心が子供のままで止まっている処がある。 大人のような知恵を働かせるのに心は子供のままで、素直に自分の感情を口にしそれを表す事を恥ずかしいと思わない。 それを良く知っているソフィーであるから、ハウルにそこまでされると何時までも怒っている訳にはいかない――という気分になってくる。 ハウルには絶対に言えないが、そういう時は自分が本当に彼の母親になったような心地すらするのだ。 「でも……私に黙ってやらなきゃいけないような事があったの? ……戦争はもう終わったんでしょう? まだ何か…?」 色んな想像をして、ふと恐ろしい考えに行き着いたのかソフィーの表情が強張る。 「違う違う。……実はね、ソフィーを驚かせたくてカルシファーにも口止めをしてたんだ」 そう言うとハウルは手をすっと差し出し、その手を下へと向けた。 「……?」 その途端ハウルの手が光り、何かが宙に出現してどさどさっと床に落ちた。 「え……」 それは布地だった―――今ソフィーが使っているものよりも高価で、きめ細やかな模様があしらわれているもの。 「その布、使って」 「え?」 「どうせ僕の服を作ってくれるなら、ソフィーも同じものを着て欲しい。何でも巷ではペアルック、って言うんだって。一緒の服を着て街を歩こうよ」 「…………」 「国が平和になって流通が良くなったから、色んなものが手に入るようになってるんだ。この布も遙か遠くの国で作られたものだそうだよ」 「…………」 いつまで経ってもソフィーから返事が返らない。 さしものハウルも心配になって、ソフィーを覗き込むように身をかがめた。 「……ソフィー?」 「……わ、私と同じ……もの?」 ソフィーが固まってしまった理由はどうやら布地ではなく、同じ服という処らしい。 「そう。同じようなデザインの服を着ていれば、僕とソフィーとが恋人同士だって事が直ぐに分かるだろう?」 「………」 見る間にソフィーの頬が赤くなる。 「お…同じものでなきゃ、駄目?」 恥ずかしさからか真っ赤になって布地で顔を隠しながら、ソフィーがおずおずと尋ねる。 いつもは元気で明るいソフィーがこういう風に恥じらうのを見るのが、この頃のハウルのお気に入りだった。 だから、ますます恥じらうのを分かっていて元気よく頷く。 「うん。絶対、同じでなきゃ駄目」 「〜〜〜〜……」 ますます赤くなってゆでだこのようになってしまったソフィーの手から布地を取り上げ、ハウルは彼女の腕をそっととった。 そのまま顔を近づけて、軽く唇に自分のそれを触れさせる。 「さ、行こう。マルクル達、きっとご飯を食べずにソフィーが来るのを待っているよ」 「〜〜〜〜ハ、ハウル〜〜!! い、いきなりはよしてって言ってるでしょっ!」 半泣きのようなソフィーの声はさらっと無視し、ハウルはソフィーの腕をとって自分の腕に絡ませた。 「さ、行こう?」 「…………わ、分かったわよ……」 結局のところ、ハウルには勝てない。 そう思い知ったソフィーであった。 END |
突発ハウル小説です。映画を一度見たきりなのでかなり記憶に頼ってる部分が多いですが……ハウルの一人称が「私」だったか「僕」だったかが思い出せず、結局「僕」にしてみました。 心を失っていた(心臓?)ハウルですが、一度ソフィーを「守る者」として認識してからは一途にソフィーの事だけを想っていると思われます、それこそ子供のような純粋さで。なので愛の囁きとか人前で堂々と言っちゃってそう。反対にソフィーはその辺りを恥ずかしがりそうな感じがあります。自分の容姿へのコンプレックスってのは幾ら愛する人から認められたといってもすぐにすぐ無くなってしまうものではありませんし。(特に妹が美しい分小さい頃からずっと感じてたでしょうし) そうしてきっと書いていくうちにハウルもどんどん暴走してくんだろうな……ハクのように(遠い目)。 |