千尋の平凡な日常
その1

87000HIT キリ番作品











どんどんどん。

今日もうるさく扉を叩く音で目が覚めた。

「荻野さーん。いい加減にここあけて下さいよー」

千尋はうう‥‥とうめいて布団をひっかぶった。


今日も学校に行くのは不可能かも‥‥‥。




荻野家が神隠しにあったというのはこの街では有名な出来事だった。

あくまでも「この街では」有名だった。

だから、その出来事は時がたつにつれてだんだんと忘れ去られ、千尋も両親もごく普通の生活に戻っていった。

そう。

妙な特番が全国放送されるその日までは。




TVの改編時期の時には必ず特番が組まれる。

ようするにそれで場つなぎをするのだが、案外これが人気があったりして、視聴率もそこそこ良い。

だからこそ場つなぎとはいえど、各局こぞって特別番組には結構力を入れている。

その某TV局は、科学で説明できない事実、等というキャッチフレーズを掲げて総力を挙げて特番を作って来ていた。

しかし平和な世の中。

「らしい」という話はあっても「あった」という話は早々うまい具合に転がっていないのが世の常である。

そこへ「とある街に神隠しにあったという一家がいる」というネタが転がり込んで来たのだから、TV局としてはそれを逃す筈もなかった。

あっという間に取材班がやってきて、TVに出られるというだけで安請け合いしてしまった父親と、不審がる母親と、複雑な心境の千尋と、3人で色々と取材を受けるハメになった。



それは全国ネットで大々的に放映されたのであった。




それから、千尋の周辺は一変した。






今まで「神隠しに遭ったかもしれない」という行方不明者の話はあった。

が、実際に神隠しに遭って戻って来たというナマの話は荻野家が初めてであった。

その為にほかのTV局までもが取材に押し寄せてくる事となり。

果てには女性週刊誌や新聞社までが取材に来る始末で。

朝からその攻撃が激しい時は、千尋は外にも出られない有様だった。




今日は寝ていようと心に決めていた千尋だったが、外のあまりのうるささに眠る事を諦め、トントン‥と階段を下りて下の居間を覗き込む。

そこには、今の千尋と同じ心境であろう父母が、げんなりとした様子で立ちつくしていた。




「また来てるわよ‥‥」

母親がうんざりといった表情で閉め切ったカーテンの隙間から外を見る。

「まるで犯罪者扱いね、ここまで来ると」

「ここまで酷くなるとは思わなかったなぁ‥‥」

やはり外に出られない為に会社に行けない父親が、困り切った様子で頭をかいた。

「でもあなたも千尋もこれ以上学校や会社を休む訳には行かないでしょ。頑張っていってらっしゃい」

「えええ‥‥」

千尋は眉をひそめた。

マスコミというものは本当に容赦がない。

前など千尋の学校にまで押し掛けて来た上に、授業中にも関わらず撮影しようとしていた。

さすがにそれは教育委員会からのクレームとなり、学校内には入らないという取り決めがなされたようだった。

がその分校門のところに張り付いて、千尋が出てくるのを今か今かと待ちかまえている。

千尋がなかなか出てこない場合には、千尋の人となりを出てくる学生に片っ端から聞いて廻っている有様だ。

いつまでも続くこの状況に、はじめは面白がっていた生徒たちも、だんだんと嫌悪の感情を抱き始めているようである。

その証拠に、千尋を見る周りの目は、決して温かくはない。


6年もの月日をかけて、ようやく神隠しに遭った娘、というレッテルを取り去り、普通の娘に戻れたところだったのに。


ちらっと母を見る。

母親の目が「行きなさいよ」と訴えている。

――――今日は休む事は出来そうになかった。








マスコミを振り切るようにだーっと走り、ようやく校門へと走り込む。

校門をくぐってしまえば、教育委員会や警察の手前、さすがのマスコミも入っては来ない。

もちろんお構いなしに入ってくるリポーターやライターもいたりはするが、今は学校にガードマンが配置されているので、大抵はガードマンに見つかって校外に放り出される事となる。

だから、学校では一応の安息は得られるのだ。

とはいえど――――マスコミのせいで迷惑を被っているほかの生徒たちからの攻撃に今度は耐えなければならない。


‥‥はぁ。


千尋は誰にも気づかれないように、はぁ、と溜息をついた。






あの神隠しの時は、取材とかTV放映とか、そんなので語っていい話じゃないし、語りたくもない。

あれは、私が私を見つけた場所。大切な時。思い出。

誰にも言わずにずっと温めていたこの想いを、見ず知らずの人になんか教えたくない。

これは、私だけの秘密。

何時の日か――――あの人に、ハクに会えるその日まで。






「ちーちゃん」

休み時間にも外に出る訳にいかず、机でぼーっとしていた千尋に、友人が話しかけてきた。

「そんなに気を落とさず、ね? あたし達はちーちゃんの味方だから」

家でも気が休まらず、学校でも孤立無援な千尋を心配してくれているのだ。

「そうだよ、千尋。今度どっかに遊びにいこ。あたし達も行くからさ」

友人の心遣いが嬉しい。

千尋はにじんできた涙をそっと拭った。

「‥‥ありがとう、みんな」