ロンド
交錯の回旋曲

その1






三日前くらいからハウルの機嫌は良くなかった。

機嫌が悪いというよりも、苛立っているという表現の方が正しいかもしれない。

妙にぴりぴりしていて、ソフィーでさえも声をかけるのが憚られるほど。

マルクルやヒンに至っては近寄ることも出来ないほどだ。

おばあさんはいつもと同じ態度を貫いているが、ハウルにちょっかいを出さない処を見ると触らぬ神に祟りなし、と思っているに違いない。








「……ねぇ、一体どうしたの?」

カルシファーまでもが怯えて声をかけられない雰囲気のなか、決死の覚悟でソフィーがハウルに話しかけた。

「ここのところ凄くぴりぴりしてるじゃない……何かあったの?」

ハウルはその整った顔立ちを不機嫌そうにゆがめたまま、ふっとソフィーから視線を逸らした。

「……何でもない」

「何でもないって……とてもそんな風には見えないわよ」

「何でもないんだって」

言葉はさりげなさを装っているが口調は厳しい。

ぴしゃりとはねつけられて、ソフィーは押し黙ってしまった。

「……ごめん」

今にも泣きそうな表情になっているソフィーに気がついたのか、ハウルが息をついた。

落ち着きなく髪をかき上げ視線を彷徨わせる―――その様子にソフィーは首を横に振った。

「ううん……ごめんなさい。もう聞かないから…」

そのまま背を向けようとするソフィーを、

「まって」

ハウルは腕を掴んで引き留めていた。

そのまま抱き込むように背に腕を回す。

「……今はまだ話せないんだ。でも、もうちょっとしたらきっと話せると思うから……」

抱きしめる腕に力を込めて髪に顔を埋めて囁くハウルに、ソフィーはうん、と頷きを返した。

「分かったわ……無理はしないでね。……あなたがいなくなったらあたしは……」

不安そうに見上げ、言葉を紡ぐソフィーの唇にハウルは指を当てた。

「大丈夫だよ、心配しないで」

「……うん…」

「ね?」

「………」

明るく言ったつもりだったが、ソフィーの表情は強張ったままだった。









皆が寝静まった後、ハウルは上着を肩にかけた姿でリビングへと現れた。

「ハウル? どうしたんだ」

暖炉で眠っていたカルシファーが身を起こす。

「ちょっと出かけてくる」

「こんな夜更けにか?」

「………」

扉に近寄り取っ手を回す。

その色が黒なのを見てカルシファーが声をあげた。

「その扉はよほどの時しか使えないはずだろ」

「使わなきゃいけない事態になった」

「……一体何があったんだ?」

取っ手に手をかけたままハウルは押し黙っていたが、やがてリビングのほうへと戻って来た。

テーブルの上に何かをそっと置く。

「それ……?」

「護符だ。強い魔力をかけてあるからそこらの魔法使いよりもよっぽど頼りになる」

丸いメダルのような形をした護符は、真ん中に青い石がはめこまれその周りをぎっしりと文字が埋め尽くしている。

女性の手の平にすっぽりと収まってしまうくらいの大きさの護符からは、凄まじい力が発せられていた。

カルシファーはテーブルの上に置かれた護符に近づいて、顔をしかめた。

「これ…ハウルが作ったもんじゃないな。なのにここまでの力を発してるってことは……サリマンか?」

「…………」

その言葉をハウルは否定しなかった。

「ソフィーに渡して。肌身離さず身につけているように、と…」

「ハウル、一体何が起こってんだ? サリマンの護符を持ってるってことは彼女と会ったってことか?」

「………行って来る」

「ハウル!」

扉のところまでやってきて、ハウルはカルシファー振り返った。

「ソフィーを頼む。……出来るだけ外に出ないようにって伝えてくれ」

「へ?」

カルシファーが問い返すよりも早く、ハウルの姿は扉の外の暗闇へと消えていた。

ばたん、と扉が閉じられ、再び静寂がリビングを支配する。

「……んだよ。おいらにも秘密なんて水くさいぞ、ハウル……」

カルシファーの言葉は闇のなかへと消えた。










「……という訳なんだ。おいらにもさっぱりわかんないんだけど、ハウルからの言伝だから伝えない訳にもいかないし」

護符を受け取ったソフィーは、それを手のひらに乗せたまま固まっていた。

ヒンがそんなソフィーを不思議そうに見上げている。

「……何処に行くのか、カルシファーにも言わなかったのね?」

「ああ。……ハウルが何をしてるのか前は分かったけど、今はもう繋がってないからそれも分からないし」

ソフィーは大きくため息をついた。

「本当にもう……じっと待つ者の身にもなってほしいわ」

自分がどれだけ心配してるか、どれだけ不安な思いをしているのかハウルは知っているのだろうか?

危険なことをしてはいないか、傷ついてはいないか―――じっと無事を祈る日々を送っていることを知っているだろうか。

「……ヒン…」

ヒンがか細い声で鳴いたのに気がついて、ソフィーはしゃがみ込んでヒンの頭を撫でた。

「大丈夫よ、ヒン。あたしは大丈夫……」

「おはよう! おなかすいたーっ!」

二階からマルクルが元気よく降りてくる音が聞こえてくる。

ソフィーは立ち上がると護符をそっとポケットにしまい込んだ。

「さ、朝御飯にしましょう。カルシファー、手伝ってね」

「ん」

うって変わったように明るくなったソフィーに、カルシファーはやるせない気持ちを感じていた。

――――明るければ明るいほど、彼女の心が泣いているようにしか見えなかったから。











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