09 橋
学校からのいつもの帰り道。 千尋はいつも通る橋の上でふ、と立ち止まった。 「…………?」 ハクと共にいるようになってからというもの、千尋にはそういう力はなかったはずなのだが、何かいれば何となく分かるようになっていた。 それが「何なのか分かる」までには至っておらず、悪しきものなのか善きものなのかも分からないのだが。 ―――何か、いる。 幽霊みたいなものなのか、精霊みたいなものなのか、悪霊なのか。 毎日通る道だがそういう感じは一切しなかったし、今日の朝通った時も感じなかった。 「……後でハクに聞いてみた方がいいかな」 そんなことを呟いて、千尋は再び足を踏み出す。 橋から地面へと足を踏み出した時、ちりちりと肌に何かを感じたが―――それだけだった。 家へは帰らずまっすぐに森の方へと向かった千尋は、さして迷うこともなくずんずんと歩みを進める。 この森の気配も勝手知ったるもの―――千尋を歓迎してくれている気配がある。 (それも私がハクの知り合いだから、だよねぇ) そんなことを思いながら足を進めていたが、ふと足を止めて辺りを見回す。 「―――ハク?」 「お帰り」 そんな声がして振り返ると。 「何かあった?」 ハクが端正な顔をわずかに歪めてじっと千尋を見つめていた。 「………という訳なの」 早速ハクを伴って橋の方へと歩いていく千尋は、そう締めくくってハクの様子をうかがった。 「……いつもは何も感じない処だとすれば、引き寄せられたのかもしれないね」 ハクの指がそっと千尋の髪―――束ねている髪留めへと触れられる。 「恐らく千尋に何かしようとしたのだろうが、この髪留めが守ってくれたんだと思うよ」 「そうなの?」 「ちりちりと何か感じたと言っただろう?」 銭婆が力を込めてくれたこの髪留めは、千尋が思っている以上に強い力を秘めたものらしい。 「あの森の精霊たちが千尋に好意的なのも、この髪留めの力が働いているんだよ。魔女に認められた者という証のようなものだからね」 「へぇ………」 千尋自身には何の力もない。 だからこそ銭婆は彼女を守るために想いと力を込めたこの髪留めを与えてくれたのだろう。 この髪留めがあったからこそ千尋はあの湯屋での出来事が夢ではないことを実感出来ていた。 ―――と。 ハクが足を止めた。 やや遅れて千尋も足を止め、視線を向ける。 そちらには、あの橋があった。 「なるほど……」 ハクはじっと橋を見ていたがやがて呟いて――― 「ここで待っていなさい」 橋へと近づいていった。 千尋が見守るなか、ハクは橋のたもとまで来るとすっと手をかざした。 何やら呪文を唱え―――そして。 「……おまえの道は向こうだ。もう迷うなよ」 その言葉と共に、橋の辺りから感じていた気配が消えていくのを千尋も感じた。 「ハク、今の……」 「分かったかい?」 こちらの方へと戻ってきたハクは先ほどよりも柔らかな表情になっていた。 「……いわゆる、幽霊…?」 「まぁ……人間の言葉で言うとそれが一番近いかもね。私がいるからこの辺りの力も活性化されて、もっとも近いこの橋が架け橋のような役割になりつつあるようだ」 「架け橋?」 改めて橋を見る―――。 別に変わったところもなく、車も通るコンクリートで作られた普通の橋。 そんな超常現象に見舞われるような橋には見えないのだが。 「橋は色んな処を繋ぐんだよ。湯屋の処にも橋があっただろう?」 「うん。赤い色の橋だよね? ハクと再会したところ」 「あそこも湯屋と世界を繋ぐ場所―――もしも千尋があの橋から落ちたら、多分こちらの世界には戻って来られなかったと思うよ」 さらりと怖いことを言われてぎょっと息を呑んでしまう。 「……まさか、この橋もそんな風になったりは……しないよ、ね?」 「ここは人間の営みのなかにある橋だから、そこまでにはならないよ。……ただ」 「………ただ?」 「そういう『モノ』は、よく通るようになると思う。千尋は私と親しい分目をつけられやすいから気をつけるんだよ?」 「……………」 そういう『モノ』って何ですか。 目をつけられるってどういうことですか。 気をつけるってどうやって気をつけるんですか。 そういう疑問はたくさん浮かんでくるものの、ついにハクへと聞くことは出来ずじまいだった。 (……聞いたら、絶対夜寝られなくなる……っ!) 夜は絶対この橋は通らないようにしよう。 そう心に誓った千尋だった。 END |
09/04/29 |