痴話喧嘩
その2








それでもまぁ何日かたてば機嫌もなおるだろうとタカをくくっていたハクだったが。

3日たっても千尋が全く話しかけるどころか近づいて来ないのに、さすがに愕然としていた。

これはややこしい事になりそうな気がする。

原因が分からない以上力に訴え出てよけいに怒らせるのもまずい。

どうやってアプローチすればいいのかを考えあぐねて、ハクは1人ため息をついていた。





そんな時である。

不穏な噂を聞いたのは。



「‥‥‥その話はまことか?」

湯女たちの立ち話を耳にしたハクは、仁王立ちになって湯女に詰め寄っていた。

ただでさえ怖いという噂の帳簿係が怖い顔をして詰め寄ってくるのだから恐ろしさ倍増。

噂をしていた二人の湯女は半泣きになって「そうだ」とこくこく頷きを繰り返す。

みるみるハクの表情が険しくなってくる。

ぎゅ、と拳を握りしめたハクは、そのまま身を翻して歩き出した。



千尋が、湯女の仕事をしているらしい。

そんな噂を聞きつけ、事を荒立てまいと我慢していたハクは(ハクにしてはよく頑張ったと従業員達は噂していた)、千尋に事の真相を問いたださなければならない、といらだっていた。




オーラを漂わせながらずかずかと歩いていくハクに、客までもが道を譲っていく。

そんなハクがたどり着いたところは湯女たちが着替える控え室。

「‥‥‥そこに千はいるか」

さすがに男のハクがいきなり踏み込むのはまずい。

ふすまの前でそう声をかけると、中でざわめきが起こった。


ややして。

「は、はぃ‥‥ただいま」

湯女の1人がおずおずとふすまをあける。

そして

むすーっとした顔の千尋をずぃずぃと押し出して来た。

「ごゆっくりっ」

というが早いか、ぴしゃっとふすまを閉めてしまう。

さわらぬハクにたたりなしである。




改めて千尋を見つめる。

いつも頭のてっぺんで結われている髪は、今日は上で全部まとめられていて、金に輝く髪飾りで止められている。

赤い水干ではなく赤い着物を着せられただけで、女はここまで艶やかに変わるものなのだろうか?



「‥‥仕事前なんですけど」

その声にはっと我に返ったハクは、千尋を覗き込むようにかがみ込んだ。

「湯女の仕事を手伝っていると聞いたが」

「ハイ。手が足りないと聞いたので」

悪びれずに答える千尋にハクは千尋の腕をつかんだ。

「‥‥‥私は湯女の仕事はするなと言った筈だが?」

湯女はだいたいは湯に入る客の世話をするのが仕事だが、需要があれば遊女にもなる。

特に見目良い湯女は客からの受けも良いために、その湯女自身が看板となるほどだ。

千尋はこの湯屋では唯一の人間であり、年頃10代と小湯女になるにはちょうどいい年頃である。

客の中には従業員として働く千尋が小湯女になるのを、手ぐすね引いて待ちかまえている者がいるのをハクは知っていた。

客から求められれば体も差し出さなければならないのが湯女。

そんな事をさせてたまるものか。

「でも、みんな困ってるんですから、私だけ特別扱いは嫌です」

頑として意見を変えない千尋に苛々がつのる。

「‥‥‥千尋」

「なんですか」

そう答えた千尋は、ハクの様子が違うのに気がついてぎょっとした。

「‥‥‥ハ、ハク‥‥?」

目がすわっている。

まずい。

本気で怒らせた!

これは、完全にブチ切れている状態に他ならない。



「‥‥来なさい」

むんずと千尋の腕をつかむ。

その力の強さに、千尋は声をあげた。

「やっ‥は、ハクっ!? 何処行くのっ‥‥」

「そなたがそのつもりならば、こちらにも考えがある‥‥二度とそのようなバカな考えを起こさぬように、仕置きが必要のようだ‥‥」

その低い声に本気を感じ取って、千尋はさぁぁっと青ざめた。

「あ、ま、待って、ハクっ。怒ってた理由話すからっ! ねっ? だからっ」

歩き始めていたハクはぴた、と足を止めた。

許してくれるのかと思って安堵しかけた千尋は、いきなり抱き上げられて今度は悲鳴をあげた。

「今話さずとも良い。時間をかけてゆっくりと聞くつもりだから」



やりすぎた〜〜〜〜〜!!!!




千尋が、自分の行動を本気で悔やんだのは後にも先にもこれっきりだった。















お日様が天高くのぼる頃。

千尋は声も出せず、ぐったりと布団の中でのびていた。

「千尋」

優しく耳をくすぐる声に、身じろぎする。

「具合はどうだい?」

うって変わって優しく囁いてくるハクに、千尋は涙のあとが残る顔を向けた。

「‥‥良いわけないでしょぉ‥‥‥」

「そうだろうね。今日明日は動けなくなるように、と思ってやったからね」

その言葉どおり、起きあがろうとした千尋は鈍い痛みにそのままへなへなと崩れ落ちた。

「‥‥‥‥ハクの鬼‥‥」

そう呟く千尋の言葉を聞きつけて、ハクは耳元に口を寄せた。

「まだそんな事を言う元気があるならば、相手をして貰ってもいいよ?」

ぎくっとして千尋は首をぶんぶんと横に振った。

これ以上されたら壊れる!

そんな千尋の仕草が面白かったのか、ハクはくすくす笑い始めた。

「今日はしないよ。そなたを壊してしまっては元も子もないからね」

昨夜とはうって変わって上機嫌なハクに、千尋は悟られないようにため息をついた。



結局

どうして千尋が怒っていたのかというのも、どうして湯女の真似をしようと思ったのかというのも、全部白状させられてしまった。

それを聞いたハクはあっけにとられて、こう千尋に言ったのだ。


「あの客はサキュバスだよ。淫魔、夢魔と言われる妖精の一種だ。周りの客を誘惑されて色々ともめ事を起こされても困るので、あの客が来た時には私が言いくるめる事にしてるんだ。もし何かあっても私の方が神格は上だから、力ずくでねじ伏せる事も出来るから」

だから、あの客とは何にもない。



そう聞かされた千尋が、今更ながらに自分の単純さとおっちょこちょいを恨んだ事は言うまでもない。







「千尋」

物思いに耽っていた千尋を呼び戻したのは、ハクの声と髪を梳く指だった。

「‥‥もう湯女の真似はしないと誓うね?」

今度こんな事をしたら―――――どうなるかは分かっているね?

言外にその脅しを感じ取って、千尋は引きつりながらこくこくと頷いた。

「もう、しない‥‥」

千尋の言葉がお気に召したのか、ハクはにっこり微笑んだ。

「いい子だ‥‥今日はゆっくり休みなさい」

優しく髪を撫でるその指の心地よさに酔いしれつつ、絶対にこんな事はすまい、と心に誓った千尋であった。








END

はい、痴話喧嘩です(笑)。これ何かと設定が似てると思いませんか? そう! 49000キリ番のリク用にと書いた作品なのです、実は。でも途中で没りまして‥‥あの咲耶姫が出てくる作品の方がキリ番作品となりました。それから暫くほったらかしてましたが、あちこち訂正してこうして世に出す事になりました。どう考えても向こうの方がブラック様やり込められてて面白いし‥‥(謎)。こちらはこちらで千尋とハクがぎゃんぎゃん喚きたてて大喧嘩するという珍しい構図にもなってますが。




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