心のままに
「誰からも命令される謂われはない!」 城の扉を開けたとたんに聞こえてきたハウルの声に、ソフィーは動きを止めた。 「だけど……」 どう聞いても機嫌が宜しくないハウルの声とは対照的な、カルシファーの弱々しい声が聞こえてくる。 「二度とそんな事は言うなよ。いいな!?」 荒々しい靴音が階段を登って行き――――続けてばたん! と扉が閉じられる音がした。 どうやら自分の部屋へと戻ったらしい。 音がしなくなったのを確認して、ソフィーはそっとリビングへと続く階段を登った。 ―――カルシファーがしょんぼりとした様子で小さくなっている。 「……どうしたの? 喧嘩してたようだったけど」 「あ、ソフィー……お帰り」 いつもなら「何を買って来た」だの「おなかすいた」だのけたたましく言い募るカルシファーだが、さすがにハウルとやり合った後だからか元気がない。 「何かあったの?」 「んー……ソフィーには話しておいた方が、いいかなぁ……」 きょろきょろと落ち着き無く視線を巡らせた後、カルシファーはちょいちょいと炎の指を動かしてソフィーに近づくようにと示した。 言われるままに近づいて出来うる限りカルシファーに近づく(かまどに居るカルシファーに近づきすぎるとさすがに熱いので、人間同士の内緒話のように顔を近づける事は出来なかった)。 「サリマンから手紙が届いてたんだ」 「マダムサリマンから?」 あの戦争の一件以来とりあえずハウルに手出しはしないと決めたようで、ハウルとソフィーの身辺は平穏そのもの。 今何故そんな手紙が届くのか、ソフィーは首をかしげた。 「おいらとの契約も破棄されて今のハウルは名実共に悪魔とは無関係の普通の魔法使いになったって訳だろ? ハウルの力があれば現在モメている戦争後のごたごたも随分と楽に収められるだろう……ってサリマンは考えたみたいだ」 「……そうね、ハウルの力はあなたと契約を打ち切っても衰えてないものね」 「袂を分かつことになったとはいえサリマンはハウルの先生だからさ……手紙はおいらに食わせて焼いちゃったからもう確認出来ないけど、どうやら「ここまで育てて貰った恩を忘れ師に逆らい続けるつもりか」みたいな事が書いてあったみたいでさ。ハウルが憤慨したんだ」 「そう……」 あくまでも国益を優先させるサリマンならば、そういう物言いをしてもおかしくないかもしれない―――が。 「……でもそれで何でカルシファーに怒ってたの?」 「え?」 カルシファーがきょとんとした目でソフィーを見上げている。 「私が入って来た時、ハウルはカルシファーに怒ってたわよね? どうしてなの?」 「あー……」 カルシファーはきょときょとと落ち着き無く視線を彷徨わせる。 それから「……ソフィーが」と小さく呟く。 「私が?」 「ソフィーが……サリマンの手に落ちたら、ハウルは言う事を聞かざるを得なくなるだろ? その可能性を忘れるなよ…って言ったら怒っちゃってさ」 ―――誰からも命令される謂われはない! 何者にも縛られたくないハウルらしい言葉だと思う。 ―――だけど。 「……ソフィー?」 考え込んでしまったソフィーが心配になったのか、カルシファーがおずおずと声をかけてくる。 はっと我に返り、ソフィーは笑顔を向けた。 「何でもないわ。……ハウルはしばらくそっとしておきましょう。ちょっとしたら機嫌も直るわよ」 「うん……」 先ほど買ってきた食材を片付けはじめたソフィーの姿をカルシファーが見ている。 視線を感じつつ、ソフィーは分からないようにそっとため息をついた。 夕飯時になってもハウルは降りて来なかった。 基本的には自分の思うがままの時間で動いている彼なので家族も特に問題にはしていない。 「ごちそうさまでした」 「ヒン!」 ハウルはいないがいつもと同じような時間がすぎ―――夜が来た。 ネグリジェに着替えてベッドに腰掛けた状態で、ソフィーはずっと考えていた。 (……もし) 昼間は賑やかな街も夜は静かで、風の音すら聞こえない。 (……もし、本当にマダム・サリマンによって私が危険な目に陥ったら、ハウルはどうするつもりなんだろう) ―――助けに来てくれる、と思う。 そうは思うが―――ハウルがカルシファーに怒鳴った言葉が忘れられない。 ―――誰からも命令される謂われはない! (……それって、あまりにマダム・サリマンが理不尽な事を要求してきたら……私を見捨てるって事も、あり得る……わけよね……) ハウルから大切にされているという自覚はある。 ソフィー自身も黙ってマダム・サリマンの言いなりになるつもりはない。 だが。 彼はカルシファーの助言を命令だと受け取ってしまうほどに、サリマンの手紙にいらだっている。 「………やめやめ」 夜、誰もいない部屋でひとりきり。 そんな時に考えても悪い方向に行くばかりだろう。 今日はもう寝てしまおう。 ―――ぐっすり眠れば、きっと気持ちも落ち着くだろうから。 そう思い直してベッドに入ろうとしたソフィーは、かすかに聞こえてきたノックの音に手を止めた。 「……起きてる?」 扉の向こうから聞こえてきたのは、ハウルの声だった。 「ハウル……? どうしたの、こんな遅くに……」 音を立てないようにそっと扉を開ける。 ―――と。 「……ソフィー……」 ソフィーが扉を開けるなり、ハウルは手を伸ばしてソフィーを抱き寄せて来た。 「ど、どうしたの?」 元々子供っぽい仕草が多いハウルだから、いきなりキスをしてきたり抱き寄せたりは日常茶飯事。 最初のうちこそ恥じらっていたソフィーだったが、ことある毎にスキンシップを受ければ嫌でも慣れてくる。 だが先までハウルの事を考えていた矢先の抱擁は、少なからずソフィーを驚かせた。 「何かあったの?」 ソフィーの問いかけに返るのは、彼女の背に回されたハウルの腕の強さだけ。 こうなってしまってはハウルはしばらく何も言おうとはしない。 ソフィーはしばらくハウルの好きにさせることにして、彼の腕のなかでそっと目を閉じた。 「……ソフィー」 どのくらいの時間そうしていたのか。 そろそろ素足に冷たさを感じ始めた時、ハウルがソフィーの耳元でぽつりと呟いた。 「必ず……必ず守るから」 「……ハウル?」 「君を危険な目に遭わせたり……しないから…だから……」 ハウルの腕に力がこもる。 ソフィーは優しくハウルの背を撫でた。 「大丈夫よ。私はここにいるわ……あなたの傍にいる」 「ソフィー……」 「傍にいるから……」 何度もその言葉を繰り返す―――そうしているうちに、ハウルの衝動も治まって来たらしい。 ようやくソフィーを押し戻し、ハウルは額を軽く当てて来た。 「……サリマン先生がソフィーに危害を加えると決めたら、本気でかかってくるだろう……そうなったら、僕1人ではとても対処しきれない……」 泣きそうな表情のハウルから察するに、カルシファーから言われた言葉が相当彼を打ちのめしたのだろう。 サリマンならやりかねない―――と分かっているから、なおのこと現実味を帯びた恐怖として彼の心を怯えさせたに違いなかった。 「あら、前の時ハウルは私を守りきってくれたじゃない?」 何とか慰めてあげたくてわざとおどけたように言うと、ハウルはえっとソフィーを見返して来た。 「ハウルはちゃんと私を助けてくれたわ。サリマン先生の処から逃げる時に魔法を使って私を隠してくれたじゃないの」 「ソフィー……」 「だから大丈夫よ、そんなに心配しないで。カルシファーだって力を貸してくれるし、ね?」 「………」 だんだんとハウルの表情が和らいでくる。 「……そうだね……」 頷いたハウルに先ほどまでの悲壮感はなかった。 「さ、もう休みましょう。夜中に色々考えてもいい考えは浮かんで来ないわ」 「どうやらそのようだ……もう眠る事にするよ」 そう言いつつもハウルの腕はソフィーの背中から離れない。 「ハウル?」 「……一緒に寝ちゃダメかな?」 本当に小さな声で呟かれた言葉にソフィーはくすっと笑みを漏らした。 「いいわよ。私のベッドは狭いからハウルのベッドにしましょうか」 「うん!」 とたんに満面の笑みになったハウルを見て内心「可愛い」と思ったのはソフィーだけの秘密だった。 朝。 日が入らないハウルの部屋から廊下へ出ると、朝の光が差し込んで来ていた。 「……いい天気……」 昨夜悩んでいたのが嘘のように心は晴れ渡っていた。 「やっぱり夜中に考え事をするのがいけないのよね……」 そんな事を言いながら廊下を歩こうとしたソフィーは、目の前に立つ人影に気がついて足を止め―――ぎょっと体を強ばらせた。 「………!!」 目の前に、サリマンが立っている。 「…マダム……サリマン……?」 よくよく見れば彼女の姿は透けていた―――王宮から映像だけを送ってきているのだろう。 『―――久しぶりですね、ソフィー』 「……え、ええ……」 『ハウルは元気にしているようで何よりです』 サリマンの表情はやわらかい―――だが、その表情の裏に冷徹な面が持ち合わせている事をソフィーは知っている。 この微笑みに騙されてはならない。 『突然手紙を送りつけたので癇癪を起こしてはいないかと思いましたが、あなたが傍にいるならば大丈夫だったのでしょうね』 「…………」 ならば送りつけたりしなければいいのに、と心のなかで思うもののソフィーは結局それを口には出さなかった。 『あの子に送った手紙は警告です』 そう切り出したサリマンの表情は一変していた。 権力者が持つ冷たく厳しい表情が、そこにあった。 『あの子の能力は悪魔と手を切ったといえども最上級です。力を悪用しようとする輩が次々と現れる事でしょう……あなたが傍にいる限りは彼が悪に染まる事はないと信じていますが、それでも物事に絶対はありません』 「…………」 『もしもあの子が悪に染まるような事があれば、今度は容赦しません』 ―――つまり本気でハウルを潰しにかかる、という事、なのだろう。 「そんな事させません」 サリマンが次の言葉を紡ぐ前に、ソフィーはそう答えていた。 「ハウルは二度と悪魔に囚われる事もないし、悪に染まる事もありません。させません」 そう言い切ったソフィーの言葉を予測していたのだろう、サリマンは表情を和らげた。 『そう、願っていますよ』 サリマンの姿が消えていく。 それを見送り―――姿が消えてしまってからソフィーは大きく息をついた。 「………確認しに来たのね……」 ハウルが暴走しないためにはソフィーが彼をうまく御さなければならない―――それを自覚させに来たに違いない。 (言われなくっても分かってますよ!) 今までハウルの癇癪に付き合わされて来たのだから。 (……でも) 好意的に考えれば―――ハウルの事をソフィーに託してくれた、とも考えられる。 二人の事を認めてくれたのだ、とも。 「そう考えた方が気が楽ね……」 「何が?」 後ろから聞こえて来た声にソフィーは「きゃあ」と悲鳴をあげてしまった。 「……何が、気が楽?」 ハウルが廊下の壁に手をついてソフィーを見ている。 「お、起きたの?」 「あれだけ強い魔力を感じたら誰だって起きるよ。……サリマン先生が来てたね?」 ぐっすり眠っているように見えたのだが、そこらはやはり「偉大な魔法使い」というべきなのだろう。 「何を言われた?」 ソフィーをじっと見つめてくる瞳は厳しい。 隠す事でもないだろうとソフィーはあっさりと手をあげて白状した。 「あなたが悪に染まったら容赦しないって警告に来たのよ」 「……それだけ?」 よほど気になるらしく、ハウルの表情は固いままだ。 ソフィーはふ、と思いついて口元に笑みを浮かべた。 「私に見張っておけ、みたいな事も言ってたわ。よほど心配なのね、あなたのことが」 「何、それ」 最後にちゃかすように付け加えたのがかちんと来たらしく、ハウルの表情が不機嫌なものになる。 「心はまだ子供のままなんだから、見張りがつくのも致し方ないわね」 「ソフィーに子供扱いされる謂われはないと思うけど?!」 「すぐに癇癪起こしてるようじゃ、大人って言い切れないわよ?」 とたんにハウルはむっとした様子でくるりと背を向けた。 「朝ご飯は?」 「いらないっ!」 ばん! と大きな音をたてて部屋へと帰ってしまったハウルを見送り、ソフィーは笑い声をあげた。 (そういう処が子供っぽいって言ってるのに) 機嫌を損ねさせてしまったのはまずかったか、とも思うがやってしまったものは仕方ない。 後で朝食を運んであげよう、と思いつつソフィーはキッチンの方へと向かったのだった。 (―――絶対に、悪に染めさせたりしないわ) きっと自分にはそれが出来る。 何も根拠はない自信だが、今のソフィーにはそう信じるしか出来なかった。 END |
ハウルTV放映記念……には遅いんですが、久しぶりにハウル創作。何か起こりそうな感じの出だしになっちゃったんですが、特にごたごたも思いつかなかったのでこんな感じに。起承転結で言えば「起」「承」で終わっちゃってしまった感が強いとりとめない作品となってしまいました。また何か長編は書きたいな〜って思ってるんですが、ハウルはなんか痛い話になりがちなので……本編も痛い話だし(ハウルが主に)。痛い話は好きですがワンパターンな痛い話はつまらないので……ネタの神様降りてきてください(切実)。 |