千尋の素敵な日常?
その1


222222キリ番作品






四月。

桜の花と共に出会いと別れがあり、期待と不安に満ちた時。

それは千尋も例外ではなかった。












「……コレがキャンパスかぁ……」

思わず校舎を見上げてそんな当たり前のことを口走ってしまい、千尋は慌てて口を押さえた。

これでは田舎者丸出しである。

誰も見てないかと辺りを確認し、見てないのを確認して歩うっとため息をついた。








この四月から千尋は短大生になった。

親元を離れ一人暮らしである。

これまで一度も親元を離れたことの無かった千尋だったが、それに関しては何の不安も感じてなかった。

彼女が気になっている出来事はただ一つ。


―――ハク、お母さんに絡まれたりしてないかしら………。


今や自分の旦那となったハクのことだった。







いわゆる学生結婚をした千尋だったが、短大を卒業するまでは一緒には暮らさないというのが千尋とハクの間での取り決めだった。

勉強に専念したいというのが千尋の願いであったし、結婚していること自体大学側にはナイショであるのも大きな理由。

大体千尋の通う短大も電車で二時間くらいのところでもあったから、ハクにとっては隣も同然の距離なのもあって卒業するまではハクは荻野家で暮らすことになっていた。

―――結婚の大きな理由は母親であるのは紛れもない事実だが。







「ハクくーん、お茶が入ったわよ!」

「あ、はい」

すっかり荻野家のペース(と言うよりも母親のペースだったりする)に慣れたハクは、返事を返してリビングへと向かった。

「はい、どうぞ」

息子が出来て嬉しい限りの母親は、ハクにとことん甘い。

親という存在を知らず理解も出来ないハクではあったが、その感情は不快ではなかった。

千尋と出会ってから、自分は確実に人間に慣れてきている。

証拠に、こうして人と長く一緒にいても苦痛では無くなってきている。

「……ハクくん?」

「……え?」

どうやら呼ばれていたらしいことに気づき、ハクは取り繕うように笑みを浮かべた。

「ぼーっとして……千尋のことを考えてたの?」

「あ……いえ」

確かに考えていたことには変わりないので何となく言葉を濁していると、母親の方はそれを照れていると勘違いしたらしく、声を潜めてきた。

「寂しいんでしょう? こんなに長く離れるなんて無かったことだものね」

うんうんと頷いている母親の勘違いをただすのも何となく気が引けて、ハクは曖昧に頷くにとどめた。






ハクにとって二年はそれほど長い年月ではない。

千尋のことを知らずに過ごした年月、千尋を遠くで想うだけだった年月に比べれば、二年など何でもない。

「そうだ!」

いきなり声を上げた母親に、ハクはえ? と視線を向けた。

「今度の休みに千尋のところに行きましょうか! 引越の時はゆっくり出来なかったでしょう。千尋も少しは短大に慣れたでしょうしね!」

「は、はぁ……」

この人の元気は一体どこからわき出るのだろう。

内心感心しつつ、ハクは義理の母親の言葉に頷くしか出来なかった。









「じゃあね、荻野さん」

「明後日は二限からよ、間違えないでね!」

「分かってるって!」

そんな言葉を友人と交わして別れ、千尋は自分の家へと向かっていた。

「明日は休み〜〜♪」

鼻歌を歌いながら帰っていた千尋は、近くまで来て足を止めた。

マンションの前に、見慣れた車が止まっている。

「これは……」

父親が大切にしている車だ。

だが父親は今日は仕事に行っているはず。

母親も車の免許は持っているので買い物の時は良く使うが――――車でなら一時間ちょっとかかるこの場所に、まさか母親1人で来たのだろうか。

オートロックをあけて、自分の部屋へと向かう――――。

まさに扉を開けようとしたその瞬間、扉が勝手に開いた。

「やぁっと帰ってきたわね! 遅いじゃないの千尋!」

扉の向こうには予想したとおり、母親がいた。

「お母さん……まだ学校始まってから一週間よ? 来るには早すぎない……?」

「まぁ。旦那様に会えなくて寂しい思いをしてるんじゃないかと思って、わざわざ連れてきてあげたのに?」

「え?」

その言葉にはっと部屋の中をのぞき込むと―――――。

「千尋」

そこには、ハクがいた。

「ハク!!」

思わずその場に母親がいるのも忘れてハクに飛びついてしまい、千尋は後から母親に嫌みを言われる羽目になったのだった。








「高校の時とは違ってやっぱり勉強難しいね」

「そりゃそうよ。あなたが行きたいって言った所なんだし。しっかり勉強しなさいよ」

「分かってるわよぉ」

「ハクくんだって寂しいの我慢してるんだからね?」

母と娘の会話を黙って聞いていただけだったハクは、いきなり自分の話になって慌てて視線を向けた。

「お、お母さん? 私はそこまでは……」

「いいのいいの。ハクくんは優しいから千尋に言いたいことも言えないでしょう?」

――――やっぱりお母さんに振り回されてるみたいだ………。

今まで人間と接する事が無く湯屋でも周りと一線を引いていたハクにとっては、大変な日々に違いない。

「ああそうそう。千尋、ちゃんとご飯食べてるの? 冷蔵庫のなかに何にも入ってないじゃない」

「やだ、お母さん、見たの?」

今日買い物に行こうと思っていた……と言うのは母親にはきっと聞いて貰えない。

「お母さんが買い物に行って来るから、あなた達は夫婦水入らずで話でもしてなさい」

さっさと出かける用意を始める母親に、ハクも千尋も固まったまま。

「じゃ行ってくるわね」

ぱたん。

扉が閉められると先までにぎやかだった部屋がしーんとした静寂に包まれた。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

言葉が出てこない。

――――夫婦水入らずって!

新婚生活もそこそこに短大生活に入ったので、まだ夫婦という実感がない。

そこへその言葉で、2人とも意識しすぎて言葉が出てこなくなってしまっているのだ。

「あ、あの……ハク」

「何?」

「……元気そうで、良かった」

千尋の言葉にハクはぷっと吹き出した。

「な、何で笑うの?」

「いや……千尋、一週間前に会ったばかりだよ?」

「……そ、そうだったかなぁ…」

だがそれで2人の間にあった妙な空気は払拭され、ようやくいつものように話をすることが出来るようになった。

ハクと話をしていると、安らいだ気分になる。

正直慣れない環境で疲れを感じていたのが、癒されていくような気がする。

「そうそう、こういう事があったのよ……」

「何?」

結局母親が帰ってくるまで2人は延々話を続けていたのだった。








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