04 竜の少年
上も、下も、何もない空間。 白い、ただ白いだけの世界。 (……ここは、何処だ……?) ハクは辺りに視線を巡らし―――何もない事を確認して再び視線を戻した。 (夢……か? にしては随分と現実味がある……) 人間は脳の作用によって現実と見まがうようなリアルな夢を見る事がある。 千尋が良く「こんな夢を見た!」と話してくれるところからも、その夢を見ている時は現実にそれが起こっているような感覚を得るのだろう。 だが。 (私がこんな夢を見るとは……千尋に感化されたか?) ハクは滅多に夢を見ない。 こんな現実味を帯びた夢を自分が見る事になろうとはそれこそ「夢にも」思わなかった。 ―――ふ、と。 ハクの耳が何かをとらえた。 (泣き声……? 少女のもの……か) 色も音も何もない空間で唯一聞こえたもの。 ハクはその声を頼りに白い空間へと一歩踏み出した。 その途端。 「……!」 ハクが足を踏み出した処から一気に色が広がり―――田園地帯のような草原と何処までも青い空が空間へと広がっていった。 驚きを隠せず立ちつくすハクだったが、泣き声が先ほどよりも鮮明に聞こえて来たことに気がついて視線を巡らせた。 ―――いた。 横髪を赤いリボンで束ねた少女が泣いている。 何が悲しいのか押し殺した声ですすり泣く彼女の横顔は―――醜く焼けただれていた。 「……何故泣く」 気がつけばハクはそう声をかけていた。 「!!」 驚いた少女がはっとハクの方へと視線を向け、後ずさる。 「驚かせてすまない」 その場から動かずそう声をかけると、驚きで強ばっていた少女の表情が和らいで来た。 「……竜……」 今度はハクの方が驚く番だった。 「私が竜である事が分かったのか?」 言いつつもハクにも分かっていた。 目の前の少女は、竜だ。 人の形をとってはいるが、本質は人ではない。 いや、そういうには語弊があるかもしれない。 彼女の本質は人であり―――そして竜でもある。 竜でありながら人の形をとる自分は、果たしてどちらなのだろうか。 「………」 こっくりと頷く少女は、ハクが近づいても逃げようとはしなかった。 「……何故、ここに?」 小さく、だがはっきりと訊ねてくる言葉にハクははたと気がついた。 「分からない……気がつけばここにいた、というのが本当のところだ」 「そう……」 少女の視線がハクから外れ、向こうの方へと向けられる。 つられて視線を向けた方向には―――― 「……美しいな」 一面に広がる海があった。 ちょうど夕焼けの時間なのか、先ほどまで青かった筈の世界は赤に彩られている。 海も、空も、草原も全てが赤に染まり、まるで燃えているようだ。 「……湯屋……」 その彩はハクに自分が戻るべき処を思い起こさせた。 あの場所に戻らなければならない。 あそこには―――命より大切な少女が、待っている。 「……戻らなければ」 「戻る?」 「私のいるべき場所に、だ」 少女は悲しそうな顔でハクを見つめていた。 「戻る場所があるんだ……」 「そなたには、ないのか?」 ハクの問いに少女は首を横に振り「わからない……」と小さく呟いた。 そして何かを決心したようにハクを見つめる。 「でも……私は、生かされているから」 ―――だから 「ここにいなきゃいけない……それだけは分かる」 少女の表情には、何かを乗り越えた者だけが持つ厳しさがあった。 その意味を、ハクも良く知っていた。 「私も同じだ。……私も生かされている。だから戻るんだ」 あの少女によって自分は生かされている。 彼女を守るという約束は、永遠の誓い。 「……また、会えるといいな」 赤い色が辺りを覆い尽くす。 少女の姿も赤に染まって消えていく。 その言葉に、ハクは答えを返す事が出来なかった。 「ハク!!!」 突然大きな声で呼ばれて、ハクははっと目を開けた。 「だ、大丈夫? 起こして良かった?」 赤い水干を着た千尋が心配そうに覗き込んでいる。 「もう仕事終わる時間だから、暇かな~って思って来たんだけど……疲れてる?」 書類を作っている最中にいつの間にか机に突っ伏して眠っていたらしい。 いつもならこんな事はないのに。 「………」 千尋が着ている赤い水干が、つい先ほどまで見ていたあの赤の彩と重なって見え、ハクは思わず目を擦ってしまった。 「……つ、疲れてるなら休んだ方がいいよ? 父役にはそう伝えておくから……」 ハクらしからぬ行動に不安を覚えたのかそう訴えてくる千尋に、ハクは慌てて取り繕うように微笑んで見せた。 「大丈夫だよ。ちょっと夢を見ていたものだから……」 「夢? どんな夢を見ていたの??」 そこらは年頃の娘というべきか、千尋はすぐその話に興味を示して身を乗り出してきた。 ―――千尋になら話してもいいかもしれない。 何処にいるかは分からないが、確かに存在するであろう竜の娘の話を。 END ※……竜の「少女」でしょ?というツッコミはなしの方向で。 |
06/09/07 |