暴風雨警報
その日、湯屋一帯の天気は大荒れだった。 「こりゃすげェな。オレもこんな天気に出くわしたのは初めてだ」 等とリンがいう程である。 人間界なら「暴風雨警報」が発令している処だろうな……なんて千尋は思いながら、外を眺めていた。 「おーい、千!」 兄役の声が聞こえる。 「は、はーい! ただいま!」 大荒れの天気のせいで時間はよく分からないが、仕事を始めるまでにまだ時間はある筈である。 一体何の用だろう? 「兄役の奴、千に何の用だろ」 「何かあったのかも。私、行ってくるね」 千尋は立ち上がって部屋を出ていった。 「千、大至急銭婆様の処へ行ってくれ」 階下へと降りてきた千尋は、開口一番そう言われ固まった。 「……は?」 重ねて言うが、外は暴風雨である。 「…この雨の中を、ですか?」 「天気は関係なかろう。早う行け。電車の切符は番台蛙に用意させてある」 「あ、ちょっと!」 言いたいことだけ言って去っていく兄役を見送り、千尋ははぁぁぁ…と大きな溜息をついた。 ―――この雨風なのに、電車通ってるのかしら……。 外のほうで看板が吹っ飛んで壊れる激しい音が、風の音の中響いて来た。 「こんな嵐の日に外出させるだなんて、どうかしてるぜ」 私服に着替えている千尋を見ながらリンが憤慨している。 「仕方ないよ。大事な用があるんだろうし……じゃ行ってくるね」 「気を付けていけよ」 ポシェットを肩からかけ、リンの声援を受け、千尋は歩きだした。 ―――まずは切符をもらわなきゃ……番台蛙さんが持ってるって言ってたっけ……。 番台の辺りは既に早く起きた客の姿があった。 「千か。これが切符だ。なくすでないぞ」 「はい」 相変わらず尊大な態度な番台蛙から切符を受け取り、千尋はきびすを返した。 向かうはボイラー室。釜爺のところである。 あそこに外へと出られる勝手口があり、千尋はいつもあそこを使って外に出ていた。 ―――今回の事を釜爺に聞いて貰いたかったのもあるのだが。 さて。 「こんな時に銭婆の所へ行くだって? 正気の沙汰じゃねぇ。湯屋始まって以来の大荒れだってのに」 事情を聞いた釜爺は開口一番そう言った。 釜爺の言うことももっともだが命令とあらば従うしかないのが従業員である。 千尋としてはせっかく覚悟を決めたところなので、それが揺らぐ様な事はあまり言って貰いたくなかったのだが。 「ハクは知ってるのか、千が出掛ける事を」 「さぁ…今日はまだ会ってないの。忙しいんじゃないかなぁ」 ハクの姿を見かけない事はよくある事なので、千尋は気にも止めてなかった。 「……ふうむ」 釜爺は何か言いたげな顔をしていたが、千尋の決心が固いのを見て取ったのだろう、それ以上は止めようとしなかった。 「それじゃ……私行ってくるから。ハクが来たら伝えて下さいね」 「気を付けて行ってこい」 という釜爺の声援を後に裏口の扉をあける――――― びょおおおおお……! 「………」 雨が真横に降っている。 下手に一歩踏み出そうなら小柄な千尋の体など天高く舞い上がりそうだ。 「こんな吹き降りのなか電車走ってんの…!?」 その前に停留所へ辿り着けるかどうか。 扉を開けたまま固まってしまった千尋に、釜爺が声をかける。 「……やめといた方がエエぞ。坊に言って湯婆婆に取り成して貰えば何とかなるじゃろ」 「そ、そうよね……」 一度開けた扉を閉め、ボイラー室へと逆戻る。 ―――と、その時。 別の扉がいきなり開いた。 「良かった。まだでかけていなかったね」 潜り戸から姿を現したのはハクだった。 「兄役から聞いて探してたんだ」 「え?」 釜爺がほっと安堵の溜息をつく。 「ハクが来たなら大丈夫じゃろ。後は任せたぞ」 「ええ、任せて下さい。……千尋、ついておいで」 「ええ?」 ハクに腕を引っ張られ千尋は潜り戸をくぐって湯屋のなかに舞い戻る事になった。 ――一体ハクは何をするつもりなんだろう? 千尋の疑問をよそにハクはエレベータを乗り継いでどんどん上へあがっていく。 そしてあっという間に湯婆婆のいる最上階へ着いてしまった。 「湯婆婆に会うの?」 「いいや」 ハクの表情がちょっと固いような気がする。 「……じゃ……」 この部屋に用があって、湯婆婆が相手ではないという事は――――。 「……坊?」 「……そういう事だね」 なるほど。ハクの表情が固いのはそういう理由があるためか。 千尋は納得して、扉に手をかけた。 はっと思いだして、ノックをする。 ―――昔ここでノックをせずに開けようとして怒られた事があったのは、絶対に忘れない。 「あいてる」 という返事は湯婆婆のものではなかった。 「いこ、ハク」 「……ああ」 ここまで連れて来た割には気乗りしない様子のハクと共に、千尋は中へと入っていった。 「やっと来た。遅い」 開口一番そう告げた坊に笑みをもらし、千尋は素直に謝った。 「ごめんね、ちょっとバタバタしてたから」 「まぁいい。千だから許す」 相変わらずの横柄な物言いにハクの眉間の皺がますます深くなる。 「話は聞いてる。銭婆のところに行かなきゃならないんだろ?」 「そうなの……でも外は凄い雨で……」 窓をべしべしと叩く雨は、きっと痛いだろう。 「坊が送ってやる。転移魔法はもう完全に使えるようになったから」 「え!? いいの?」 千尋が勢い込んで訊ねると、坊はうんと頷いた。 「うん。銭婆の所なら何度も転移した事あるから千を送る事くらいすぐ出来る」 自信たっぷりに言う坊に千尋はわぁと声をあげた。 「凄い! なら早速送って貰えるかなぁ」 「任せとけ」 「………」 ハクの機嫌がますます悪くなったのは言うまでもない。 「……ハクも行くのか?」 千尋の横に立つハクに今度は坊が不機嫌そうな声を出した。 「湯婆婆の許可は貰っておりますので」 「………」 「どうぞ、転移の呪文をお願いします」 「……分かった」 促されてしぶしぶ坊は呪文を唱えだした―――と。 「もし失敗なさったらそれは銭婆に報告させて頂きますので。基礎からやり直し……等と言うことにならないようにお気を付け下さい」 「…………」 ハクの言葉のあと、坊がちっと舌打ちしたのは気のせいではない。 ――相変わらず仲悪いんだから……。 誰のせいで悪いのか分からず苦笑する千尋だった。 銭婆の家の周辺は晴れていた。 出現した途端のあまりの静けさに、耳がどうにかなってしまったのかと思った程だ。 「ああよく来たね」 扉をノックするとすぐに銭婆がでてきてくれた。 「おばあちゃん、私に用って一体…」 「話は中でするから、まあお入り」 促されるままに中に入る。 ―――と、中央にある机の上にぱっと目をひくものが置いてあった。 青い色をたたえた、丸い宝石のようなもの。 「あれ…」 「宝珠じゃないか」 隣でハクが驚いたように声をあげる。 「宝珠……宝石?」 「そうだね。でもただの宝石じゃない。あれはおそらく竜の宝珠だ」 「竜の宝珠」 そう聞くとなにやらその丸いものが神々しさを増したような気がする。 「さすが察しがいいねぇ」 そう言いつつ銭婆が戻って来た。 二人を椅子に座らせて、自分は台所の方へと向かう。 さっきから用意していたらしい紅茶がいい香りを醸し出しているのが分かった。 「それは今湯屋に泊まってる客のものだよ。昨日預かったんだけどねぇ…湯屋で集中豪雨が起こっているのはその宝珠がないためだね。力がコントロール出来なくなってるのさ」 二人の前に紅茶を差し出しつつ銭婆が話すのを千尋はきいていた。 「そうだったの…」 ほー、と感嘆の声をあげる千尋の隣でハクが「でも」と声をあげた。 「龍が宝珠を手元から離すなど考えられない事ですが…」 もっともだ、と頷いてから、銭婆は理由を話しはじめた。 「私が宝珠を預かったのは、この宝珠が力を失いかけていたからなんだよ。一晩預かって魔力を与えたらかなり力を回復したようだね。輝きが戻って来ている」 「へぇぇ……」 感心しきりの千尋に比べ、ハクの表情はますます渋くなるばかり。 「…で、千尋にその宝珠を届けさせる為に呼んだ…と云うわけですか」 「えっ!?」 いきなりそう話が飛ぶと思わなかった千尋が大声をあげる。 「さすが、察しが良いね」 「……竜に触れられる者は限られてますから。千尋はうってつけの娘ですからね」 苦虫を噛み潰したような表情のハクに、不安がよぎる。 「そ、そんなに危ない仕事? それって…」 「いやいや。ハク竜は自分以外の竜と千尋が接触するのが気に食わないだけさね」 「銭婆!」 ―――なんだ、危険じゃないのか。じゃ大丈夫だよね? 千尋はハクと銭婆を見比べていたが、 「私は大丈夫よ。宝珠を渡すだけでしょ? それにハクだっているし。平気だよ」 そこまで言われると頭ごなしに駄目ともいえず、ハクは「そうか」と答えるしか出来ない。 そんな二人の様子を微笑ましく見つめている銭婆であった。 銭婆に送って貰った湯屋はとんでもない集中豪雨に見舞われていた。 湯屋の下を覆う海はますます増水し、後1メートルもすれば橋に到達しそうである。 「私が出かけた時よりすごくなってない…?」 「もう少し降ったら洪水が起こるかもしれないね」 まるで他人事のようなハクの物言いに、千尋が目をむいて声を荒立てる。 「それって大変じゃない! ハク、落ち着いてる場合じゃないってば!」 千尋は自分の手のなかで輝く宝珠に目をやった。 「早く返さなきゃ、この宝珠を!」 千尋は大事そうに宝珠を抱えたまま、湯屋の客室へと繋がる廊下を走り出した。 「千尋、走ると危ない!」 ハクもその後を追いかける。 お客が何処に泊まっているかは良く知らなかったが、何故かいるところは感じられた。 ―――宝珠が教えてくれてるのかな……? そんな事を思いながらどんどん上へと登っていく。 そして最上階に近い特別室までやってくると。 「きゃ!?」 宝珠が突然光を放ち始めた。 「千尋!?」 千尋は目をぱちくりして手のなかの宝珠を見つめていた。 「こ……ここにいるの、持ち主が?」 と、ふすまが勢いよく開いた。 「宝珠を持ってきてくれたのね?!」 中から出てきたのは―――派手な格好のおねえさん。 としか千尋には見えなかった。 宝珠と同じ瞳の色に黒髪、着物を着崩しているため、飛び出した拍子に胸が半分以上見えてしまっているのだがおねえさんは全く気にした様子もない。 「ありがとうっ! もう自分でもどうしようって思って泣きたい気分だったのよぉ! 良かったわぁ」 いきなり抱きしめられて感謝のつもりなのか接吻を頬に受ける千尋は硬直したまま。 「……あの、お客様。お話はなかでお願いします」 ハクが額を押さえながら声をかけるまで、その猛攻は続いたのであった。 「ごめんなさいね。ここに来たときにはもう疲れ切っちゃってて……でもこの宝珠が戻って来たなら安心よ。雨ももう止んでる頃でしょう」 宝珠を大事そうに抱えるおねえさんは妙に軽いノリではあったが、ハクよりも上の神格の水竜であった。 川を司る神で、満々と水をたたえた川であるが故にハクよりも強い力を有しているのだという。 「この湯屋で元気を取り戻して貰えたなら良かったです」 頬に残る口紅の後を拭き取りながら千尋は引きつった笑顔を向けた。 「あなた、人間なのにこの宝珠にさわれたのね。普通の人間がこの宝珠に触れたら灰になってしまうのだけど」 「そ、そうなんですか?」 水竜の女性の視線がハクに向けられる。 「あなたも川の神よね?」 「はい、そうですが」 そしてまた千尋に視線を戻して、ぽんと肩を叩く。 「竜の花嫁だったのね。なら宝珠にもさわれる筈だわ」 「は、はなよめっ?」 いきなりの言葉に千尋の顔が赤くなる。 「それだけそこの坊やに愛されてるってことよ。いいわねぇ若いって」 「お、お客さまっ」 照れがピークに達してハクの方をちらり、と見る。 ハクの方は照れた様子もなく優しい表情で千尋を見返していた。 女性が云った通り、雨は止んでいた。 だがあちこちが水浸しで、従業員たちがあちこち走り回っているのがみてとれる。 「……わ、私も後かたづけの手伝いに行ってくるね」 千尋が走り出そうとした時。 「千尋」 ハクが呼び止めた。 「私は千尋の事だけを見ているからね」 「…………〜〜〜……」 顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。 何か返さなくてはと思うが言葉が出ない。 結局千尋は「ありがとっ!」と微妙な返事を返して、そのまま走っていったのであった。 「―――本当に、千尋だけを見ているから……」 ハクがその後ろ姿を見つめて呟いた事を、千尋は知らない。 END |
携帯で暫く連載していたものを加筆・修正して完結させたものです。連載中は一度送信してしまうとやり直しがきかないものですから「ああああ」と思っても書き直しも出来ず……きちんと見直すとまぁ誤字脱字、脈絡文章の組み立て全部おかしくって……(汗)。やはり推敲ってのは大切ですね本当に。水竜のおねえさんは敢えて名前をつけませんでした。重要なポジション……の筈なのに。 で、色々な話でも出てきてる「竜の花嫁」。……これをモチーフにしてまた小説を書くつもりでおります。プロットは出来てるんだけどなぁ(^^; |