Amnesia
その1
37000HIT キリ番作品
「きゃぁぁぁああっっっ!!!」 つるっ。 ごん!!!! 「‥‥‥あぃっ‥たぁ‥‥」 「おい‥‥ここで転ぶの、何回目だ?」 湯船から滑り落ちて、しこたま頭を打った千尋がうずくまっている。 「‥‥ううう‥数え切れない‥‥」 湯船の上でリンが呆れたような顔で千尋を見下ろした。 「ただでさえでもそんなに頭良くないのに、それ以上バカになってどーするつもりだ?」 「ひっどーい! そんなにバカじゃないもん‥‥」 「それとも、バカになる前に頭がぱっかり割れるかもしれねぇぜ?」 ぷーっと頬を膨らませていた千尋は「頭が割れる」という言葉にびくっと体を硬直させて息を呑んだ。 スプラッタな事が大嫌いにも関わらず、よせばいいのに想像してしまったに違いない。 それを知っていて、リンは言葉を続けた。 「頭がぱくっと割れて中からおびただしい血とともにノウミソが~~~~」 「きゃーきゃーきゃーやめてやめてやめてっ!! こわいこわい~~~!!!」 騒いでいた二人は、「仕事をしろ!!」という兄役の声に黙り込んだ。 「‥‥まぁそれはともかく、気をつけろよ? 割れるまでいかなくても打ち所悪かったら大変な事になるかもしれねーんだからな?」 「うん、わかった」 リンの危惧は、すぐに現実のものとなる。 仕事も終わり、従業員たちが談笑しながら帰っていく。 「千、先にあがるよー」 「はぁーいっ!」 後かたづけを忙しくしていた千尋は、両手に一杯桶を抱えて走っていた。 千尋の視界を遮るほどにたくさん抱え、千尋はおぼつかない足取りで走っている。 この桶を所定の場所に持っていけば今日の仕事はおわり。 という気持ちが千尋を弛ませたのだろう。 廊下が水で濡れている事に彼女は気がつかなかった。 つるっ。 えっ。 と思う間もなく、千尋は足を滑らせていた。 そして運の悪いことに 滑った場所のすぐそこは階段。 「きゃああああああああああああああ――――――――――!!!!!!!」 油屋に響き渡る悲鳴と、何かがぶつかる音。 その音は、自室で帳簿の書き付けをしていたハクの耳にも届いた。 「!? 千尋!!?」 さすがのハクも青ざめて自室を飛び出し、音が聞こえたところへと駆けつける。 果たしてそこには。 階段の下、散乱する桶の中でのびている千尋の姿があった。 「千尋! 千尋!!!」 ぐったりとした千尋を抱きかかえ、耳元で呼びかける。 頭を打っている可能性が高いので、揺さぶる訳にはいかない。 「誰か! 部屋を用意しろ!」 ハクの声に従業員が慌てふためいてすっ飛んでいく。 慎重に頭部に触れると、後頭部に大きいタンコブが出来ているのがわかった。 呼吸は正常。 心音もおかしいところはない。 だがもし内出血でもしていようものなら‥‥ 「ん‥‥」 ハクの腕の中で千尋がうめき声をあげた。 「千尋?」 うっすらと千尋が目をあける。 「‥‥いたたた‥‥」 意識が浮上すると同時にあちこち打った場所が痛み出したらしく、声が漏れる。 「千尋、大丈夫か? 激しい痛みはないか?」 暫く焦点があってなかった千尋の瞳が、ハクをとらえる。 そして 「‥‥‥あなた、誰?」 千尋はあろう事か、とんでもない事を口走ったのだった。 ぴき、とハクが固まる。 「‥‥千尋?」 「ちひろ‥‥? ちひろ‥‥千尋って‥‥誰のこと? 私のこと??」 思わず千尋を落としそうになりつつ、ハクはただただ千尋を凝視するしか出来なかった。 「きおくそーしつぅ!?」 リンの声が響き渡る。 耳をおさえつつ、釜爺が頷いた。 当の千尋は女部屋の布団の上で身を起こして、まわりを不思議そうにきょろきょろ見つめている。 そんな千尋を見つめるのは ハクと リンと 釜爺と 坊と 湯婆婆と 兄役と 父役と 青蛙と おねえさま達と およそ油屋の中の主立った人物は集まって来ていた。 「打ち所が悪かったんだろうなぁ。後頭部にでっかいタンコブができとる」 「全く役立たずな子だね‥‥名前どころか自分の記憶全部をおっことしちまうとは」 「湯婆婆様、千は今日は休ませた方がよろしいのでは‥‥おそらく仕事内容も全部忘れてしまっているでしょうから、役にたたないと思われますし‥‥」 父役の言葉に湯婆婆は大げさにため息をついた。 「しょうがないね、今日だけだよ」 本当なら石炭にでもしちまうところだけど‥‥と呟いた湯婆婆は、坊が目をウルウルさせているのに気がついて慌てて取り繕った。 「坊や、そんな事しないから安心おしよ~~~」 「千に何かしたらバーバの事嫌いになるぞぉ‥‥」 「わかってるよ、だから泣かないでおくれ坊やっっ」 二人はとりあえずおいといて、ハクは千尋に視線を向けた。 「ともかく千、ここでゆっくり体を休めなさい。記憶を取り戻すにしても何にしても、体が疲れているのは確かだろうから」 「あ‥‥はい」 千尋は不安そうにあたりをうかがいつつ、こっくりと頷いた。 「しっかしよぉ‥‥」 仕事場へと向かいつつ、リンがぼやく。 その声をハクが聞きとがめた。 「なんだ」 「頭打って記憶を落っことしちまったんだろ? 確かショック療法とかそういうのがあるんじゃなかったか?」 確かにそういう方法がいいというのは聞いたことがある。 だが。 「ということは何か? もう一度千尋に階段から落ちてもらうとでも??」 ゴゴゴゴ‥‥‥とどす黒いオーラをまとって近づいてくるハクに、リンはうっと後ずさった。 「い、いやそうは言ってねぇけど‥‥」 「ともかく」 二人の話の腰を折るように湯婆婆が声を出した。 「いろいろと試してみる価値はあるだろうね。階段からもう一度突き落とすのもよし、頭たたいてみるもよし‥‥」 「タライを落とすという手もございますです」 そう付け足した父役に、ハクはぎんっとにらみを利かせる。 そして 「‥‥千の記憶に関しては、私が責任を持ちますので任せてはいただけませんか?」 ハクはそう湯婆婆に切り出した。 「まぁいいよ。皆千にばかりかまってもいられないしね。ただし、仕事はさぼるんじゃないよ」 「はい」 どうやって記憶を戻すのか その方法をこれから探さなくてはならない。 「‥‥そうだ」 ハクはふとあることを思いついて、油屋の外に足を向けた。 誰もいないのを確かめて、白い竜へと身を変える。 白い竜の姿は、すぐに空の中へと消えていった。 |