Complex

その1






夕飯の用意は出来てる、掃除もすませた、ヒンの餌も大丈夫………。

いちいち指さし確認をして全て大丈夫、と納得してからソフィーは「うん」と頷いた。

「カルシファー、出かけてくるからねっ。帰りはちょっと遅くなるかも」

「何処に出かけるんだい?」

ハウルに買って貰ったレモン色のワンピースに白い帽子をかぶり、ソフィーはふふっと微笑んだ。

「チェザーリへ行ってくるの。あそこのケーキをお土産に買って来てあげるわ」

「ぼく、ショートケーキがいい!!」

今まで黙って聞いていたマルクルが凄い勢いで手をあげた。

「分かったわ。木イチゴが沢山乗った奴ね? おばあちゃんは何がいい? 新しく売り出された赤ワインを使ったケーキを買って来ようか?」

「いいねぇ。それと一緒にお酒も買って来てくれると嬉しいんだけどねぇ」

おばあさんの言葉に苦笑を漏らして、「今日だけよ?」と付け足してから、ソフィーはしゃがみ込んだ。

そこにはヒンがしっぽを振って待っている。

「ヒンにも買って来てあげるから楽しみにしてて」

「ヒン!」

それから立ち上がり、ソフィーはカルシファーに向き直った。

「カルシファーは何でも良かったのよね」

「おいら好き嫌いないもーん」

確かに卵のカラを美味しそうに食べてしまうのだから、ケーキなどあっという間に燃料となるに違いない。

「……と、ハウルはいないのかしら?」

さっきハウルがこの部屋からいなくなるのを確認してからこの言葉を切り出したのだが、あくまでも知らんぷりで皆に尋ねる。

「さっき浴室に向かったから、お風呂に入ってるんだよ、きっと」

「そうなの」

さりげなさを装いつつも、ソフィーは心のなかでガッツポーズをとっていた。

(よっし、ハウルの足止め成功!)

「しょうがないわね、ハウルのものは適当に選んでくるわ。それじゃ行ってきまーす」

扉の取っ手を回し街へと繋げると、そのままソフィーは足取りも軽く出ていった。

「……たかだかケーキ屋に行くのにあんなに嬉しいもんなのかなぁ」

「さぁ……」

「チェザーリにはあの娘の妹がいるのさ」

おばあさんの言葉にカルシファーとマルクルは「えっ」と声を上げた。

「妹に会うから嬉しいんだろ」

二人がへ〜〜、と声をあげた時。

「ソフィーは?」

ハウルが姿を現した。

思ったよりも早くあがって来たハウルに、マルクルが目を丸くしている。

「今出かけたよ。チェザーリに行くってさ」

カルシファーが伝えると、ハウルは「チェザーリに?」と問いかける。

「ソフィーの妹がいるから会いにいくんだろうって、おばあちゃんが」

「ふうん……」

何か考えていたらしいハウルは、椅子にかけてあった上着を引っかけると「出かけてくるから」とだけ断ってそのまま扉の方へと歩き出した。

「え、何処へ行くんですか、ハウルさん?」

マルクルの言葉には満面の笑みで答え、ハウルは扉を開けて出て行ってしまった。

―――扉の色は、さっきと同じ街への道を示している。

ハウルがソフィーの後を追ったであろう事は、幼いマルクルにだって分かる。

相変わらずの執着ぶりに、マルクルとカルシファーは「は〜〜」と溜息をついたのだった。







「えっと……こっちかな」

何しろチェザーリの店には一度しか行った事がない。

しかも途中兵士に絡まれたのをハウルに助けて貰ってからは、空中を歩いてチェザーリに行く羽目になったので、正規のルートを通っていない。

よってソフィーがチェザーリまでの道をきちっと辿るのはこれが初めてだった。

(―――あたし、少しは美人に見えるかな? あたしを見てレティーは驚くかな)

妹が驚く顔を想像して、ソフィーは笑みを漏らした。

ハウルに毎日毎日「綺麗だ」だの「美人だ」だの言われ続ければ、ソフィーも少しはその気になる。

それもあって思い切ってあの日以来一度も会っていない妹に会いに行くことにしたのだ。

ちゃんと自分でこの道を選んで、自分の思った通りに生きてるんだというのをレティーに知って欲しかったから。

「……この角を右…ね」

裏通りに迷い込んでしまい、キョロキョロと辺りを見回す。

そしてもう一度メモに目を落として、ソフィーは溜息をついた。

「―――んっと、あっち、かな……」

「こっちだよ」

すっと指し示す指が見え、ソフィーはえっと振り返った。

「……ハ、ハウルっ……何でここにいるのよ」

にこやかに微笑むハウルがそこにいた。





「僕を置いていくなんてひどいよ、ソフィー」

「ひどいも何も、あたしはただケーキを買ってくるだけよ?」

「僕はいつだってソフィーと一緒にいたいって思ってるのに。ソフィーはそうじゃないの?」

「それとこれとは別。今日あたしは一人でお出かけしたいんだから、ハウルは戻って」

「……ソフィーは僕と一緒にいたくないんだね」

「………」

「無言って事は、やっぱりそうなんだ?」

大通りをずんずんと歩いていたソフィーだったが、後ろから追いすがってくるハウルの声が段々と泣きそうなものになってきているのにほだされてスピードを弛めた。

「…一緒にいたいって思ってるわよ、いつだって」

「じゃ、ついてっても問題ないよね」

―――さっきまで半泣きの声を出していたのが嘘のようにハウルはけろっとした表情でソフィーの腕をとって自分の腕に絡ませた。

「ち…ちょっと、一緒に行くってまだ返事した訳じゃ……」

「チェザーリはあっちだよ。さ、行こう」

―――これは確信犯だろうか。……それとも?

くるくると変わる表情と感情はハウルの魅力の一つだが―――こうまで変わられると確信犯じゃないか、とちょっとだけ勘ぐってしまうソフィーであった。










チェザーリは相変わらず大繁盛だった。

確かにこの街一番美味しいケーキと謳われるほどのお店だが、その繁盛の半分は妹レティーの存在があるだろう。

ここに通ってくる男性客の殆どが美人で愛想が良くしっかり者のレティー目当てなのだから。

客でごった返しているチェザーリを目の前にして、ソフィーは足を止めた。

「? どうしたの、ソフィー?」

「……ハウルも一緒に入る……んだよね?」

「当たり前だろう? ここまで来て僕だけおいてきぼりにするつもり?」

「そういう訳じゃないけど……」

―――チェザーリにハウルを連れて来たくなかった理由。

今まで漠然としか感じていなかった不安がここに来て急激に大きくなってきて、ソフィーはぎゅっと胸を押さえた。

「……ソフィー? 具合でも悪い?」

心配そうに覗き込んでくるハウルにソフィーは笑みを浮かべた。

「…ううん、行きましょう」

そうしてソフィーは、チェザーリのドアを押した。





チリチリ…と軽やかなベルの音が鳴り響き、「いらっしゃいませ」という声が聞こえてくる。

ざっと店内を見回すと、ちょうどティータイムの為か席は空いてはいなかった。

カウンターの方を見ると、一所にだけ人だかりが出来ている。

きっとあの中心にレティーがいるに違いない。

「あのお客様。ただ今満席になっておりまして……」

ウェイトレスが心底申し訳なさそうに声をかけてくるのをソフィーは「あ、そうではなくて」と遮った。

―――どうしよう。

ここで帰ってしまえば……妹に会わせなくてすむ、けど――――。

「ここで働いているレティーに会いに来たんだ」

ソフィーよりも先にハウルが言葉を返していた。

「ちっ…ちょっと!」

「だって会いに来たんだろう? 会ってかなきゃ」

「でも、レティー、忙しそうだし……また来ればいいのよ。いつだって会えるから」

今日は何とかハウルを言いくるめて帰ろう。

ハウルが何処かに出かけた時を見計らってチェザーリに来ればいいんだし。

その展開を期待していたソフィーの目論見は、次の瞬間打ち砕かれた。

「お姉ちゃん!?」

店内にレティーの声が響き渡る。

見ればカウンターから出てきたレティーが、ソフィーを凝視していた。

「……レティー…」

―――見つかった。

客たちが何事かと見つめるなか、レティーはソフィーに走り寄った。

ぎゅっとソフィーの手を握りしめてくる。

「今までどうしてたのよ、お姉ちゃん!! 突然姿を消して、今は掃除婦として働いてるってお母さんから聞いただけで、全然音沙汰もないし……それにその髪どうしたの! 染めたの?!」

矢継ぎ早に問いかけてくるレティーにソフィーはただ「ええ」とか「あの」とか言うばかり。

聞きたい事を全部吐き出してようやくハウルの存在に気がついたのか、レティーの視線がハウルに向けられた。

「……ところでお姉ちゃん。この方はどなた?」

「あ……この人は」

ソフィーが言うよりも早く、ハウルが口を開いていた。

「僕の名前はハウル。宜しくね、レティー」

ハウル、という名を聞いた途端、それまで我関せずに喋っていた者たちまでもがしーん、と静まりかえった。

あちらこちらでひそひそと「ハウル?」「もしかしてあの?」「魔法使い?」という声が聞こえてきている。

ソフィーはおろおろハウルとレティーを見比べるばかり。

「……ハウル……って。あの、動く城に住むという……魔法使い、の?」

レティーが震える声で尋ね返す―――よせばいいものを、ハウルは満面の笑みを浮かべてハッキリと告げたのだ。

「そうだよ。僕が魔法使いハウルだ」



その後の店の中が大パニックになったのは言うまでもない。










HOME                NEXT