緊張


123456キリ番作品









「千尋、もう時間よ!」

「はぁい!」

千尋はランドセルを背負うと、扉を開けた。

「いってきます」

玄関の扉を開けた先に見えるのは、緑溢れる世界。

ちょっと道に出て下を見下ろすと―――――森へと続く道が見える。

あの道に入り込んだ時から、千尋の人生が変わった。

そして現実に戻って来てから、最初の登校日。



それまで荻野家は大変だった。

テレビのレポーターが来たり、雑誌の取材が来たり、近所の人たちからは「静かな日常を害した」と疎ましがられたりもした。

だから、千尋は1ヶ月間学校に行けなかった。





――――怖い。

正直、学校には行きたくない。

人の生活などお構いなしにやってくるマスコミや、近所の人たちの決して温かくない視線を、嫌というほど感じて来ていたから。

子供というものは、時に大人以上の残酷さを示す。

大人ならば「社交辞令」というものもあるだろうが、子供にそんなものはない。

そして、千尋の家の事はこの町中に広まっている筈だ。


――――苛められたら、どうしよう‥‥‥。


それが怖かった。

湯屋での苛めは、リンが庇ってくれて、ハクが元気づけてくれたから、乗り越えられた。

でもここでは、助けてくれる人は誰もいない。



――――怖い‥‥!



出来るなら逃げたい。

あの湯屋の方が、千尋に優しかった。

この世界は、嫌だ――――――



「何してるの、学校遅れるでしょ。早く行きなさい!」

玄関で立ち止まっていた千尋に、母からの非情な声がかかる。



でも

でも



その時、風がさぁぁ‥‥と千尋を包んで舞い上がっていった。

「‥‥‥‥!」

千尋にはその風が自分を励ましているように思えて。

風に背中を押されるようにして、千尋は一歩踏み出した。



――――頑張らなきゃ。

――――ハクが帰ってきた時に情けない女の子になってたら、顔が合わせられない。




「ハク‥‥‥あたし、頑張るから」

「見てて。ハクがこの世界に戻ってくる時までに、ステキな女の子になってるからね」


千尋は風にそう囁くと、学校に向かってぱたぱたと走り出した。











「この街に越して来て早々大変だったわね、荻野さん」

千尋の新しい担任になるという先生は、母と同じ年くらいの女性の先生だった。

「暫くはなじめないだろうけど、おいおい慣れてくるだろうから」

「はぁ‥‥‥」

新しくクラスメートになる子たちは、どんな子だろう。

すぐに仲良くなれるかな。

ああ、足ががくがくする。

緊張する。

千尋は汗ばんだ手でそっ‥と髪を留めている髪飾りを撫でた。

銭婆たちが作ってくれた髪飾り。


――――お守り、だよ。


銭婆の声が脳裏に甦って来たとたん、不思議と震えは止まった。

「荻野さん?」

はっと気づくと、担任は既に職員室を出ようとしていた。

「あ、は‥‥はい」


――――大丈夫! 大丈夫‥‥‥湯屋の出来事に比べたら、どって事ない!

千尋はそう自分を奮い立たせると、担任の後に付いていった。





千尋が編入する4年A組は、にぎわっていた。

担任ががらがらと扉を開けたとたんに、席から離れていた子たちが慌てて席に戻っていく。

「きりーつ。きをつけー。れーい。ちゃくせーき」

おきまりの号令の後、千尋は教壇の上に立たされた。

クラスの人数は20名程度。

全部で40の目がじっとこっちを見ている。

千尋は思わずごくん‥と息を呑んでしまった。

ひそひそ、とささやき合う声が聞こえてくる。

おそらく「神隠しにあった子だ」とでも噂しているのだろう。



「えー、荻野千尋さんです。皆も知っての通りだと思うけど、荻野さんはこの街に来る時に、ちょっとした事件に巻き込まれてしまいました。その為に色んな大人たちに心ない言葉をかけられたりした為に、今日まで学校に来る事が出来ませんでした。早くこの学校に慣れるように、皆も仲良くしてあげて下さいね」

さぁ、と促されて、千尋はクラスを見回した。

じっと千尋を見る視線が痛い。

――――でも、頑張るって決めたんだもん、私!

「‥‥荻野、千尋です。よろしくお願いします!」

大きな声で告げてぺこりと頭を下げる。

‥‥‥‥そのまま頭が上げられない。

皆が一体どんな表情でこちらを見ているのか、知るのが怖い。



「よろしくねー、荻野さん!」

その声に千尋は慌てて頭を上げた。

声をあげたのは、ちょっと気の強そうな女の子。

それをかわきりに

「よろしくっ!」

「頑張ろうねー!」


そんな声があがる。

千尋はいつの間にか浮かんで来た涙を拭って、もう一度「よろしくお願いします!」と頭を下げた。








休み時間。

「実はね、荻野さんの事をどう扱おうかってクラスのみんなと話してたんだ」

隣の席になった糸崎晴美、という少女が話しかけて来た。

さっき、最初に千尋にエールを贈ってくれた子だ。

「え、わ、私のこと?」

「うん。荻野さんってこの街ではちょっとした有名人じゃない? マスコミがやって来るなんて、この街では滅多にない事だったから」

千尋は狼狽を押し隠しつつ、「それで?」と先を促した。

「増川先生‥‥‥あ、担任の先生ね、は「仲良くしてあげましょう」って言ってたけどさ、どんな子かわかんないのに仲良く出来ないよねー、って話してたんだ、実は」

「‥‥‥‥‥」

「でも、見たらなかなか好感もてるし。笑顔結構可愛いしさぁ。前の学校とかでも言われた事ない?」

「え‥‥」

可愛い、など初めて言われた千尋は、赤くなって頬を抑えた。

「い、言われた事ないよ‥‥私」

「そなの? せっかく同じクラスになったんだし、仲良くしようね!」

「うん‥‥ありがとう」

そこまで話をした時にチャイムが鳴った。

晴美が慌てて席に着くのを横目に見ながら、千尋は密かに安堵の溜息をついていた。


――――もしも、湯屋で鍛えられてなかったら、私いじめの対象になってたのかな。






授業は滞りなく終わった。

クラスメートは皆千尋に親切で、千尋は最初に緊張していたのが嘘のように明るくクラスにとけ込んでいた。

「荻野さん!」

さっきの晴美がランドセルを背負って話しかけて来た。

「家、どこ?」

「え、とちの木公園をすぎたあたりにある、住宅地‥‥‥だけど」

「あ、じゃああたしんちと近い! 一緒に帰ろう?」

あたしんちは、ときの木公園のとこを右に曲がったとこなんだよ。

晴美はそう言いながらずんずん歩いて行く。

千尋は慌ててその後を追った。







他愛もない話をしつつ、公園までやってくる。

「じゃ、あたしここを右だから」

「うん、また明日ね、糸崎さん」

晴美はランドセルを背負い直した。

「糸崎さん、て何か他人行儀っぽいなぁ。晴美でいいよ。そのかわり、私も千尋って呼ぶから」

「え」

「いいでしょ?」

「う、うん。いいよ」

晴美はにっこりと微笑んだ。

「それじゃあ、また明日ね、千尋!」

そういうと晴美はぱたぱたと駆けていった。

千尋はその後ろ姿を暫く見送っていたが、晴美の姿が100メートルほど離れたところで、大声を張り上げた。

「またね、晴美!!!」

晴美は振り返って、大きく手を振って答えてくれた。






行きとはうって変わって足取りも軽く、千尋はるんるん気分で家への道を歩いていたが。

ふ‥‥と足を止めた。

そこは、あのトンネルに向かう森の入り口。

千尋は立ち止まって、その森の入り口を見つめていた。



ここから、全てが始まった。

色んな事があったけど、私はこうして現実に戻って来た。

「‥‥‥‥ハク」

私、頑張るからね。

だから、ハクも頑張って。



千尋はランドセルを背負い直すと、家への道を走りだした。








END

お待たせしました、123456キリ番作品です。神隠しに遭った後の千尋の学校生活を‥‥というリクで、登校日初日を書いてみました。その後をだらだら書いてもあんまり楽しくないかな‥‥なんて(^^;
私が小4だった頃はもう遠い昔ですが、今の小4ってどうなんでしょうね。近所の子を見ている限りは、多少ませた部分はあってもまだまだ可愛い盛り、に見えるのですが。




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