01 見知らぬ街
「うわぁ」 千尋の口から溜息ともとれる感嘆の声が漏れる。 「凄いね」 いつもは滅多に感情を表さないハクも、このときばかりは驚きの声をあげた。 ――――二人の目の前には、広大な海が広がっていた。 「なにぃっ! ふ、二人で旅行だとー!!?」 と怒鳴る父親を蹴飛ばした母親の笑顔の方が千尋には怖かった。 がそれを本人に言える筈もない。 「だって、せっかく一泊二日の旅行が当たったんだし……」 「いいじゃないの、二人で行ってらっしゃい」 「年頃の男女が二人きりで旅行なんてお父さんはゆる……」 またもや母親の強烈な一撃を食らい、父親がうずくまる。 「気をつけて行ってらっしゃいね!」 「……う、うん……」 ―――ハクを気に入っているお母さんとしては、私とハクが急接近する方が嬉しいんでしょうけど……。 それは年頃の娘を持つ親としてはどうよ? 「私は断る理由がないけれど……千尋はいいのかい?」 ハクの方があまりにも悲惨な父親の様子に同情をしているくらいだ。 しかし。 「うん、大丈夫! 思い切り楽しんで来ようね!」 ―――ハクと一日中二人きりでいられるチャンスを無駄にする千尋でもなかった。 そうしてやって来たのがこの街。 雑誌の抽選で当てたこの旅行は、名もない海辺の街への一泊二日の旅行で、観光スポットというよりは田舎の町おこしという意味合いが強いものだった。 ホテルというよりも旅館という方がしっくり来る建物に荷物を置いて、絶景のポイントだと教わった崖っぷちにやって来た二人は、冒頭のような声をあげたのだった。 「凄く綺麗な海だね、ハク」 「それもあるけど……」 「え? ハク、海を見て声をあげたんじゃないの?」 海からくる風になぶられる髪をかきあげつつ、ハクは笑みを浮かべた。 「この辺りにいる精霊の数が半端じゃない。自然が残ってる証拠だ」 「精霊の……?」 辺りをキョロキョロと見回してみるが、感じ取る力がない千尋には何も見えない。 「そう、かなぁ……?」 「うん、凄く多い」 彼にしては珍しくにこにこ微笑みながら、そっと千尋の肩へと手をのばす。 「え?」 何かをはらう仕草を見つめ、千尋は目を丸くしたまま再びハクへと視線を戻した。 「……今の、何?」 「千尋が珍しいんだろうね。取り憑こうとしてたからちょっとお灸を据えておいた」 「………は?」 そろそろ帰ろう、と声をかけて歩き出すハクの後ろ姿を見つめ、千尋はおそるおそる後ろを振り返った。 ―――そこには何もない。 (……ハク。それって精霊じゃなくて……いわゆる霊とか……そんなんじゃないのかな……?) ここが自殺スポットだ等という話は聞いた事はないが、これだけ断崖絶壁だと間違って足を滑らせてしまった人がいないとも限らない。 そう思ったとたん、ぞわっと背筋が凍るような心地がして、千尋は身を震わせた。 「千尋、早くおいで」 かなり歩いた処でハクが呼んでいる。 「い、今いくっ!」 千尋は慌ててその場から走り出した。 夜。 「ちょっと出てくる」といって出かけていったハクが戻ってきたのは1時間くらい経った後だった。 「な、何しに出かけてたの?」 「うん」 畳の上に座り、ハクはじっと千尋の目を見つめた。 「昼間に出かけた崖が気になって、もう一度行ってみたんだよ」 やっぱり、と内心思いつつ千尋は先を促した。 (私に行ったらくっついて来ると思って、敢えて言わなかったんだなぁ?) そんなハクの思考まで分かってくるようになったあたり、付き合いが長くなったという事なのかもしれない。 「昼間に千尋に取り憑こうとしていたものは、随分昔に亡くなった男性だったよ」 「……ハク、それっていわゆる自縛霊って奴じゃ……」 「人間はそう呼ぶのかい? 少し話をしたら安心したようで消えていったよ。もうあそこに行っても大丈夫だと思う」 「………そう」 ハクの話を聞きながら、千尋は内心かっくりと項垂れたい気分だった。 (ハク……知らない街に来ても、やってる事同じ) ほんのちょっとだけ、色っぽい事とかないかな? なんて期待もしていた千尋だったのだが。 「さ、明日はもう一つのおすすめスポットとやらに行くのだろう? 早く寝よう」 見ればハクはもう布団を敷き始めていた。 きっちりと並べられた布団は二つ。 (………鈍感) 千尋が盛大な溜息をつく。 「……? 千尋?」 ハクは不思議そうに千尋を見つめるばかりだった。 END |
05/12/12 |