千尋は人気者
その1
4000HIT キリ番作品
「さぁって!! 今日も頑張るぞー!!!」 たすきがけをして気合いを入れているのは千尋。 「おいおい‥‥そんなに気合い入れてると途中でぶっ倒れるぞ」 リンが的確なツッコミをいれる。 「だって、気合い入れないと大変なんだもん。この頃なんかお客様が多くって」 「そりゃ確かに」 「それに‥‥なんか私、あちこちから呼ばれてる感じしない?」 「んー? 普通じゃねぇの?」 「そっかなぁ‥‥」 元々油屋は人気のある湯屋だったが、この頃はとみに客の入りが多い。 リンはその理由を父役から聞いた事があった。 ――――人嫌いで有名な湯婆婆が、人間の娘を雇っているらしい。 ――――人間でありながら精々にも理解があり、優しい娘だそうだ。 ――――冷酷非情で有名な油屋の帳簿係の少年がその娘にご執心らしい。 そういう噂がまことしやかに流れているのだそう。 ようするに増えた客の半分以上は、千尋目当てという事になる。 人と見るやいなや豚に変えてしまう湯婆婆(語弊あり)と、接客業に向いてないと言われるほど無愛想なハク。 この二人が関わる人間の娘とはどのような娘か。 物珍しさもくわわって客が押し寄せているのだ。 ――――知らぬは本人ばかりなり、ってトコかね。 リンは気合い十分で歩いていく千尋の後を歩きながら、面白そうな事が起こりそうだとわくわくしていた。 ――――今の千尋の状態を面白くないと思っている人物がいるのが分かっているからこそ、よけいに面白い。 自分に面倒ごとがかぶってきさえしなければ、お祭り騒ぎが大好きなリンであった。 そして、ここに面白くないと思っている人物が一人。 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」 その人物、ハクはじーっと帳簿を見つめていた。 が見つめているだけで、頭の中は違う事を考えている。 何処から噂を聞きつけてくるのか、今や千尋は油屋の内外で噂の人物となっていた。 とってもおもしろくない。 千尋には「絶対に湯女だけはしないように」とクギをさし、父役や兄役にもそれとなく千尋には下働きをさせるようにと伝えてあるが、あまりに千尋の指名が多い為か、この頃はハクに黙って湯女のまねごともしているらしい。 「‥‥‥‥‥‥‥」 そこまで考えて、よけいにムカつきに拍車がかかった。 抑えきれない感情が、机にぴしっとヒビを走らせる。 気性が穏やかな神やオオトリ様のような客ならいいが。 なかには気性が激しかったり、湯女に良からぬ悪戯をしかける客もいる。 ――――客の分際で千尋に手だししようなんて、1億年早い。 どうやらハクの頭の中では崇め奉らないといけない客ですら、千尋と比べたらかなり下のランクらしい。 彼の価値観ではそれも仕方ないだろうが。(自分の半身である川の代わりとして千尋を指名したのだからしょうがない‥‥‥のだがそれで済ませていいのだろうか?) 「‥‥‥何とかしなきゃいけないな‥‥」 そう呟いたハクは、何となくどす黒いオーラを発していて。 「‥‥‥‥‥‥あ、あのー、あのー‥‥」 用事があってやってきた青蛙は、いつまでたってもハクに話しかけられずオロオロするばかりだった。 「セーン! ちょっと来ておくれ!!」 「はぁーい!」 手ぬぐいをもってとっとこ走っていた千尋は、女中頭から呼ばれてそちらのほうへと走っていった。 「ここの部屋のお客様があんたをおよびだよ。すぐにいっとくれ」 「は、はい」 まただ。 ここのところ、一日に2、3回はおよびがかかる。 必要とされるのは嬉しいが、こうも毎日だと疲れる。 千尋は手ぬぐいとたらいをもつと、部屋の前に立った。 すぅ‥‥と息を吸い込む。 「あの、お客様‥‥‥参りました。千でございます」 座って障子をあけて―――――千尋は部屋の中へと入った。 その頃、ハクは店の中の見回りをしていた(帳簿係の筈なのにこういう事までしなくてはならないのは、当然湯婆婆の差し金である‥‥が、見回りと称して千尋の様子を見に行けるので、ハクはその役目を楽しんでいた)。 が、いつもいる湯殿のあたりに千尋の姿は見えない。 「おい」 と近くを通った蛙男を呼び止めると、男はひぃぃぃっという悲鳴つきで立ち止まった。 ハクがおこした数々の出来事(笑)を知っていれば当然の行動といえよう。 「‥‥千は何処にいる?」 その恐怖を煽るがごとく、ハクはひくい声で男に話しかけた。 まるでヤ●ザが組長の居場所を訊ねるがごとくである。 「せ、せ、せ、千ですかっ? え、えと、あのですね、き、き」 「‥‥‥早く言え」 「き、今日は確かお客様の接待を‥‥‥‥」 ハクは目を細めた。 またか。 この頃千尋の指名は異様に多い。 自分が何も言わないのを良いことに―――――。 「‥‥何処だ?」 もう半泣きになっている男が指さした方向に、ハクは「ありがとう」と一応の礼を返すとそのまま早足で歩いていった。 |