振舞酒
「はぁ〜〜、お正月でも休みはないのね……」 ブラシをたてて千尋ははぁと溜息をついた。 世間では「正月」というものに突入している筈なのだが、湯屋は元日からの営業である為に従業員たちはいつも通りの仕事をしていた。 ただ飾り付けが正月らしかったりするのと、客に出す料理がめでたいものになっているのがいつもと違うところだろうか。 「正月を祝えるのは客だけだ。オレ達は仕事だよし、ご、と」 リンはごしごしと擦る手を休めず答える。 「でもあがりはちょっと早めって言ってたし。今日は祝い酒も振る舞われるらしいぜ」 「うーんお酒はいいや……」 まだ未成年の千尋はアルコールに慣れておらず、味も良く分からない。 一体あの飲み物の何処らへんが美味しいのだろう? 「それよりも私は美味しいものが食べたいな」 「色気よりも食い気か……」 「なによぉ」 「そのまんまの意味」 千尋は頬をふくらませるとごしごしと床を磨き始めた。 仕事が終わったのはいつもよりも2時間ほども早かった。 だが。 「今日は特別な日である」 その後従業員たちは一所に集められ、その前で父役が有り難い(?)訓辞を延々と述べている。 かれこれもう1時間は続く話に従業員たちはうんざりした顔だった。 「疲れてるんだから早くしてくれよな……」 リンがぼそぼそと呟くのを千尋は肘でつついた。 「聞こえたら怒られるよ、リンさん」 「そこの!」 いきなり父役がリンと千尋の方を向いて怒鳴り、二人は体をすくめた。 「まだ話の途中だぞ!」 「すいませんー」 「おい。いつまで話をしているつもりだ」 そこへ現れたのはハク。 従業員一同はほっと胸を撫で下ろした。 ―――千尋が来てからというもの、ハクはかなり物わかりの良い上司となっている為、父役兄役よりも慕われる事が多くなっていた。 これで長い話も終わるだろう。 「そろそろ終わりにして酒を配りなさい」 「は、はいっ」 従業員達が期待した通り父役の話はあっさりと終わりを告げ、皆に酒が振る舞われ始める。 歓声が部屋に響くなか、千尋はそっとその場から抜け出した。 「……お酒貰っても飲めないし、今日はもう早くねちゃお……」 ぺたぺたと音をたてながら廊下を歩いていた千尋は、後ろから呼び止められて立ち止まった。 「千尋、待って」 「ハク?」 ハクが駆け寄ってくるのを待ってから「なぁに?」と問いかける。 「振舞酒、せっかくだから少し飲んだら?」 「私、お酒は飲めないし……」 「そうきつくないから大丈夫だよ。せっかくの湯婆婆からの贈り物だから」 ハクが千尋の腕をとって引っ張る。 ハクにそこまで言われると断れず、千尋はしぶしぶ元きた道を歩き出した。 「…………」 さっきまでいた場所は、すっかり宴会場と化していた。 「こ、これは……」 ハクも自分がいない間にここまでなるとは思っていなかったらしく、絶句している。 「ほーら千! お前も飲め!」 すっかり出来上がった従業員が酒が入ったコップを千尋に差し出してきた。 「あ……あの」 「ほら!」 コップを押しつけられて渋々千尋は受け取った。 濃厚な香りが鼻をくすぐる。 それだけで酔いそうだ。 「……全部飲まなきゃダメかな…」 「い、いや……そこまで飲む事はないと思うけど」 「ハクさま! 皆浴びる程飲んでおるのですぞ! ちびちび飲むなど許されません!」 従業員がぎん! と千尋を睨み付ける。 リンまでもが睨み付けているなか、千尋はコップを持ったままおろおろと周りを見回した。 (こ、これは飲まなきゃ殺される!?) コップをぎゅっと握りしめ、千尋は意を決したように中身を見つめた。 「ち、千尋?」 「いきますっ!」 そう気合いを入れると、千尋はそのまま一気にコップを傾けた。 「おおお〜〜!」 従業員たちが拍手をするなか、中身を全部飲み干してしまう。 「ぷは…」 くらりと千尋の体が揺らぐ。 「危ない…!」 慌ててハクが受け止める―――が。 千尋に全く反応がない。 「千尋!?」 ―――千尋はすーすーと寝息をたてていた。 「……はぁ」 ハクは脱力し深い溜息をついたのだった。 女部屋に運んできて布団に寝かしつける。 下ではまだ宴会が続いているので当分誰も帰ってこないだろう。 「んー…」 真っ赤な顔をして気持ちよさそうに眠っている千尋に掛け布団をかけてからハクは立ち上がろうとした。 「つ…」 くい、と服を引っ張られ転びそうになるのを何とか堪え、振り返る。 「…千尋?」 「いっちゃやだ……」 ハクの服の端を掴んだまま千尋が起きあがった。 真っ赤になった顔でじぃぃっとハクを見上げている。 「ハクもいよーよ、ね?」 「いや……ここは女部屋だから、私がここにいるのはまずいのだけど…」 「やだーいっしょにいようよー」 完全に酔いが回っている。 しかも下手に強いものを一気に飲んでしまった為にへべれけになってしまっているようだ。 「ねーいっしょにねよーよ〜。ねむいー」 「だ、だから千尋は寝ればいいよ……」 「いっしょにじゃなきゃいやあだー!」 「う、うわ!」 いきなり立ち上がった千尋がハクにのしかかってくる。 堪えきれずにハクは千尋もろとも布団に転がってしまった。 「あいたた……」 畳で後頭部をしたたかに打ち付けてしまいうめいたハクは、慌てて千尋を見た。 「千尋?」 ―――先ほどまであんなに暴れていた千尋は、ハクの胸にのしかかったまままたもやすーすーと寝息をたてている。 「……全く…」 後で従業員をきつく叱っておかねば、と思うあたり、ハクは千尋に相当甘い。 ともかくは千尋を引き離そうとするが、千尋の手がハクの水干をしっかり握っていて離れない。 「………はぁ」 離れない以上ここに寝かせる訳にはいかない。 ハクは千尋を抱き上げると自分の部屋へと向かって歩き出したのだった。 さて次の日。 「……あいたた……」 ガンガンと痛む頭を押さえ、千尋は呻き声を上げた。 「あたま、いたい……」 もぞもぞと動いてみて、千尋は自分以外の体温が傍にある事に気がついた。 「……? えええ!?」 自分であげた悲鳴が頭に響き、慌てて頭を押さえる。 「……千尋…?」 ハクがすぐ隣で眠そうな声をあげている―――どうやら今さっきの千尋の悲鳴で目が覚めたらしかった。 「え、あのっ、私っ……」 「千尋は酔いつぶれて眠ってしまったんだよ」 ハクは身を起こすと布団から出た。 仕事着のまま眠ってしまった為か、あちこちに皺が出来てしまっている。 「も、もしかして……かなり迷惑かけた……?」 千尋の方も身を起こすが、ちょっとでも体を揺らすと激しく頭が痛み、言葉が続かない。 その様子にハクが気がつかない筈がない。 「今日のところはゆっくりと休んでおいで。後で薬を持ってくるから」 とてもじゃないが起きていられないほどの頭痛に、千尋は言われるままに横になった。 「ごめん……今日は寝かせて貰うね……」 「気にしなくていい。ここは私の部屋だから誰も邪魔はしないだろうから、ゆっくり眠れるよ」 「うん……」 それだけ言うと、千尋は再び目を閉じた。 眠ってしまったのか目を閉じただけなのかは分からないが、これ以上は話しかけない方がいいだろう。 ハクはそう判断するとそっと部屋から出て行った。 「千の具合はどうだ?」 さすがに悪いと思ったのだろう、リンがハクに話しかけて来た。 「ひどい二日酔いに悩まされてるようだが、休めば大丈夫だろう」 「そうか……ところで、ハク」 そのまま通り過ぎようとしたハクは呼び止められて振り返った。 「何だ?」 「―――お前、何でそう上機嫌なの」 「………お前には関係ない」 言い切って歩いていくハクを見送り、リンは腕組みをした。 「……ぜってーやましい事を考えてるに違いないんだよな、あの顔は……」 酔ってハクにしがみついたまま眠る千尋が寝言で呟いた言葉。 離れてくれない為仕方なく一緒に眠ろうとしたハクは、千尋が小さく呟いたその言葉を聞き逃さなかった。 ―――ハク……だいすき…… 顔が自然とほころぶのを隠しきれないハクさまであった。 END |
新年あけましておめでとうございますm(_ _)m 2005年もどうぞ宜しくお願い致します。 という事で新年ネタ。お正月ならば振舞酒の一つや二つくらいあるんじゃないかと勝手に想像してみました。休みはなさそうですしね、湯屋って………。 ところで、ハクさまはよれよれの水干のままでご出勤したことになりますが……大丈夫なんだろうか??(汗) |