夏の夜の一時
その1


260000キリ番作品







「………花火大会?」

「そ。何でも坊が言い出したらしいんだが……湯婆婆も坊に言われちゃ無視出来ないって事で、やる事になったんだ」

リンからチラシを見せられて、千尋は「ふうん」と声を漏らした。

ちらり、と千尋の顔をのぞき込むと、彼女の目はキラキラと輝いている。

「……楽しみなんだろ、千」

「なっ……何で、分かるのっ!?」

「わからいでか」

リンはあはははは、と豪快に笑って、千尋の背中を叩いた。

「わっ、リンさんっ」

「取り繕ったってダメダメ。ま、一週間後にはいやでも花火大会の日になるんだし、楽しみにしてな」

わしゃわしゃ、と千尋の髪をかき混ぜて、リンは歩き去っていってしまった。

「んもー……」

――――高校生にもなって、花火が楽しみでワクワクするなんて子供みたいよね。

と思いつつも、わくわくする気持ちを抑えられない。

――――ハクも、参加するのかな。

ふっとそんな考えが浮かんで、千尋はちょっと切ない気持ちになって胸を押さえた。

ここの所ハクは忙しいらしく、滅多に姿を見なくなった。

湯屋自体にいない事も多いようで、姿を見かけても話しかける事すら出来ない。

――――一緒に、花火を見られたらいいのにな。

空を見上げて、思わずため息をつく千尋であった。











その日がやってきた。

客も従業員も、果てはススワタリたちまで外に出て来ての大花火大会に、千尋はワクワクした気持ちを抑えられなかった。

「あー…と、千」

「え?」

女部屋を出ようとした千尋は、リンに呼び止められて振り返った。

そのとたん、ぱふっと顔に何かを押しつけられる。

「わっぷ」

「それ、ハクからだ。着て来い……だとさ」

「え……?」

見れば、それは綺麗な花模様が入った浴衣だった。

「ハクからって……何で、リンさんが?」

「たまたま会ったからだよ。直接手渡してもいいんだけど、なかなか千に会えないからってさ」

浴衣をぎゅ…と抱きしめて、千尋は「有り難う!」と大きく頷いた。

「釜爺のとこで待ってる、だとさ。早く着替えて行って来いよ」

「うん!」

千尋が早速着替えるために水干の紐を緩めるのを確認して、リンは女部屋の障子を閉じた。














裾を踏まないようにと気を付けてやってきた釜爺の仕事場、ボイラー室。

「おお、やって来たか」

ススワタリたちはもう花火見物に出かけてしまったらしいが、釜爺はまだ残っていた。

その隣には、ハクの姿も。

「……良かった。良く、似合ってる」

開口一番、そう話しかけてきたハクに、千尋は顔を赤くしながらもにっこりと微笑んだ。

「ハクと一緒に花火見られて、嬉しいな……このごろ忙しそうだったから、無理かなって思ってたから……」

「その花火大会の事で色々とね、やることがあって……今日は一日時間があるから、千尋の側にずっといられるよ」

花火大会よりも何よりも、ハクと一緒にいられるのが嬉しい。

「うんっ! 今日は一緒にいようね!」

千尋は嬉しさのあまりハクの腕に抱きついた。

その時、外からどーん……という鈍い音が聞こえてきた。

「おお、始まったようじゃな。早く行っておいで」

「はい」

「行ってきます!」

元気よく外へと出て行く二人を見送り、釜爺はよっこらしょと腰を上げた。

「さぁて……次の支度にとりかかるかの」

悪戯っぽい笑みを浮かべ―――釜爺はそのまま中の方へ、湯屋の中の方へと歩いていったのであった。











「わぁぁ、すごーい!」

どーん! と大きな音と共に次々と打ち上げられる色とりどりの花火。

その美しさもさることながら、隣にハクがいる事が何より嬉しくて、千尋はついつい大声を上げてしまった。

「楽しい?」

ハクに話しかけられ、千尋は大きく頷いた。

「うん、とっても! こんなに大きくて綺麗な花火も、初めて」

「そう。それなら良かった」

暫くそうして空を見上げていた千尋だったが―――――

「ああ、ここにいた」

リンに話しかけられて、ふっと振り向いた。

「リンさん?」

「坊が呼んでるぜ。千に用だって」

「坊が……?」

坊、という名を聞いてハクの表情が渋いものになる。

普段はポーカーフェイスで何を考えているか分からないハクだが、こと千尋の事に関しては何を考えているかがすぐに分かってしまう。

それを知ってからは、リンはそこまでハクの事が嫌いではなくなっていた。

「ハクも来たらいいんじゃねぇか? 別に千一人で来いとは聞いてねぇし」

「……そうだな。千尋、行こうか」

「そうね。何の用だろうね……」

不思議に思いつつ、千尋とハクは坊が待つという所まで向かったのだった。








「……ハクも来たのか」

坊は嫌そうに言うものの、帰れとまで言うつもりはなかったようで、それきり千尋の方へと向いてハクへは何も言わなかった。

「肝試し……?」

「そう。人間の世界ではそういう事をして遊ぶって聞いたから、作ってみた」

――――確かにそういう遊びはあるけれども………正直、私はあんまり好きじゃないのよね……。

人ならざる者との接触は多い千尋だったが、肝試しのようなものとなるとまた話は別。

「千、まず入ってみて面白いかどうか確かめてほしい」

「え、ええええっ!? 私がっ!?」

――――一人はやだよぉ。

そう思いつつちら……っとハクを見る。

ハクは千尋の視線に気がついて笑みを浮かべた。

「一緒に行こうか、それなら怖くないよね」

「………うん!」

ハクと一緒なら大丈夫。

そう思い、ようやく笑みを浮かべる事が出来た千尋だった。






湯屋の裏に何時の間に出来たのか、大きな森があった。

そこが肝試しの会場―――らしい。

おそらく湯婆婆の魔力によって作られたものだろう。

幻影の一つだろうが……木に触ってみても本物にしか思えない。

「……この奥に、メダルが置いてあるから、それをとって帰ってこい……って言ってたわよね」

「そうだね。道は一本道だろうから、迷う事はないと思う」

……何かが出ると分かっている道を歩くのははっきり言ってイヤだ。

その思いがハクの腕を掴む腕に力を込めさせる。

ハクはふっと笑みを浮かべて、千尋の腕を撫でた。

「さ、行こう」

「う、うん……」

おずおずと足を踏み入れ、歩き出す。

かさかさ……と枯葉が音を立てる。

「……………」

どれくらい歩いただろうか。

ハクが突然ぴた、と足を止めた。

「ぐあぁぁあ!!」

「きゃ――――っ!!」

叫び声と共に飛び出して来た白いモノに、千尋は悲鳴を上げてハクにしがみついた。

「…………えぇ?」

おそるおそる目を開けると、そこには何もいない。

確か、今、飛び出してきた筈………

「さ、行こう」

「え、い、今何か……」

「気にしなくていいよ、行こう」

頭にハテナを飛ばしたまま、千尋はハクに導かれるまま歩き出したのだった。







「―――ハクさまがいるんじゃ意味がないじゃないか」

「しゃーねぇだろ。千が信頼しきってるのを引き離す訳にもいかねぇし……」

「仕方ないじゃろ……次の手に行こう」

「次の手?」

「うむ。そなたの番じゃ」

「……オレかよ…」

そんな会話の後、辺りは静けさに包まれた。











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