その客・要注意につき
その1

77000HIT キリ番作品









「千。ちょっと‥‥」

呼び止められ、千尋は兄役の方へと近づいていった。

「なんでしょう?」

「見慣れぬ客が来られているのだ‥‥おまえ、お相手をしてはくれぬか」

「?」

はいともいいえとも言わぬ間に、千尋はあっという間に玄関へと連れていかれてしまった。

「い、一体なんなんですかっ‥‥?」

「いいから!」

そして玄関までやってきた千尋は、自分が呼ばれた理由を知った。

玄関に立っている客は―――――この湯屋でははっきり言って見慣れない格好をしていたのだ。




こぼれるような金の髪が背で光を反射して輝いていて

優しくこちらを見つめるのは澄んだ青い瞳

身には青の鎧をまとい、背に美しい槍を背負っている。

どう見ても―――日本古来の神々には見えない。


おそらく――――海外の何処かの男神ではないか。

さすがに湯屋に何年も勤めるとそこらへんは鋭くなる。

千尋は瞬時にそう判断した。





「あ、あの‥‥」

そう話しかけた千尋に、その客はにっこりと微笑みかけて口をひらいた。

「Are you the receptionist?」

そのとたん千尋はぴっきーんと固まってしまった。





「え、え、英語‥‥‥??」



兄役が慌てて自分を呼びに来る筈だ!

しかし決して千尋も英語が分かる訳ではない。

客の前でぴきっと固まってしまう千尋であった。



それでも拙い英語力を使ってその客とのコミュニケーションをとろうと試みるうちに、色々な事が分かって来た。


彼はルゥという名で、日本に疲れを癒すお湯屋があると聞いてはるばるやって来た。

アイルランドのあたりから来たらしく色々な言語は使えるが、日本語はまだよく分からないそうで一番良く使う事が多い英語を使っているらしい。

などなど。


たまたま宿題用に持ってきていた辞書を使うとは思わなかった。

千尋はそう思いつつも、辞書をフル活用して何とかルゥとの会話を成り立たせようと頑張っていた。


「May I ask you your name?」

「え?」

どうやら名前はなんだと聞かれているらしい。

「セン。My name is Sen」

これくらいは辞書を見なくても言える。

「セン」

千尋の名を繰り返し、ルゥはにっこりと微笑んだ。

「I'm pleased to meet you,Sen」

握手を求められて、千尋は訳わからないまま「はぁ‥‥」と頷いて、手を握りしめたのだった。





「‥‥あ、仲良くしようって言ってたのか‥‥」

ルゥを部屋に案内し、風呂に入るのは湯女に任せた後、千尋は1人辞書をひいて、ルゥの言葉を一生懸命和訳していた。

「う〜〜‥‥もうちょっと英語、ちゃんと勉強しとけば良かった‥‥」

「金髪の客が来てるって?」

「ひゃ!」

いきなり話しかけられて、千尋は飛び上がった。

ハクが千尋を見下ろしていた。





「アイルランドから‥‥ルゥという名の神?」

「うん。人間ではないのは確か‥‥‥精霊や妖精にしては凄く堂々としてるし‥‥たぶん神様だと思うんだけど」

ハクは興味なさそうにふうん、と声を漏らした。

「で、千尋がお相手をしているのか?」

「だって、何言っているのかみんなわかんないみたいで‥‥私だって分かる訳じゃないんだけど、英語はちょっとくらいは分かるし‥‥」

「‥‥‥‥ふぅん」

今度の「ふぅん」はちょっと棘があった。


――――あ、不機嫌になってきてるな‥‥。


そうは思うものの、客が絡んでくるので千尋はどうしようもない。



「Are you busy Sen?.」

凛とした声が聞こえ、はっと千尋が立ち上がり――――ハクがそちらに視線を向けた時。

上半身裸のままのルゥが姿を現した。



「〜〜〜〜!?」

この湯屋では人間型の客の方が珍しい。

ので妙齢の男性の裸といえばはっきりいってハクのしか見た事がない(それだけでもかなり刺激になる)。

いきなりの登場に、千尋は目のやり場に困ってぼんっ! と真っ赤になってしまった。

その千尋の様子に、ハクがムッとした表情になる。

「Who is the young man next to you?」

「え‥?」

ルゥが指さしたのはハク。

どうやらハクの事を誰だと聞いているらしい。

「え、えと‥‥えと‥‥」

ぺらぺらと辞書をめくって単語を見つけると、千尋はたどたどしい英語で答えた。

「ひ、He is the accountant」

「Accountant.I see‥‥」

納得した様子のルゥにホッと一息つく。

そんな千尋を面白そうに見ていたルゥだったが‥‥

「I shall return to my roomr」

そう言い残すと、部屋の場所を覚えたのか自分で戻っていってしまった。



「今の客はなんと言ったのだ?」

英語をさっぱり解さないハクに問われて、千尋は慌てて今の言葉の真意を知るべく辞書をぺらぺらっとめくりだした。

「ん‥‥と、リターンは戻る、だから‥‥部屋に戻る。で‥‥」

ぴきん、と固まる。

「‥‥なんだ?」

「‥‥後で部屋に来て、だって‥‥」



お誘い!?

今のってお誘いだったのっ!?



顔を真っ赤にしてオロオロする千尋を、ハクはとても面白くなさそうに見つめていた。








さて。

ルゥにあてがわれた部屋のまわりはちょっとした人だかりになっていた。

料理は蛙男が運ぶも、何を言っているのかさっぱり分からない。

「後で千が来ますから」と言い残して料理を置いて逃げ出すのが関の山。

見目麗しい客が来れば、こぞって部屋に行きたがる湯女のおねえさま達も、今回ばかりは千尋に全てを任せて遠巻きに様子を窺うばかりだった。

結局のところ、千尋が何もかも面倒を見なくてはならないハメに陥ってしまっている。

その千尋も英語はニガテであったし―――ハクがいい顔をしないので、出来れば遠慮したいのだが。



「セン」

千尋が入ると、ルゥは浴衣を身にまとってにこにこと手招きをした。

浴衣がやや小さいのは、外国の神で体が大きいからだろうか。

「By the way・…are you a mortal?」

「えっ? あ、は、はいっ」

人間か、と問われたくらいは分かったので、千尋は大きく頷いた。

「ここで働いてるんです」

つい日本語で答えてしまったが、それでもルゥは理解したようだ。

「I think you are wonderful」

何がワンダフルなのか分からないがとりあえずうんうんと頷いてにこにこ笑っておく。

内心は「早く出たい〜〜!!」と思いつつも。




ルゥの英語の話をよくわからないまま適当に相づちをうちつつ早夜半。

日頃使わない部分の脳を使った為か、千尋にそろそろ睡魔が訪れようとしていた。

いや実は、話を聞いている時から襲いかかってはいたのだが。

客の前でそんな姿を見せてはいけないという意志が何とか眠りにつくのだけは防いでいたのだ。

が。

そろそろそれも限界に近づこうとしていた。

まぶたが重い。

「If you are sleepy, rest here.」

ルゥの声が遠くなっていく。

「‥‥ちょっとだけぇ‥‥」

千尋はそのままこてんっ、と転がってしまい――――それから後の記憶は全くと言っていいほどなくなっていた。









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