千尋の平凡な日常
その2
87000HIT キリ番作品
さて。 日曜日がやってきた。 友人のせっかくの誘いを無にするのも気が引けて、千尋は久しぶりに外に遊びに出かける事にした。 ちらっ‥と二階の窓から下を見ると、相変わらずマスコミ達がたむろしている。 いつもなら「行きたくない」で済ませてしまうのだろうが、今日はちょっと違った。 友人たちの為に頑張らなきゃっ! という気持ちが千尋を突き動かしていた。 いざ、扉をあけて。 千尋が外に出たとたん、マスコミがわっ! と群がってきた。 「千尋ちゃん、今日はお出かけするんだね。一体何処に?」 「可愛く着飾って、彼氏とデートかしら? どんな彼氏かちょっと教えて欲しいなぁ」 「その前にちょっとだけでいいから神隠しの事を話して欲しいんだけどな」 10本以上のマイクが千尋の前に突き出され、進もうにも大人に阻まれている為に押し返す事も出来ない。 「出かけられないんですけど」 怒りを抑え、そう言っても全く向こうは動じる事もない。 「ちょっとでいいんだよ。いなかった間何があったのかな? ちょっとくらい教えてくれたっていいじゃないか」 「全国の人が千尋ちゃんを待ってるんだよ? それに答える義務はあるんじゃないかなぁ」 何が”義務”だ。 そっちこそ、私の大切な思い出に土足で踏み込む権利なんてない筈じゃない! 今度こそ、ハッキリと拒絶しようと息を吸い込んだ瞬間。 「わ‥わわ! 何だっ!」 「ちょっとキミ! 取材の邪魔をしないでよ!!」 向こうの方から何やら罵声や悲鳴が聞こえて来て。 千尋の目の前のリポーターがずいと押しのけられた。 ――――――えっ。 目の前に現れたのは、黒髪を束ねた少年。 しかしその美貌は人間を通り越して、物語に出てくる精霊のよう。 職業柄、芸能人などで美貌は見慣れている筈のリポーター達も、その少年に声もなくただその視線を向けるだけ。 「千尋、遅いから心配していたんだ。早く行かないと間に合わない」 その少年が手をさしのべてくる。 声は確かに男性のものに変化していたけど。 でもその口調やその瞳は忘れたりなんかしたことない。 思わず涙ぐみそうになるのをこらえ頷く。 「‥‥うんっ」 少年の手を握りしめて歩き出そうとした千尋に 「ち、ちょっと待って! まだ取材終わってないよ!」 リポーター達が我に返って、少年や千尋にマイクを向けて来た。 周りは包囲され、身動き出来るスペースはない。 少年は軽く舌打ちすると――――あいている手をかざして、何か指で模様を描いた。 「‥‥‥‥?」 そのとたん、リポーター達は突然千尋たちに興味を失ったかのようにマイクやカメラをしまって、帰り始めたのだった。 「‥‥ど、どういう事‥?」 「記憶にちょっと細工をしたんだよ。‥‥簡単な魔法だからすぐに効力は切れてしまうけどね」 改めて千尋はその少年をまじまじと見上げた。 忘れたくても忘れられない。 リポーター達が聞きたがっていたあの神隠しの真相が。 千尋の大切な思い出の結晶が、今目の前にいる。 「千尋、大きくなったね」 「‥‥ハクこそ‥‥髪のびたね‥」 背中できちんと結ばれている髪に触れると、さっきまで我慢していた涙がぽろっと落ちる。 「千尋‥‥‥」 「良かった‥‥‥会いたかったの、ハクに‥‥覚えてるのは私だけで、あれは夢だったのかなって思ってたから‥‥」 「夢じゃないよ」 ハクは千尋の頬に手を当てるとにっこりと微笑んだ。 「ようやく千尋の元に来る事が出来たんだ。これからはずっとそばにいるから‥‥」 「うん‥‥」 胸がいっぱいになって、それだけをようやく口にすると、千尋はハクの手にそっと頬ずりした。 その日はどうしても友人と会わなければいけない。 千尋は名残惜しくもあったが、今日のところは一端友人に会いに行く事にし、ハクとは夕方にまた待ち合わせをするという約束をとりつけた。 6年間の空白を早く埋めたかったけども、苦しい時に支えになってくれた友人への感謝の気持ちも忘れてはいない。 「待っててね、ハク。絶対に何処か行っちゃいやよ」 「分かっている。家の前で待っているから」 一度口にした約束は絶対に違える事のない誓い。 だから、千尋は安心して友人の元へと向かう事が出来たのだった。 「おそーいっ」 「またマスコミに捕まってたの?」 友人たちが待ち合わせの噴水前で手を振っている。 「ごめんねー!」 「いいっていいって。さ、今日はぱぁっと遊ぶぞぉっ」 こんなに心の底から楽しいって思ったのは本当に久しぶり。 ハクも戻ってきてくれて。 私を信じ支えてくれる友人たちがいて。 今の私はとっても幸せなんじゃなかろうか。 千尋はそんな事を思いながら、走り出した友人達のあとを追ったのだった。 しかし。 そんなささやかな幸せもそう長くは続かない。 家に帰ろうとした千尋は、再びまたマスコミたちに取り囲まれた。 家まであと100メートルといったところ。 ここで阻まれてしまっては、家に帰る事は出来ない。 「ちょっとでいいんだよ、話を聞かせて貰えればいいんだけどなぁ」 迷惑顧みずマイクを突きつけてくるリポーター達に、さすがの千尋もぷちっとキレた。 「私は家に帰りたいんですっ! そこどいて貰えませんか!?」 千尋の剣幕にリポーター達はおっと云った顔をしたが、ただそれだけ。 カメラやリポーター達を追い返すだけの威力はなかった。 「僕たちもね、好きでこんな事してるんじゃないんだよ。言わないそっちが悪いと思うけどねぇ」 口では勝てない。 悔しくて涙が出てくる。 こんな人たちに、私の大事な思い出を汚されてしまうんだろうか。 「―――千尋」 背後から声がして―――千尋がはっと振り返ると。 ハクが立っていた。 「何なんだ‥‥‥ずっと千尋につきまとっているこいつらは」 ハクの表情が厳しい。 しつこくつきまとってくるリポーター達を変なムシとでも勘違いしているらしい。 「その‥‥」 千尋は視線をリポーター達から離さないようにして、ハクにそっと囁いた。 「あの、湯屋の事を話せ話せってうるさいの‥‥」 「湯屋のこと? あの世界の事が知られているのか?」 「ううん。あの湯屋にいた間、私たちは神隠しに遭っていた事になってるの‥‥それで、神隠しに遭っていた間に何があったのかを、世間に公表すべきだって‥‥」 「何こそこそ話をしているのか、是非聞かせて貰いたいんだけど?」 リポーター達が今度はハクにもマイクを向けてくる。 幾台もあるカメラが、一気にハクに集中する。 「―――ならば、神隠しに遭った事自体を忘れてしまえば良い。この"幻"を見た者全てが」 ハクが何か呪文を唱え、その指が宙に何かの模様を描き出す。 そのとたん、リポーター達の様子が朝と同じようにおかしくなった。 突然千尋たちに興味を失ったかのように帰り始めたのだ。 「ハク‥‥‥こ、これって?」 不思議そうな顔をしている千尋に、ハクは悪戯っぽく微笑んだ。 「確か、あの"カメラ"というものに映されたものが"映像"という幻として映し出されるんだったね?」 「そ、そうだけど‥‥」 「今の”映像"にちょっとした細工をしておいたから―――たぶん、もう千尋の元には来ないよ」 「?」 ハクはただ静かに微笑むばかりだった。 |