姫のお気に入り
その1

55555HIT キリ番作品






「千。千はおらぬのか」

凛とした声が響く。

「琥珀。そなた、何処かに隠したのではあるまいな?」

「‥‥ぬれぎぬです」

着物の裾を翻し、床までものびる黒髪を白魚のような指でかきあげる美女。

いつになく不機嫌そうなその美女を、ハクが無表情に宥めている。

どちらかといえば煽っていると言っても間違いではあるまい。

「それより神無月なのですから、出雲に行かなければならないのではありませんか?」

「どうせ集まっても酒盛りじゃ。いい加減、年寄りの相手は飽きてしもうたわ」

「‥‥今の日の国が荒れているのが分かるような気がしますよ、咲耶姫」

ハクがため息混じりに言うと、美女――――木花咲耶姫命(コノハナサクヤノヒメノミコト 通称:咲耶)はムッとしたように振り返った。

「そなた、いつから妾(わらわ)に意見出来る立場になった?」

ハクは深々と頭を垂れた。

「お気に召しませんでしたら、謝罪致します」

ハクの慇懃無礼は前からのもの。

咲耶もそれを知っていたからそれ以上追求はしなかった。

「しかし‥‥何故千がおらぬ? 湯屋におると言うておったではないか」

「まだ湯殿で仕事をしているのでしょう」

他の従業員たちが咲耶を宥めにかかった。

「千は後ほど参りますゆえ、咲耶様はこちらに」

「咲耶様、ごゆるりとおくつろぎ下さいまし」

咲耶は仕方ないといったように部屋に戻り始め――――ハクに振り返った。

「千が参ったらすぐに妾の元に来るように伝りゃ。あの娘御に話があるゆえ」

「――――承知致しました」

深々と頭をさげたハクであったが、その表情は苦虫をかみつぶしたようなものだった。



―――――まったく、千尋を気に入ったのはかまわないが‥‥あの神様は。



あそこまで咲耶が執着するのならば、このままなぁなぁで済ます事は出来まい。

ハクは千尋が働いている筈の湯殿へと足を向けた。






「えぇ‥‥咲耶様が?」

上での一悶着を知らず黙々と湯殿の掃除をしていた千尋は、咲耶から呼び出しが来ていると聞いて不安そうな面もちになった。

「千がいないとひどくご立腹でね‥‥私でも機嫌をとるのは不可能だったんだ」

ハクの言葉に千尋はますます不安そうになった。

前の一件で、「悪い人ではない」けど「油断のならない人」という認識をしている。



あれから咲耶姫の事を色々調べてみた。

調べれば調べるほど、すごい神様だって事はわかった。

でも、ハクや自分をからかって面白がっていたあの女性と本の記述とがどうも一致しない。

そりゃハクも「神様」という割にはずいぶんと人間っぽいから、神様ってそんなものかもしれないけど。

「千尋をずいぶんとお気に召したようだからね‥‥すまないが、いって貰えるか?」

「行くのはいいけど‥‥どうして私なんかを気に入ったんだろ‥‥」


咲耶姫が気に入ってるのはハクの筈なのに。


その言葉は心の中にとどめて、千尋はため息をついた。






湯女達の手で綺麗に着飾られた千尋は、おそるおそるふすまのこちら側から中に声をかけた。

その隣にはハクが付き添っている。

「失礼致します。千でございます‥‥」

そぉっとふすまをあけると―――――



「ようやく来たか、千。こちらに来やれ」

にこにこ微笑んだ咲耶が、千尋にこいこいと手招きをしていた。


とってもいやな予感がする。


「は、はい‥‥失礼致します‥‥」

千尋に続けてハクが入ろうとすると。

「琥珀はしばし外で待つが良い。入ってはならぬぞ」

咲耶がハクを制して来た。

ハクの表情がすっと固くなる。

「どうして私が駄目なのでしょうか? 咲耶姫?」

頬にかかる髪をかきあげ、咲耶は艶やかに微笑んだ。

その仕草に、同性の千尋の方がどきっとしてしまう。

「女同士で色々と話をしたいのでな。話が終わったら呼ぶゆえ」

上客であり神格としても上の咲耶に、さすがのハクもそれ以上は抗えない。

「‥‥‥分かりました」

心残りつつも、千尋をおいて外に出るより他に方法はなかった。





ハクが出ていくのを、千尋は極度の不安の中、見守っていた。

「さて」

そう咲耶が切り出したとたん、千尋は飛び上がった。

「‥‥そう緊張せずとも良い。一緒に風呂に入った仲ではないか」

「おおおお手伝いしただけで一緒に入ってませんっ!」

馬鹿正直に答える千尋に、こらえられなかったのか咲耶は笑い声をあげた。

「さ、咲耶様‥‥‥」

「いや‥‥やはりそなたは面白い娘じゃ。妾の周りにもそなたのような人の子がおれば、毎日が楽しいであろうに」

ほめられたのかけなされたのかよくわからないまま、千尋はきょとんと立ちつくしている。

「まぁこちらに」

手招きされ、仕方なく咲耶の隣にちょこんと座る。

そして杯を手渡されて、千尋はぎょっと咲耶を見つめた。

「少しは飲めよう? 今日の妾の相手はそなたにして貰うゆえ、じっくりとつきあって貰うぞ」

咲耶自身の手から酒をなみなみとつがれ、思わず杯と咲耶とを見比べてしまう。

どう見てもこれは日本酒だ。

こうしていてもアルコールの芳醇な香りが漂って来て、それだけで酔いそうになる。

父親にせがんでビールを少し飲ませて貰った事はあるが、この日本酒はビールよりも遙かにアルコール度が高いだろう。

躊躇しまくっていた千尋だが、咲耶がじーっとこっちを見ているのに気がついて、腹を決めた。

ここで働いている以上は文句は言えないのが下働き。

そのままぐぃっと飲み干す。

「おお」

そこまですると思っていなかったのか、咲耶が声をあげた。

「けほっ、けほっ‥‥」

思った以上のアルコールに、むせてしまう。

「これは妾が子を産んだ時に父が振る舞ったアメノタムケ酒じゃ。大の男でもきつい酒じゃが‥‥」

時既におそし。

頭がくらくらしてきて、咲耶がダブって見える。

「‥‥やはりきつかったようじゃの」

「そ、そゆことは‥‥早くいってくださぃ〜‥‥」

千尋はばったりと倒れて、そのまま意識を失ってしまった。









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