過去と未来







今日は忙しかった。

千尋を指名する客が殊の外多く、その相手で今日の仕事が終わってしまった。

指名といっても物珍しさから話し相手に呼ぶ客が殆どで、なかには咲耶姫のようにお気に入りにしてくれている客もいる。

「お疲れさま、千尋」

ぐったりとした様子で歩いていく千尋に、後ろから話しかけてきた者がいた。

この声は振り返らなくても分かる。

「ホントに疲れたよ、ハク……」

振り返るとハクがくすくす微笑んでいた。

「私を指名してくれるのは嬉しいけど、こうも立て続けだと……その他に自分の仕事もしなきゃいけないんだからっ」

ハクが相手だと思うと気がゆるみ、ついつい愚痴も出てしまう。

「かなり疲れてる頃だろうと思ってね。明日、空いている?」

「明日?」

「そう。遊びに出かけないかい?」

頷くハクに千尋はぱぁっと顔を輝かせた。

「行くっ! 絶対行く!!」

あまりの勢いにハクの方が後ずさってしまう程だ。

「じゃ明日、橋のたもとで」

「うん!!」

女部屋へと戻っていく千尋の足取りは先ほどよりも全然軽い。

その様子を見て安堵の溜息を漏らしたハクであった。








竜になったハクの背に乗り、空を駆けていく。

二人でいられればそれでいいので、何処に行くかという事も決めずにただ空を飛ぶ。

「―――あれ?」

銭婆の家も過ぎ果てに近い場所に来たところで、千尋は目を凝らした。

何かがきらっと光ったように見えたのだ。

「何か見える。ね、ハク。あれ何だろう?」

ハクが目を凝らすように首をもたげそのままその場所へと向かって急降下していく。

”それ”がぐんぐん近づいて来、千尋の目でもハッキリと見えてきた。

「あれ、板……?」

空から見たら小さく見えたが、高度を下げるにつれてそれがクリスタルのようなもので出来たかなり大きい板である事が分かってくる。

それが大地から生えているのかそそり立っている。

大地に降りたハクの背から降り、千尋はそれにおそるおそる近づいていった。

人間の姿に戻ったハクも同じように近づいていく。

「これ、何だろうねハク……」

「随分と強い力を感じるけど……害のあるものではないようだ。もしかしたら力を増幅するようなものかもしれない」

「ふーん」

千尋は近くまで近寄り、顔を近づけた。

まるで鏡のように反射する表面に千尋の顔が映っている。

「千尋、害はないといっても気をつけるんだよ……」

「うん」

―――ふと表面に何かが見えたような気がして、千尋は目を凝らした。

しかし自分の目ではそれ以上見えない。

「ハク、ねぇハク。ちょっと来てみて……」

目を凝らしたままハクを手招きする。

「何か見えるの……」

隣にやって来たハクが同じように顔を近づけてじっと表面を凝視する。

「―――これは……」

ハクの目には何か見えたらしく、千尋以上に表面を見つめている。

「……千尋、手を貸して」

突然ハクが千尋の方へと向いて手を差し出してくる。

「え?」

「面白いものを見せてあげる」

千尋が頷くよりも早くハクは千尋の手を取り、その板の表面にもう片方の手をぴったりと重ね合わせた。

その途端ハクの手がずぶずぶと沈み始める。

それどころかハクの腕までも沈み、身体までもがその表面の中へと消えてしまった。

「な、な、何なのハク〜〜〜!!!?」

叫ぶ千尋の腕もハクに引きずられるように表面へと沈んでいく。

水のなかに沈むような感覚が腕にまとわりついていき、千尋は身震いした。

「や、やだ、怖いよハク……むぐ」

その言葉を最後に千尋の身体も全てクリスタルの板のなかに消えてしまった。











闇とも光ともつかぬ微妙な空間のなかを降りていく。

自分の腕を掴むハクの手の強さは感じるが、いつも感じる筈の足の下の地面の感覚はない。

水のなかにいるような感触はあるものの息苦しくはない。

何処までも不安定な空間を、ハクと千尋は漂っていた。

―――と。

突然目の前が開けた。

あまりにも早変わりした景色に目が追いつかない。

「千尋、大丈夫?」

ふと気がつけばハクが目の前でひらひらと手を振っていた。

「あ……だ、大丈夫よ」

足には大地の感触が戻り、辺りの景色は―――あの湯屋のある世界ではなく、千尋が住む世界のものだった。

「……ハクが運んでくれたの?」

「いいや。私も気がついたらここにいた」

ごらん、とハクが指し示す方を見る。

そこには大きな電光のカレンダーと掲示板が、ビルのてっぺんで光っている。

「………!?」

そのカレンダーは、千尋が生きる年月よりも10年先を指し示していた。

「う、うそよね?」

「私もここまで大がかりな幻覚は作れないよ」

という事は10年先にタイムスリップしたという事だ。

きっとあの板がここまで二人を運んだのだろう。

ハクの腕をぎゅっと握りしめて千尋は改めて周りを見回した。

千尋の知る世界と良く似ていて、それでいて違う世界。

「……10年後ってもっと変わってるかと思ったけど、そうでもないのね」

「ぱっと見はそうだろうけど、人は違うよ。確実に」

「……そうよね。私も10歳年をとってる訳だし……」

そこまで言って千尋はハクを凝視した。

「って事は、27歳の私がいるってこと?」

「そうなるね」

―――千尋の表情が好奇心に彩られる。

また始まった、とハクは内心思っていた。

「……見たい、んだね?」

「うん!」

まぁ、そういうと思っていたけど。

そう思いつつも未来の自分というものにハクも興味がある。

「それじゃ行ってみようか」

「わーい!」

そうして千尋とハクは未来の自分に会う為に歩き出したのだった。









彼らが何処に住んでいるかというのを知るのは容易なことだった。

ハクにとって千尋の気配を辿るのはそう難しいことではない。

さすがにこの世界で竜になるのはまずいので、気配が指し示す方向へと二人で歩いていく。

自分たちが出現した場所から未来の自分たちはそう遠くないところに住んでいるらしい。

「―――ここだね」

ハクが立ち止まったのは街からは少し外れた緑溢れる一軒家の前だった。

「覗いていいかな?」

家の塀に半分隠れてそぉっと顔を覗かせる千尋に、ハクは苦笑を漏らした。

「ここまで来たんだから会っていけばいいじゃないか」

そう言うなりハクは家のチャイムを押した。

ぴんぽーん、という音が響き渡る。

「うわわハク!!!」

慌てふためく千尋に対してハクは何処吹く風。

「自分に会うのだからそんなに慌てる事はないと思うけど」

「……ハクって……」

怖いもの知らずだよね。

その言葉を千尋はぐっと呑み込んだ。




ややして出てきたのは――――。

「来ると思ってたわよ、二人とも」

「いらっしゃーい!」

「いらっしゃーい!」

髪をシニヨンにまとめた今よりもぐっと大人びた顔つきの千尋と、6歳くらいの男の子と女の子がドアを開けて出てきた。

「ま、待ってたって……」

「だってそうでしょう?」

驚く千尋に比べ、27歳の千尋の方はにこやかに微笑んでいる。

「私もあなたの歳で同じ事を経験したんだもの。今でもハッキリと覚えているわ」







家に招き入れられて、千尋はぎくっと足を止めた。

リビングに向かうと教えて貰った廊下の先に立つ人影がある。

黒髪を束ね白いシャツと黒いズボンを見につけたハクの姿が。

千尋が年齢を重ねて大人びているのに合わせているのだろう、ハクの方も大人びている。

「どうぞ、こっちへ。ゆっくりしていくといい」

示されるままに部屋へと入ると、そこは綺麗な畳敷きの八畳ほどの部屋だった。

すみっこにオモチャが転がっているのは先ほどの子供たちのものだろう。

「あの…」

千尋は前に座った10年後のハクの方におずおずと話しかけた。

「あの子供たちって……もしかしなくっても……」

「私と千尋の子だよ。双子なんだ」

あっさりと返事を返されて千尋の方が赤くなる。

「……もう一人宿してるね?」

ハクが確認のように尋ねる。

「やっぱり分かるのね。今5ヶ月だからまだおなかは目立ってないんだけど」

未来の千尋が二人の為にとお茶とケーキを運んできた。

その足元で先ほどの子供たちがきゃわきゃわとじゃれつきながらくっついて来る。

「ほら千鈴、千早。千尋は赤ちゃんがいるのだからそんなにまとわりついては駄目だと言っているだろう?」

ハクが苦笑して二人の子供をひょいと抱き上げて自分の膝に座らせた。

―――不思議なもので、それまでは2人の子持ちの父という雰囲気など全くなかったのに、こうして二人の子供に囲まれるとちゃんと父親に見える。

二人ともハクと良く雰囲気が似ている。

千尋と似ているところを探してみると、瞳の色がどちらも千尋と同じ茶の瞳だった。

「……良かったぁ」

ほっと千尋が胸を撫で下ろす。

「? どうしたんだい」

「顔が私に似てなくって良かったって思ったの。どっちもハク似だからすんごく美人になるね。あー良かったぁ」

自分似、と言われて改めてハクは未来の自分と未来の子供たちを見つめた。

―――あまり、嬉しくない。

「昔は私も面白くなかったが、実際に子供が出来れば違うよ」

未来のハクに言われるがどうもハクは納得が出来ない様子で曖昧に「ああ」と返すだけ。

その様子を二人の子供―――千鈴と千早は見比べていたが。

「昔のお父さんとお母さん?」

「おとーさん美人」

―――どうやら性格の方は千尋に似てしまったらしく、27歳の千尋の方が顔を赤らめた。

「この頃口達者になってしまって……今銭婆のところで訓練を受けてるのよ、二人とも」

「え? 訓練?」

ケーキを口に運びかけた千尋はえっと動きを止めた。

「二人ともハクの血を引いているということは、半分神の血を引いているって事になるでしょう? だから生まれた時から強い魔力を持って生まれて来てるの」

「それをコントロールする為の訓練を受けてるんだ。小学校に上がる前までに力をコントロールする術を身につけなければいけないから」

思いもよらなかった現実を聞いてハクと千尋は顔を見合わせた。

そういう話を聞くと現実味が湧いてくる。

二人は色んな事を乗り越えて今こうして目の前にいるのだ。

「……え?」

気がつけば、千早が千尋の膝に手をおいてじっと覗き込んでいた。

「ど、どうしたの? えっと……千早くん?」

「あそぼ!」

それを聞いて千鈴も千尋の方へとやってきた。

「ちはやずるい! ちすずも遊ぶの!!」

「―――今千尋……こっちの千尋が身重でなかなか二人の相手をしてあげられないんだ。私ではどうも役不足のようでね」

向こうのハクが苦笑を漏らす。

それを見て千尋はうん、と気合いを入れるように頷いた。

「よーし! 一緒に遊ぼう!!」

「わーい!」

「あっちいこ!」

「千尋…」

ハクが止める間もなく千尋は二人に引きずられて向こうの部屋とやらに行ってしまった。

「……会うのを躊躇していたのは一体誰だ」

そんな愚痴が出てしまい、ハクは口を押さえた。

未来の千尋がくすくすと微笑んでいる。

「そういう処がやっぱり若い竜ね、ハク」

「………」

千尋からそういう言葉をかけられるとは思わず、ハクは居心地悪そうに俯いた。







千早と千鈴の二人は6歳という年齢もあってか、とにかくパワフルだった。

千尋がへとへとになるまで鬼ごっこだかけっこだブロックだままごとだと連れ回され。

ようやく千早が畳の上に転がってすーすーと寝息をたてたのにつられてか、千鈴の方も寝息を立て始めて千尋ははぁ〜〜〜っと大きな息をついた。

「つ、つっかれたぁ〜〜……」

腰をトントンと叩いていたところへ、ハク―――子供たちの父親の方だ―――が入って来た。

「お疲れさま、千尋。疲れただろう?」

「つ、疲れた……」

「銭婆のところでの訓練が結構厳しいみたいでね、家に帰ってくるとはしゃぎまくってるんだよ、二人とも」

ぐったりとした子供はかなり重いだろうに、軽々と二人を抱え上げる。

「そろそろ行った方がいい。過去の私がやきもきして待っているよ」

「あ」

まずい、ハクの事をすっかり忘れていた。

とるものもとりあえず千尋はわたわたと立ち上がると、最初に案内された部屋の方へと戻っていった。





「ごめん、ハク!」

そこでは27歳の千尋とハクとがなごやかに話をしているところだった。

「ああ、千尋。子供の相手お疲れさま」

―――何となく面白くない。嫉妬する相手が未来の相手っていうのがちょっと不条理だけども。

「そろそろ時間が来たようだよ」

「時間?」

「私たちも元の世界に戻らなければならないだろう?」

どうしてそんな事が分かるのだろう、と辺りをキョロキョロ見回す。

「あっちよ」

未来の自分が指し示す方向を見る―――と。

庭に見覚えのあるクリスタルの壁が見えていた。

「あ……!」

「あれに触れれば元の世界に戻れるわ」

千尋が立ち上がる―――おなかを庇いながら立ち上がる様子に、彼女が妊婦なのだという事実が思い知らされる。

「いいよ、見送りは」

「同じ自分どうしで気にすることないでしょ?」

まぁ、確かに。

何となく千尋は納得し、そのままハクと共に庭の方へと歩いていった。




クリスタルの板は微かな光を放っている。

まるで千尋たちを導くような光を見ていると、安らぎを感じてほんわかしてくる。

「帰りはまっすぐ歩けばいい。そうしたら湯屋のあるあの世界に出るから」

子供らを寝かしつけたハクが27歳の千尋の横に立った。

「元気で」

「うん。元気な赤ちゃんを産んでね」

17歳の千尋の言葉に27歳の千尋は吹き出した。

「最初に双子を産んでるから怖いものはないわね」

―――母となると女性はこんなにも強くなるものだろうか。

こんなに強い自分に、私はなれるんだろうか??

「千尋、行くよ」

ハクに促され、千尋はハクの手をとって板に手を触れさせる。

来た時と同じようにずぶりと手が沈み、水のような感触が肌を包み込んだ。

完全に身体が沈み込む寸前にもう一度振り返る。



大人びた自分と、大人びたハクが、二人寄り添ってこちらを見つめている。

―――あんな夫婦に、私たちがなれるのかな?

千尋の目に映ったのは、二人の姿が最後だった。









向こうのハクが言った通り、帰ってきた場所はあのクリスタルの板を見つけた場所だった。

ただ、もうあの板は何処にも見あたらない。

千尋たちが帰ってきたらその役目は果たしたと言わんばかりに、その姿がかき消えていた。

「……あんな夫婦に、私たちなるのかな?」

呟いたつもりの言葉をハクはしっかりと聞いていたらしい。

「なれるよ」

「……うん、そうだね」

改めて思うと気恥ずかしい。

だが千尋はしっかりとハクの言葉に頷きを返したのだった。












それから時は流れ。

「ね〜〜おか〜〜さん、遊ぼうよ〜〜」

「ダメだって言ったでしょちはや! おかーさん、赤ちゃんがいて苦しいんだっておとーさんが言ってたじゃない」

「だぁってぇ……」

半泣きの息子と口達者な娘を前に、千尋はそっとおなかを撫でた。

「もうちょっとしたら落ち着くから、そうしたら沢山千早、千鈴と遊んであげられるわよ。それまではハクと遊んでてね?」

「でもおとーさん、おままごととか出来ないし」

――――まぁ、そうだろうと思う。ハクにその遊びはちょっときついだろうと。

とその時。

ぴんぽーん、というチャイムが鳴り響いた。

「おきゃくさん?」

いつもの調子で「はーい」と返事を返そうとした千尋は、はっと気がついた。

この情景―――このタイミング。

もしかして―――

「ハク!」

千尋は代わりにハクの名を呼んだ。

向こうで仕事をしていたらしいハクがリビングへと姿を見せる。

「どうしたんだい、千尋?」

「ほら―――あの時よ。あの”時”が巡って来たんだわ」

そう言われてハクも思い当たったらしかった。

「そうか……もうそんな時が来たんだね」

―――そうだった。

あの時私たちはドキドキしながらこの家にやって来たんだった。

そしてこの子供たちを見て驚き、私たちを見て憧れの感情も抱いた。

その立場に今私たちはなっているのだ。

千尋は感慨深げに目を閉じ―――それから目を開けて立ち上がった。

「私が出迎えるわ。ハクはここでお出迎えをしてあげて」

「うん」

「ボクもついてく!」

「いやん、あたしもよ!」

千尋の足にくっつかん勢いでじゃれついてくる双子の頭を撫でて、千尋は優しく微笑んだ。

「それでは、みんなでお出迎えしましょう」

―――過去の私とハクを、出迎えてあげましょう。









END

前回過去と未来の二人が会うというリクで書いたのですが、私がうまくリクの内容を理解出来ていなかった為もう一度リベンジ(謎)という意味を込めて書いてみました。ちなみにここに出てきた双子ちゃんは作品81に出てきた千鈴と千早の双子です。あれから年数がたってるので6歳くらいになっております。作品中に出てくるクリスタルの板は私的にはモノリス(2001年宇宙の旅に出てくるアレです)をイメージしてみました。あの世界にあんなものがあったらびっくりするだろうなぁ……。




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