12 働かせてください!
「困ったな……」 山を覆う木々の緑に見え隠れする黒。 よくよく目を凝らせばそれが人の髪である事が分かる。 人ではあり得ない程に白い肌は、だからこそこの鬱蒼と茂った場所に相応しいと言えるかもしれない。 ―――その色の持ち主は、今彼にしては珍しく困ったような顔で木の根元に腰を下ろして何やら考え込んでいた。 もうすぐ千尋の誕生日が来る。 ハクもこの人間界でそれなりの時間を過ごした為、この人間界で誕生日に何をするのかという事は学んでいる。 ―――一般的に、女性は高価な物を贈られると喜ぶらしい。 なるほど、湯婆婆が宝石や貴金属を宝箱に入れて大切に隠していたものその為かとハクは改めて納得したものだ。 しかし悲しいかな、ハクは人間界には来ても人間界で働いた事がある訳ではない。 人間のように物を食べなくても生きていける為、お金を稼ぐ理由がないのだ。 「……魔法で何とかなる類のものでもないし……さて、どうするか…」 その整った顔に憂いを帯びた影を落として、ハクは溜息をついた。 「そのような事で悩む間にはわらわの処へと来れば良かったのじゃ。時間の無駄じゃったの」 自分の前へと現れたハクを見て、咲耶姫――木花咲耶姫命(このはなさくやのひめのみこと)はくすくすと笑みを漏らした。 いつもは人でにぎわう神社も、真夜中という時間にはさすがに誰も訪れない。 この場にはハクと咲耶の姿しかなかった。 「……苦肉の策ですよ」 「おぬしも言うようになったのぅ」 ハクが慇懃無礼な答えを返しても咲耶は機嫌を損ねる事もなく笑みを浮かべている。 ―――最後の手段であったとしても、ハクが自分を頼って来た(ハクが自分を毛嫌いしている事は咲耶も承知の上であったので)のが面白くて仕方ないのだ。 「で……相談事は千に渡す贈り物であったか。あの娘御、幾つになる」 「18です」 「ほぉ……もう子を成さねばならぬ年頃じゃの」 「……あの子はまだ子供です。昔は人間の寿命も短かったが故に13、14で子を作っておりましたが、今は普通で80以上生きる時代です。それから見ればまだあの子は幼いですから」 「その子供に欲情しておるのは誰じゃ?」 「してません!」 ―――などと。 延々不毛な会話が繰り返された後。 言葉遊びに飽きたのか咲耶はその会話を打ち切った。 「幼いとはいえど千もおなごじゃ。手っ取り早い処では身を飾るものが嬉しかろう」 「しかしそれを買うには手持ちがありません」 そこに至って咲耶は初めて驚いたような顔になった。 「……働いておらぬのか?」 「ええ。森や木々の精気があればとりあえずは物を食べずとも生きていけますから」 「人間界に舞い戻ったといえども浮世離れしておる処は変わらぬのう……」 「あなた様のように慣れすぎているのも考え物だと思いますが」 「…………」 「…………」 暫しの沈黙。 「……まぁ良いわ」 先に口を開いたのは咲耶だった。 「金がないならば稼げば良い。今は文明も進んで色々と稼ぎ場はあるぞ」 「稼ぎ場……と申しますと」 ちょいちょいと咲耶が指を振る。 耳を貸せ、という合図だ。 言われるままに耳を近づけると、咲耶は口を寄せて耳打ちをしてきた。 (この場にハクと咲耶しかいないのだから耳打ちするという行為に意味があるのかという疑問は残るが) 暫く黙って聞いていたハクの表情が見る間に驚愕に彩られていく。 「そっ……それはっ!?」 目を見開いているハクに比べ、咲耶はにんまりと笑みを浮かべているだけ。 「簡単であろう? そなたならきっと文句なしだと思うぞ」 「……一体何処でそんな情報を仕入れられるのですか……」 「そなた、テレビも見ないのか?」 「…………」 恐らくこの神社に住み込んでいる神主の家に忍び込んでいるのだろう。 しかし。 手っ取り早く大金を稼ぐにはそのくらいしかないだろう。 「……考えて、みます……」 それだけを漸く絞り出して、ハクは項垂れた。 そして。 「わぁ……こんな綺麗なもの、貰っちゃっていいの!?」 千尋の手のなかにあるのは綺麗なデザインのトップがあしらわれたプラチナのペンダント。 千尋の部屋へとあげてもらい、こうしてプレゼントを渡した処である。 「千尋が生まれた日だからね。お祝いしたかったんだ」 「有り難う!!」 千尋はそれを早速首にかけ、嬉しそうに微笑みながらくるんと回ってみせた。 「どう? 似合う? 似合う??」 「うん、似合うよ、とっても」 ―――幼くても女。 咲耶のそんな言葉がふっと頭をよぎった。 「でも……これ、高かったでしょ? 良くそんなお金あったね……」 ハクが人間界でお金を稼ぐ事をしていないという事は千尋も知っている。 「ああ……まぁ、ね」 「千尋!! ハクくーん!! ちょっと降りてらっしゃい〜〜〜!!」 階下から母である悠子の声が聞こえて来た。 妙に焦った声に千尋は首を傾げる。 「?? なんだろ」 「………」 対するハクの方は困ったような表情。 「?? どうしたの、ハク? 変な顔」 「ああ……まぁね…」 「早く早く!!」 「はぁい、今行くー!! ほら、とりあえず行ってみよ?」 そう怒鳴ってから、千尋はハクを促して部屋を出た。 リビングへと入ると。 「何なの、お母さん?」 「ちょっとこれ、見て!」 悠子はソファーに座ってちょうど雑誌を読んでいるところらしかった。 悠子が指さす処をじっと見る――――。 「……えっ!?」 「…………」 ファッション雑誌のカラー特集。 10代の少年向けのファッションデザインの特集が組まれていたのだが―――そのモデルが。 「これっ、ハク!?」 「…………」 悠子と千尋の視線が一気にハクへと向く。 ―――その視線が意図する処を分かっていながら、ハクは否定しなかった。 「……ホント?」 「あ……まぁね」 千尋は自分の胸元に揺れるペンダントのお金の出所が何処なのかを理解し、まじまじとハクを見つめた。 「私のプレゼントを買う為に?」 「一度だけのモデルというのを募集しているのを教えて貰ったからね。一度経験してみたいと思ったし……」 じーっと見つめられ、ハクはしどろもどろになりつつ視線を逸らした。 「……えらいっ!」 いきなり悠子が叫び、千尋とハクはぎょっと悠子を見た。 「さすが、千尋が見込んだ男性だわ!! これからも千尋の事を宜しくね!!」 ハクの手を握り、悠子はぶんぶんと手を振り回す。 「は、はい……」 悠子の剣幕におされつつ、ハクはされるがまま手を揺らしていた。 「千は喜んでおったであろう?」 訪れた途端、開口一番咲耶はそんな事を口にした。 「……幼くても女、という事ですね。私にはその辺りは良く分からなくて……ご助言、有り難うございました」 深々と頭を下げると、咲耶は笑い声を上げた。 「礼など要らぬ。わらわの趣味もこれで役にたつという事が証明されたが故にな」 「……趣味?」 ふっと咲耶の瞳がハクへと向けられる。 ―――一瞬どき、とするのをおさえつつ、ハクは咲耶の言葉を待った。 「神といえどもわらわもおなごじゃ。最先端の美を研究するのに努力は惜しまぬ」 「………つまり、ファッション雑誌やらテレビやらを見まくってるという事ですね?」 「そればかりではないぞ。今はいんたぁねっとなるものも完備しておる」 ハクはがっくりと項垂れた。 (……私よりも長い時を生きているのに、この方は何でこんなに柔軟性に富んでるんだ……) ハクの心の声が聞こえたのか、咲耶は面白そうに笑い声を上げた。 END |
06/01/25 |