Complex
その2
レティーによって店の裏へと引きずり込まれても、まだ店は大騒ぎだった。 はぁはぁと何度か息をついてようやく動悸がおさまってきたところで、ソフィーはきょとんとしているハウルに向き直った。 「……もう、ハウル!! あんなところで名前を言ったりしたら皆が大騒ぎするのくらい分かるでしょうに!!!」 「そんなにびっくりさせたのかな……」 不思議そうに小首を傾げるハウルは可愛らしいが、今はそれにほだされる訳にはいかない。 「当たり前でしょう!! あなた、自分の噂を知らないの?? 若い娘の心臓を食べる恐ろしい魔法使いだっていう噂が流れてんのよ、そんな魔法使いが白昼堂々と満面の笑顔で現れた日には大パニック間違いないじゃないっ!!」 「う……ご、ごめん……」 「それならせめてジェンキンスとかペンドラゴンとか名乗ってくれた方がまだマシだわ!! そのくらいの機転は利かせてちょうだい!!」 「ごめんてば、そんなに怒らないでよソフィー……」 ハウルが半泣きになったのを確認してソフィーはようやく矛を収めた。 これ以上うるさく言うと、落ち込んだハウルがまた色々とやらかしてしまう。 「今度やらかしたら承知しないわよ、ハウル?」 「分かったってば」 「……お姉ちゃん、変わったね」 レティーのそんな声が聞こえて来て、ソフィーは慌てて振り返った。 レティーは信じられない、といった表情でソフィーを見ている。 妹が知っている自分は、真面目で融通が利かなくて大人しい姿だけ。 ―――ハウル相手だと何故ここまで素直になれるのか、ソフィーの方が聞きたいくらいだ。 「あの恐ろしいハウルをここまで怒鳴りつけられるなんて」 「恐ろしい……」 という言葉にハウルを見る。 ―――この人のどこから恐ろしいという形容詞が生まれて来たんだろう? 可愛いとか、若しくは格好いいとかそういう形容詞の方が合うような気がする。 当の本人はきょとんとした様子でソフィーとレティーを見比べていた。 子供のまま大きくなってしまった少年、という言い方が一番彼には相応しい。 「まぁ……何をしでかすか分からないっていう意味では恐ろしいわね。かんしゃくを起こすと変なものは出すし、闇の精霊は呼び出すし」 「今は呼び出してないってば……」 拗ねた様子で訂正するハウルをソフィーとレティーの姉妹は見つめて、それから笑い出した。 「ほんっとびっくりしたわ。噂もアテにならないものね」 気さくなハウルの様子に気を許したのか、レティーはしげしげとハウルを見つめている。 姉妹だけならともかくハウルという存在があるせいか、気を利かせてチェザーリのオーナーがオフィスを貸してくれた。 そこで椅子に座って3人は話をしていた。 ―――と言ってももっぱら話しているのはハウルとレティーの二人だけだった。 「でも凄い美形だってのだけは当たってたみたいね」 「そう?」 「その黒髪。ここらじゃ珍しいけど、すごく綺麗よ」 「ありがとう。レティーは流石看板娘と言われるだけあって綺麗で可愛いね。それに頭もいい。お客さんに好かれる筈だ」 「ふふっ、有り難う。お客様に喜んで貰おうと思ったら可愛いだけじゃやってけないもの」 「チェザーリの看板娘の噂、隣の町にも伝わってるらしいよ」 「そうなの? それだったら嬉しいわ、お店の売り上げが伸びればあたしだってお給料増えるし」 「その分忙しくなったら遊ぶ暇もないんじゃない?」 「あたしはこの仕事が好きだから、お休みがないのを苦だって思ったことはないわね。お客さんと色々話をするのがとっても楽しいの」 楽しそうに話をするハウルとレティーの会話を、ソフィーは口を挟むでなくただ黙ってじっと聞いていた。 いつもそう。 別にレティーが嫌いな訳ではないし、レティーと二人で話す時にはいつも自然体で話が出来る。 だがそこに第三者が加わるとソフィーは口が挟めなくなってしまう。 ―――萎縮してしまうのだ。 ちらり、とハウルの様子を盗み見る。 (―――楽しそう、だ) 自分と話をしている時よりも格好良くて、凛々しい。 (やっぱ、美人で賢いレティーと話をしてる方が楽しいんだろうな) ずきん、と胸が痛んだ。 (あたしは美人じゃないし、気の利いた言葉の一つも言えやしない) ハウルと出会う前―――あの帽子屋でずっと閉じこもっていた時。 自分は何をしたいのか分からなくなっていた。 (―――っ) その時の昏い気持ちがわき出てくるような気がして、ソフィーは慌てて胸を押さえた。 (このままここにいたらあたしの方が闇に呑まれてしまう。頭を冷やさなきゃ……!) ソフィーはいきなりがばっと立ち上がった。 「ソフィー?」 面食らったようにハウルが尋ねるのをソフィーは手で制した。 「あたし、みんなにお土産買ってくるって約束したの。選んでくるから、ハウルとレティーはここで話してて」 努めて明るく言うが、どうも言葉がうわすべる。 ソフィーの不自然な明るさをハウルは不審に思ったようだった。 「それなら僕も行くよ」 立ち上がりかけるハウルをソフィーは無理矢理椅子に座らせた。 「ここにいて」 「でも」 「いいから」 「……お姉ちゃん?」 レティーが何か言いかけるのを察し、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。 「レティー、ハウルをお願いね」 返事を待たずにソフィーはそのままオフィスを飛び出した。 ずかずかと廊下を歩いて一階へと続く階段までやって来てから、ようやくソフィーは歩みを止めた。 黙って立ちつくしていると段々と心が落ち着いてくる。 (―――何でこうなんだろう、あたしって。ほんと、ばかだ) 涙が出てきそうになるのをぐいっと手の甲で拭う。 (一人で拗ねてるだけだ。レティーもハウルも悪くないのに。―――嫌な思いをさせちゃった) あまりにも子供じみた感情に怒りすら湧いて出てきて、自分の頬をはっ倒してやりたいくらいだ。 (……落ち込んでても、仕方ない) だんだんと気持ちが滅入ってくるのを振り払い、ソフィーは再び歩き出した。 (泣くのは、後。今はケーキを買わなきゃ。……ハウルにはちょっと良いものを買ってあげよう) そんな事を思いながら。 「ただいま……」 はっきりいってこのまま逃げてしまいたい気持ちが心の大半を占めていたが、まさかハウルを置いて帰る訳にもいかず、ソフィーは仕方なくそぉっと顔を覗かせた。 「やっと帰って来た。待ちくたびれたよ、ソフィー」 ハウルがすぐさま近寄って来て扉を開け、ソフィーの手を取る。 「そんなに迷ってたの?」 「そ、そういう訳じゃないけど」 「今買いにいかなくっても、後であたしが見繕ってきてあげたのに」 レティーも近寄ってきて話しかけてくる。 (―――あたしがいない間に、何か二人で相談したのね) 妙にソフィーにばかり話しかけてくる二人の様子にぴんと来て、胸がちくりと痛んだ。 (気を遣わせちゃった……) 本当に、出来るものなら自分をはっ倒してやりたい。 そうすればこの怒りも少しは収まるだろうに。 ソフィーはともすれば暗い顔になるのを堪え、何とか笑顔を向けた。 「ハウルにもちゃんと買って来てあげたから。後で食べましょうね」 「有り難う、ソフィー」 ―――ハウルの言葉が優しい。 きっとソフィーの心に気がついているに違いなかった。 |