08 走る
「はぁ、はぁ……」 千尋は電信柱の影まで走ってくると、さっと身を隠してはぁはぁと息をついた。 (……まだついてきてる……!) そぉっと様子を窺うと、千尋を見失ったためか1人の人影が十字路できょろきょろと辺りを見回しているのが見えた。 人影からここまでの距離は50メートルくらい。 このまま諦めてくれればいいのだが――――。 その願いも空しく、人影は千尋がいる方へと歩き出した。 (うわあああんっ! どうしてこっちに来るのよぉぉぉおおっ) 逃げなきゃ。 思い切って柱の影から走り出た千尋は、脇目もふらず走り出した。 「待って……!」 その人が何か叫んでいるがそんな事に構ってはいられない。 (怖いよぉ、怖いよぉ、怖いよ―――――っっ!!) とにかくこの恐怖から逃れる為に、走る。 それしか千尋の頭のなかにはなかった。 事の起こりは、高校からの帰り道。 電車で3駅ほど離れた高校に通っている千尋は、繁華街を抜けて自分の家に帰るまでの道のりがあまり好きではなかった。 (……ここって、薄暗くってヤなのよね) 街灯はあるものの人通りは少なく、日が暮れてからはまず出歩く人もない。 そして今日は部活で遅くなってしまい、駅に着いた時は日はもうとっぷりと暮れてしまっていた。 (お父さんに迎えに来て貰っても良かったんだけど……) そうなると車のなかで「何故遅くなったか」だの「もっと早く帰れないのか」だのと色々根掘り葉掘り聞かれる事になる。 それだけは避けたかった。 だが。 ここの処窃盗やら痴漢やらの犯罪が頻発しているというニュースを昨日テレビが流していたのを見てしまった。 都会から離れたこの街にも都会化の波はやってきている。 千尋が小さかった時よりも治安は悪くなってきていた。 (……早く帰ろうっと) 足早に家への道のりを歩き出す。 出来るだけ人が多そうな処を選んで歩いていたのだが、半分あたりまで来たところで人通りはなくなってしまった。 今日は風も強く肌寒い―――好きこのんで夜間に外出する人もいないという事だろう。 コツコツ コツコツ 千尋が最初に気が付いたのは、自分の足音とは別の足音だった。 (……足音が、平行して聞こえる……) そして自分の後ろから聞こえて来る。 そういえば駅あたりからずっと聞こえていたような気がした。 (……後を、ついてきてる……?) そう思った途端、背筋に冷たいものが走った。 (ど……どうしよう……!!) 家まではまだ道のりがある。 辺りは閑静な住宅街で、果たして悲鳴を聞いてすぐに出てきてくれるかどうか。 ぱっと見たところ警察署らしいものもなく、派出所も交番も、飛び込めそうなコンビニもない。 少し速度を速めてみる―――向こうの足音も早くなった。 (やっぱりついてきてるんだ……!) そう思った途端、千尋は走り出していた。 「千尋!」 いきなり腕を掴まれて千尋は悲鳴を上げた。 「いやあああああ、触らないでぇえええっ!!」 持っていた鞄を闇雲に振り回す。 「千尋、落ち着いて、私だよ!!」 その声にはっと我に返る―――と。 目の前にはハクがいた。 「……ハクぅ……」 「どうしたの、一体。そんなに必死に走って……」 「う、後ろっ……」 振り向くと、さっきからずっとつけて来ていた人影が千尋の近くまでやってくる処だった。 千尋は悲鳴を上げてハクの後ろへと隠れてしまった。 「千尋?」 「もぉ……酷いよ、千尋!!」 ハクが不思議そうな声を上げるのと、その人影が声を発するのとが同時だった。 (へ? 私のこと、千尋って……呼んだ?) 恐る恐るハクの後ろから顔を出す――――と。 「せっかく見かけたから声をかけようと思ったのに、逃げちゃうんだもの。酷いよ千尋ってば!」 そこには防寒着でぷっくりと着ぶくれをした苅野風花の姿があった。 「すぐに声をかけてくれれば良かったのに……」 「後ろから驚かそうって思ったらあっという間に逃げてくんだもの」 3人で並んで歩く。 寒いのが嫌いらしい風花は、着ぶくれによっていつもの2倍くらいにふくれあがっている。 その上マフラーを巻いていた為、すぐに人相が分からなかったのだ。 「風花……時と場合を考えた方がいいと思うよ」 事情を聞いたハクは、心底千尋に同情をしているようだった。 「ひどいっ、ハクまでそんな事言うのぉ!?」 「ごめん、ごめんってば」 完全に拗ねてしまった風花のご機嫌を戻すのは、実はそう大変な事ではない。 「私のうちにおいで。美味しいもの食べさせてあげるから」 「ほんとっ? 行く行く!!」 ころっと機嫌を直した風花は千尋の腕に抱きつく。 まるで本当の姉妹のように見える2人を見つめながら、ハクは苦笑を漏らしたのだった。 END ※風花はNo.24「異邦人」に出てきたオリジナルキャラクターです。 |
07/01/01 |