恋の花咲く乙女の試練
その1

49000HIT キリ番作品










油屋の中がずいぶんとあわただしい。

どうしたのだろうと思いつつ、千尋はひょこっと顔を出した。

従業員たちだけでなく、兄役、父役もずいぶんと忙しそうに走り回っている。

「何でも大物が来るんだと」

不思議そうな顔をした千尋に、リンがそう告げた。

「すっげぇ美人だとよ。ちょっと拝みにいかねぇか?」

「ええ‥‥別にいいよ、私は‥‥‥」

後込みする千尋を引っ張って、リンはその客がいるところへと乗り込んでいったのだった。






「お越し頂きありがとうございまする‥‥ごゆるりとおくつろぎ下さいますよう‥‥」

あの湯婆婆が腰を低くして、頭が畳につかんばかりにひれ伏している。

よほどの大物らしい。

「苦しゅうない。二日ほど滞在するゆえ、この者らにも部屋をあてごうてはくれぬか」

鈴を転がしたような美しい声。

どうやら相手は女性らしかった。

「承知致しました」

退座しかけた湯婆婆を、相手が呼び止める。

「そう‥‥琥珀主をこちらへよこすように」

「は、承知致しました」

コハクヌシ。

ハクのことだ。

千尋はいきなりドギマギし始めて、相手の事が気になりだした。

思わず頭を出して廊下をうかがって―――――

出てきた湯婆婆とばっちり目があった。

「‥‥‥何でおまえがいるんだぃ!! さっさと持ち場に戻りな!!!」

「は、はいぃ!!」

千尋とリンは慌てて廊下を走って降りていった。









やっぱり気になる。

仕事が一段落ついたところで、千尋はこそこそっと上に上がってきていた。

ハクを指名した美声の客。

あの声からはどう考えても女の客だ。

いや男の客で指名だったらそれはそれで問題だが。

どうやらその部屋では宴会が催されているらしい。

千尋はこそこそこそっと近づいて‥‥‥わからないようにそろ‥‥っと障子を少しだけあけた。



「しかし‥‥少し見ぬ間に成長したものよの。前見た時は確かこのくらいの男の子(おのこ)であったが」

「わたくしも生き物ですゆえ‥‥成長もいたします」

ハクが正座をして、客に向かっている。

その客は―――――と視線を向けて。

千尋は息をのんだ。




畳に広がるつややかで光を帯びた黒髪。

あでやかな赤地に金の模様の入った着物からのぞく肌は白く、まるで陶磁器のよう。

絶世の美女。

その表現が似合う女性が、ハクの目の前にいた。



「咲耶(さくや)様、琥珀様は美しく成長しておられるのですもの、よろしいではありませぬか」

その周りには主人と思われる女性ほどではないものの、それでも美しく着飾った娘たちがハクにしなだれかかっている。

「あまり誘うでないぞ。まだまだ幼い竜じゃからの」

「まぁ、では琥珀様がそのようなお気になられたらわたくし達がお相手致しましょうぞ」

「そのように言われましても‥‥‥」

「まぁ、まぁ‥‥そのように恥じらうところは幼き頃にはなかったところですわね」

「なんと初々しい」

一気にきゃあきゃあとさざめく娘たちに、咲耶と呼ばれた女性がたしなめるような声をかけた。

「これ、あまり琥珀を苛めるでないぞ。妾の前で失礼であろ」

「これは失礼を致しましたわ、咲耶様‥‥‥琥珀様は咲耶様のお気に入りであられましたものね」


千尋は気づかれないように障子をしめた。

そのまま―――――そっと離れる。





ハクがちらっとその方向に視線を向けた事を、千尋は知る由もない。

そして。

咲耶と呼ばれた女主人も、そちらの方を見たことも。






‥‥はぁ。

千尋はやるせないため息をついた。

橋のたもとの石垣の前。

よく一人で考え事をしたい時に千尋はここに来ていた。

上からも下からも死角になるここは人から見つかりにくいところで、考え事をするにはうってつけのところだった。

あの‥‥咲耶って人。

すごく美人だった。

神様なんだから当たり前なんだろうけど‥‥それでも‥‥‥

今日の朝、髪をとかす時に見た自分の顔。

それを思い出して、千尋ははぁぁぁと大きく息をついた。

確かに10歳の時よりは体も女らしくなって。

顔も昔みたいに下ぶくれじゃなくてちょっとスマートになった。

でも

あの人には全くかなわない。

胸だって小さいし

どっちかっていったら寸胴だし



と色々あげて行くたびにどんどん落ち込んで来てしまい、千尋はもう一度ため息をついて石垣にもたれかかった。

「‥‥まだいるのかな‥‥」

「誰が?」

「ん‥‥」

返事をしかけてその声の主に気がつき――――千尋ははっと振り返った。

「誰が?」

もう一度同じ質問を繰り返すその人は、ハクだった。











「はははははははははくっっっっ!?」

「私だよ‥‥どうしたんだ、千尋? そんなに焦って‥‥‥」

「な、なんでもない‥‥」

千尋は驚きとさっきまで考えていた人が目の前にいる焦りでばくばくする胸をおさえ、すーはーと深呼吸を繰り返した。

「‥‥さっき、お座敷に来てたね?」

ぎくーん。

"千尋"と名前を呼んでいるところから仕事モードでないのは幸いだが、それでも何か言ってくるのは間違いない。

わざわざここまでやってきたのだから。

「と、通りかかったから」

「あそこは上得意の客専用の部屋だよ? 湯殿担当の千尋がどうしてあそこを通りかかるんだい?」

――――全部お見通しらしい。

分かっていて、千尋に言わせたいのだ。

「別にいいじゃないっ。通りかかったってっ」

居心地の悪さも手伝って、思わずハクから逃げるようにじりじりとお尻で後ずさる。

しかし、それをハクが許すはずもなかった。

「私の事が気になっていたのだろう?」

ハクはそう言うと千尋を引き寄せて抱きしめて来た。

ふんわりと抱きしめられ――――でもそれだけで千尋は身動きできなくなる。

「‥‥言ってみなさい? どうしてあそこにいたのか‥‥」

耳元で囁かれて、千尋はあやうく声をあげそうになり慌てて口をつぐんだ。

「ほんとにっ‥‥通りかかっただけよっ」

強情に言い張る千尋に、ハクは苦笑した。

「何をそんなに拗ねているのかな‥‥」

「拗ねてなんかっ‥‥」

千尋の今の態度はどう考えても拗ねているようにしか見えない。

自分で分かってはいたが、今更その態度を改める事も出来ず、千尋はそっぽを向いた。

「咲耶様はお得意さまで、私がここで働きはじめた時から目をかけて貰ってるんだ。それだけだよ」

ハクはそっぽを向いた千尋の顔を強引にこちらに向かせる。

「だから安心おし。私が心変わりするとでも思っているのかな?」

「‥‥‥そんなんじゃないけど」

でも

ビジュアル的な事とか考えたら

どう見ても釣り合ってるのは向こうの方だったから‥‥‥


千尋はようやくそれをぽつりと呟いて、真っ赤になった。


それを聞いたハクが呆れた、といったように肩をすくめる。

「そんな事で気に病んでたのか?」

「そんな事ってっ‥‥!」

私にとっては重要なことで凄く大問題なんだから!!

そう訴えつつ半分涙目になった千尋の前髪をかきあげて、ハクは優しく微笑んだ。

「千尋は可愛いよ。千尋が気がついていないだけで」

「‥‥ハクが言ってもあんまり信憑性ない‥‥」

「ひどいな‥‥私の言う事が信じられないとでも?」

ふと気がつけば

千尋はいつの間にかハクに押し倒されるような格好になっていた。

「ち、ちょっとハク!?」

「人の事を信じないという悪い子にはお仕置きが必要だね?」

にっこりと微笑むハクに通用する手段は、千尋にはもう残されてはいなかった。










着物の襟元を直しながら歩いていたハクは、目の前に立った人影に足を止めた。

「少し見ぬうちに、ずいぶんと貪欲な竜となり果てたものよの」

咲耶がハクの前に立っていた。

「前に来た時には全く女御に見向きもしなかったものを。あの娘御がそこまで琥珀を変えたとは信じがたいがのぅ」

「どうとでも。私はあの娘を自分の手元においておきたいだけですので」

「あの娘御が心変わりするという危惧を抱いてはおらぬのか。人にとって時は有限なるもの‥‥移ろいやすいものじゃ」

「心変わりなどさせません」

きっぱりと言い切ったハクに、咲耶が少し眉をあげた。

「万が一あの子が心変わりしたとしても、手放すはずがないでしょう?」

それでは失礼致します、と会釈して歩き去っていくハクを見送り、咲耶はクックッ‥と笑い声をあげた。


面白い。

ここにはお忍びで体を休めに来たのだが――――もっと楽しめそうだ。


そう呟いて、咲耶は思いついた遊びに笑みを漏らした。







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