そして誰もいなくなった
その1
「……これ、何だろう?」 坊は壁に書かれた文字に顔を寄せた。 床も壁も古代文字で覆われたこの場所は、痛いほどに強い魔力を感じる場所。 一体いつからあるのか分からないそこは湯婆婆も滅多に立ち入らない場所らしく、坊がここにいるのもほんの偶然からだった。 「……ハクを見返してやる」 いつもいつもハクは千と一緒で、千もハクしか見てなくて。 きっとハクのほうが魔力も強くて何でも出来るから、千はハクの方ばかり見てるんだ。 そんな思いから湯婆婆の部屋を色々と探っていた坊は、何処かに繋がる鍵を本の間から見つけた。 あちこち探し回って、たくさんある湯婆婆の部屋なかでも一番隅にある、物置のような場所におかれている本棚の裏にある扉を見つけだした。 その扉を開けると下へと続く階段があって。 階段をひたすら降りた先にあった小部屋がここだった。 「……強い魔力を感じる」 この部屋自体にかけられたものなのか、それともこの壁いっぱいに描かれた文字に宿るものなのか、それは分からない。 だがこの部屋に入った時から坊は身体全体に強い魔力を感じていた。 「この文字が分かれば、きっとハクよりも強い力を手に入れられる」 そんな期待を抱きながら坊は覚えたての古代文字をゆっくりと解読していった。 「…この封印を……うーんと、永遠に、地の底で…」 かなり古くに書かれた文字らしく、所々がかすれて読めない上に坊には読めない文字も多い。 それでも何とか頑張って読んでいく。 ―――坊が読み進めていくたびに、少しずつ壁や床に描かれた文字が光り始める。 だが文字を読むのに必死になっている坊はそれに気がつかない。 「―――望みは、永遠の、休息……」 坊がその言葉を言い終わった瞬間、部屋に描かれた文字という文字が光り始めた。 「え!?」 光は瞬く間に部屋全体へと広がり、坊をも包み込んでいく。 「うわぁあ!」 目の前が、真っ白に染まった。 「あふ…」 「千、でっけぇ口」 思わず大あくびをしてしまった千尋ははっと口を押さえてリンを振り返った。 「!! 見た!? リンさん!」 ブラシをたててリンがにまにまと笑っている。 硫黄の湯の掃除当番である二人は先ほどからブラシで床を磨いていたのだが。 つい昨日まで学校の試験で殆ど寝ていない上、そのまま湯屋の方へと直行してきた千尋はどうにも眠くて仕方がない。 それでも仕事が始まれば気持ちも切り替わるため、恐らく眠気は吹っ飛ぶだろう―――が。 ここにいるのがリンだけだという気安さもあって、ついつい大あくびをしてしまった。 「見た見た、すっげでっけー口」 「もう!!」 「今の顔を見たら100年の恋も冷めるよなぁ」 リンのその言葉に千尋はさぁっと青ざめた。 「うそ……そう思う!?」 「思う思う」 「思わない」 リンの言葉を即座に否定する声が千尋の後ろから聞こえて来た。 はっと振り返る――と。 「ハク!」 「あーあ、ベタ惚れしてる相手がそう言うんじゃ、どうしようもねェよな」 ハクが腕組みをしてリンを睨み付けている。 「無駄口を叩かずにやりなさい。もうすぐ一番客が来るぞ」 どうやら千尋とリンが話をしているのを見て注意をしに来たらしい。 「へいへい」 「ごめんなさい、ハク」 幾らいつもは優しいハクとはいえど、仕事の時はやはり厳しい。 だがそれは働く者としては当然と千尋も思っているから、素直に謝って持ち場へと戻った。 「ハクに謝らなくていいんだよ」 ブラシをかけながらリンが小声で囁いてくるのに、千尋は首を横に振った。 「ううん、仕事中にサボってたのは私だもん。仕事の時はちゃんと働かなきゃいけないのは当然でしょ?」 「そうやってハクを庇うあたり、千もハクにべた惚れなんだよな〜」 ―――そう改めて言われると、やはり恥ずかしいものがある。 千尋は赤い顔を隠すように俯いて、床を擦る手に力を込めた。 「――と」 突然リンがブラシを止めた。 「いけね。オレ、一つ頼まれてた事があったんだ」 「そうなの?」 「悪ィ。オレそれを先に済ませてくるわ。ここ、頼んでいいか?」 「うん、ここはもうすぐ終わるから私一人でも大丈夫だよ」 リンはブラシを壁に立てかけると、千尋に向かって手を振った。 「なるべく早く帰ってくっから、後頼む!」 リンの姿を見送ってから再び床磨きを始めようとした千尋は、また手を止めざるを得なかった。 「千、湯婆婆さまがおよびだ。すぐに湯婆婆さまの部屋にいってくれ」 なにやら慌てた様子の兄役が急かすように千尋を呼んでいる。 「……はい、分かりました」 ―――一体何の用なんだろう? 不思議に思いつつも千尋はブラシをたてかけ、まくり上げていた袖を下ろして最上階目指して歩き出した。 |