はじめての旅行
その1

115000キリ番作品







「あ、ハク! ちょっと待って!」

千尋の買い物につき合うという形で久しぶりに街を歩いていたハクは、千尋が自分の腕を引っ張った事で歩みを止めた。

「福引きやってるの。券が何枚かあるからやって行こうよ!」

「ふくびき‥‥?」

聞き慣れない言葉に戸惑いつつもついていくと、そこには人だかりが出来ていた。

「一等賞は旅行っ。まだ出てないみたいね‥‥頑張って狙ってみるかな?」

千尋は俄然やる気で、持っていた券を福引き所の赤いはっぴを来たお兄さんに手渡している。

「3回出来るよ、頑張ってね」

そんな応援の元、がらがらと一回目を回す。

それを横からハクは面白そうに見つめていた。



ころん‥

出てきたのは白い玉。

「はい、残念賞のティッシュだよ」

白いティッシュを手渡され、千尋は「もう一度!」と気合いを入れ直し、二回目を回した。



ころん‥

出てきたのはまた白い玉。

どうやら千尋にはこういうギャンブルの才能はないらしい。

「んもー!」

千尋はぷぅっと頬を膨らませて拗ねていたが、やがてハクに視線を向けた。

その視線の鋭さに、思わずハクが後ずさる。

「ハク、最後の一枚、やってみない?」

「え‥‥わ、私が?」

「そう! 私じゃ当たりそうにないから、ハクやって」

言外に「必ず当ててね」というプレッシャーを感じつつ、ハクは仕方なく場所を変わった。

「‥‥回せばいいのか?」

「そう」

この男にも怖いものがあるのか―――とその場にリンがいたならばそう言うに決まっているような震える手で、ハクはおそるおそる回した。




ころん‥‥


出てきたのは金色に輝く小さい玉。


「大当たり――――! 一泊二日の旅行をプレゼント!」

がらんがらんと鳴り響く鐘の音と、人々の歓声が辺りを響き渡る。

「やったぁっ! ハクすごーいっ!」

首に抱きついてくる千尋を抱き留めつつ、ハクはきょとんとしたまま辺りを見回していた。

「‥‥皆、どうして喜んでいるのだろう‥‥?」








どうしても二人で行きたい! と言い張る千尋の為に、ハクはそれからてんてこ舞いの毎日だった。

まず両親の記憶操作をし、自分の仕事の都合をつけ、旅行先の手配をし――――

全ての用意が調った時には、さすがのハクも気疲れを起こしてぐったりとしている始末だった。

「ごめんね、全部やらせちゃって」

手配くらいはしようかと申し出たのだが、ハクから丁重にお断りをされた為、千尋がしたのは荷物をまとめるのと自分の都合をつける事のみ。

「いや‥‥いい。私が言い出した事だからね」

――――千尋に手配をさせたら、とんでもない事をしそうで怖い。

過保護に育てられた箱入り娘だけあって、千尋には案外非常識なところがある。

こちらの世界にやって来てまだ間もないハクのほうが、世の中の事情に通じてしまっているのは、一人暮らしを強いられているからに他ならない。

後で尻拭いをするくらいならば、最初から何もかも自分でしてしまったほうが早い。

「‥‥ハク?」

不思議そうに覗き込んでくる千尋に微笑みかけ、ハクは立ち上がった。

「行こうか。早くしないと電車に間に合わなくなるよ」

「わっ! 行こう行こう!」

千尋は小さいリュックを背負い直すと、ぱたぱたと走って行き―――ハクを振り返った。

「ハク、早く!」

もう18にもなろうかという千尋のこういう仕草を見ると、10歳の時の千尋の姿がだぶる。

既に大人の女性としての魅力は十分に備えているのに、全く自覚のない千尋は危なっかしい。

「今行くよ」

ハクは千尋の後を追うように歩き出した。









二人がやって来たのは山奥の温泉旅館。

人混みが苦手なハクには打ってつけの場所である。

「ごゆっくり」

という声と共に女中さんが消えてしまうと、和室の部屋の中は二人だけになる。

二人きりになるのはそう珍しい事ではない―――――筈なのに、こうして改めて部屋の中で二人きりになると、妙に意識してしまう。

そう。

二人きりになるのは森の中とか"外"の事が多かった。

とりあえず持ってきた荷物を色々といじるふりをして、千尋はちらちらとハクの様子をうかがっていた。

ぱちっと目が合う。

「どうかした?」

千尋の視線に気がついたらしいハクが不思議そうに千尋に問いかける。

「な、何でもないのっ」

千尋は慌てて荷物を整理すると、ぎくしゃくと机に近づいた。

「お、お茶、煎れようか?」

「そうだね、頼むよ」

部屋に備え付けてあるらしいお茶のパックを手にとる。

ポットの湯を確認し、湯飲みに注いでいく。

ハクは机を頬杖をついて、千尋の様子を眺めていた。

「‥‥な、なに?」

「いいや、何でもないよ」

さっきの千尋の言葉をそのまま繰り返され、千尋はぼんっと赤くなった。

「‥‥どうして赤くなるんだ?」

「そ、そんなに見つめられるとやりづらいでしょっ」

「そうかな?」

意識しているのはどうやら自分だけらしい。

ハクの言動に一喜一憂している自分に気づき、千尋はちょっと溜息をついた。

「そんなに緊張しなくてもいいのに‥‥二人きりで会うのはいつもの事だろう?」

「そりゃいつもの事だけど‥‥でもこういう場所に来るのは初めてなのよ?」

ハクのほうに湯飲みを押し、千尋はもじもじと自分の湯飲みを手にとった。

「そ、それに‥‥同じ部屋で寝泊まりするのも初めてだし‥‥」

「兄妹として受付を済ませたからね。兄妹が違う部屋に寝泊まりするのもなんだろう? 何もしないから大丈夫だよ」

ハクの物言いに今度は腹がたってくる。

もう結婚も出来る年なのに、ハクはいつまでたっても私を子供扱いしてる。

湯屋で出会った時のような子供じゃないのに。

「‥‥不満そうだね、千尋」

ハクには気づかれないようにムクれていたつもりだったが、顔に出てしまっていたらしい。

「だって。ハクってば‥‥私の事子供扱いするんだもの」

思った事を全部吐き出して、千尋はぷんとそっぽを向いた。

「‥‥‥‥‥‥‥」

―――――沈黙。

ハクが何も返さないので、千尋はちらっとハクのほうに視線を戻した。

「‥‥‥‥‥‥」

ハクは、声を殺して笑っていた。





「んもー、信じられないっ!! ハクのばかっ!!」

怒り心頭で部屋を出ようとした千尋の腕を、ハクがすっと掴む。

「ごめんごめん‥‥つい、千尋が可愛くて」

「可愛かったら笑うわけ!?」

「笑ったのは謝るよ」

くぃっと軽く引っ張られただけで、千尋はよろける。

「きゃっ‥」

そのまま千尋は受け止められるような形で、ハクの胸に飛び込んでしまった。

「千尋は私に襲って欲しい、と思ってるのかな?」

耳元でそう囁かれ、千尋は真っ赤になった。

「そ、そういう訳じゃっ‥‥」

「千尋を大人の女性だと思っているからこそ、我慢しているんだけど‥‥ね?」

千尋がもじもじしているのに気がつかない様子で、ハクは甘く囁いていく。

「わ、分かった、分かったからっ‥‥も、もう離して‥」

「嫌だ。千尋はどうも私を誤解しているようだから‥‥この機会に色々と話し合わなければ」

「こっ、このままでっ!?」

千尋が裏返った声を出したのに耐えかねたのか、ハクは本格的に笑い出してしまった。

「‥‥っくく‥‥っ‥‥」

「‥‥‥遊んでるでしょう、私でっ!!」

「そうじゃないよ‥‥っ‥‥」

とは言うものの、ハクの笑いは止まらず、肩を震わせて笑う始末。

「も〜〜〜〜っ!! 本格的に怒るよ、私!!」

さすがに千尋が怒鳴ると、ハクはようやく笑うのをやめた。

「‥‥涙まで流して笑わなくってもいいんじゃないのっ?」

「ごめん」

暫くハクを睨んでいた千尋だったが、やがて表情をやわらげた。

「―――でも、ハクがそんな風に笑うなんて‥‥思いも寄らなかった」

湯屋にいた頃も、微笑みを浮かべる事はあっても声をたてて笑う事はなかった。

こちらの世界に戻って来て再会してからも、物静かな雰囲気は変わらず―――こんな風に笑う事もあるなんて、知らなかった。

「千尋のおかげだよ」

「‥‥‥そ、そぉ‥?」

やっぱり、綺麗。

微笑みを返してくるハクを見つめ―――千尋は素直にそう思った。










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