おでかけ

1500HIT キリ番作品





湯屋・油屋が静かになるのは明け方。

仕事も終わり、湯女たちも男たちも皆部屋で寝静まる。

当然千尋もクタクタになって、女たちと一緒に布団の中ですやすやと睡眠を貪っていた。



「――――ろ‥‥ちひろ‥‥千尋‥」



優しく揺さぶる手。

優しく呼びかける声。

ただ不満を言っていれば良かった、何も心配はなかったあの頃。

そんな頃を思い出させるような、優しい語りかけ。



「‥‥んー‥‥おかぁさん‥‥後5分‥‥」

千尋はもぞもぞと頭を布団の中に引っ込めようとした。

「千尋、私だ。ハクだ」

その言葉に一気に頭の中が覚醒した。

布団から頭を出して、視線を向ける。


「ハ‥‥‥」

ハク? と言いそうになった千尋は、シィ‥とハクの指によって唇をおさえられ、言葉を紡げなかった。

「他の皆が起きてしまう。――――外に出てこられる?」

前にもハクは明け方に千尋を呼びだした。

あの時は、豚になってしまった両親と自分を会わせてくれるために。

落ち込んでいた千尋を慰めてくれるために。


でも今は、千尋もドジはするものの、それなりに湯屋の仕事をこなしている。

リンも助けてくれる。

不平言わず頑張る千尋に、少しずつ他の湯女や男衆も千尋への態度を改めつつあった。

とりたてて、今の状況に差し迫った不安はない。

何のために?




「‥‥‥眠い?」

いたずらっぽく笑うハクに、千尋はぶんぶんと首を横に振った。

「ううん、出られる。何処に行けばいいの?」

「橋のたもと。待ってるから」

ハクは音もなく立ち上がるとすっと部屋を出ていった。

それを見送り、千尋は水干を身につけて髪を結う(髪留めはもちろん銭婆から貰ったものだ)と、こそっと部屋から出ていった。

千尋が出ていってしまった後、リンがぱっちりと目をあける。

「――――あいっかわらずまどろっこしい純愛やってんだねぇ、あいつら」

釜爺の「愛じゃよ、愛」という言葉が脳裏をかすめて、リンは苦笑した。

「‥‥寝よ寝よ。今日の仕事もまたキツいんだし」

リンは布団を頭からかぶって再び寝息をたてはじめた。





橋のたもとまで来て、千尋はキョロキョロと辺りを見回した。

ハクの姿はまだ見えない。

「何処だろ‥‥」

「千尋」

はっと視線を向けると、橋の向こう側からハクが歩いてくるところだった。

「来たよ、ハク。‥‥どうしたの?」

「千尋に、見せたいものがあったんだ。太陽が出ている時の方が綺麗だから」

ハクが手をさしのべてくる。

その手に自分の手を重ねる。

ハクと触れるのはうれしいけど、ちょっと恥ずかしい。

どきどきする。

でもうれしいとはずかしいとを天秤にかけたら、うれしい方が断然重いから。

やっぱり触れていたい。

千尋がきゅっと握られた手に力を込めると、ハクも気がついたのか握り返してきた。





ハクと手を握ってずんずん歩いていく。

以前千尋と両親が歩いた食堂街をくぐり抜け、あの石段を横目に見ながら草原と平行するように歩いていく。

草原をわたる風が、千尋の髪をなびかせた。

「ほら、あそこだ」

先を歩いていたハクが指さす方向を見ると、こんもりした丘のようになっている場所があるのがわかった。

「あそこ?」

「うん。行こう!」

「あ、ハクっ‥」

手を握ったまま走り出したハクに引っ張られるようにして、千尋も走り出す。

一緒に走るのは、あの時ぶり。

初めて迷い込んで、ハクに引きずられるようにして街の中を走ったあの黄昏時。

でもあの時とは違う。

ちゃんと私はここに存在出来て。

認められて。

ハクと一緒にいられて。

――――まるで、夢みたい。

でも夢ではない証拠に、握られた手から伝わってくるハクの体温は、とても温かかった。









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