約束を抱きしめて
その1

79000HIT キリ番作品










――――また会える?


――――きっと。


――――きっとよ。


――――きっと。‥‥さぁ行きな。振り返らずに‥‥






最後まで握りしめていたあの手の温かい感触は今でも覚えている。

髪を束ねていたあの髪留めがすり切れて、その役目を果たせなくなってもまだ、手に残っている。

他の誰もが覚えていなくても。

たとえあのトンネルの先がもう湯屋に繋がっていないとしても。

私は覚えている。

あの約束を覚えているから。

いつまでもまっているから。

だから――――会いに来て‥‥ハク‥‥。







10年がすぎ、大人としての仲間入りを果たした日。

千尋は振り袖を着ながら、ひそかに手首にあの髪留めを巻いていた。

この髪留めを持っている限り、あの湯屋での出来事が夢ではなかったと思えるから。



ずっと待ち続けるつもりが、両親に泣きつかれて仕方なくお見合いをし、そのまま結婚をするその日も―――千尋はその髪留めを手首に巻いていた。


それから子供が出来て、いざ出産というその時にも。


あの髪留めはずっと肌身離さず持っていた。








ぷつ‥‥っ‥‥



「ママ、何か落ちたよ?」

息子が差し出したのは、あの髪留め。

「あ‥‥切れちゃったのね‥‥」

「ずいぶんと大切にしてるんだな、それ。もうすり切れてるじゃないか」

夫と息子が同じように覗き込んでくるのを、千尋は苦笑しつつ見返した。

「私がまだ子供だった頃に貰ったものよ。―――とても大切なものなの」

「ふうん‥‥」

「昔のボーイフレンドから貰ったものか?」

ニヤニヤ笑う夫に、千尋はどきんとしつつも笑って返した。

「そんなところね」

「ほ、ホントか!?」

「ママモテたんだね〜〜。パパ、ぴんちかも!」

いきなり狼狽し始めた夫を息子がはやし立てる。

「ほらほら! もうすぐご飯よ。手伝ってね、二人とも!」

千尋はぱんぱんと手を叩くと、まだ騒いでいる夫と息子をせき立てた。






ず―――っ‥とまってるんだよ。

わたし、あの約束を忘れた事なんてない。

誰にも言わず―――――ずっとこの胸の中に抱きしめてる。



時が流れて

私は大人になって

やがて年老いて

いずれは死を迎えていくだろう

心も変わっていくだろう



でも

この想いだけは―――胸の奥底に沈めて、鍵をかけてある。

その扉をあけるのはあなただけ。




だから、早く来て。

早く声を聞きたい――――――














「おばあちゃん‥‥何見てるの?」

籐椅子に座って古ぼけた髪留めを見つめていた千尋は、いつの間にか自分の周りに来ていた孫娘を優しく見つめた。

澪と名付けられたこの孫娘は、幼かった時の自分に良く似ていた。

「おばあちゃんが澪よりもまだ小さかった時に貰った大切なものを見てたの‥‥」

「ちっちゃい時に? もう死んじゃったおじいちゃんから貰ったの?」

無邪気に訊ねる澪は、まるで昔の自分自身のよう。

澪を見ていると――――70年近くも前のあの思い出が鮮明によみがえってくる。



あのトンネルも今はない。

異世界へと続く道は、もう何処にもない。



「違うのよ‥‥おじいちゃんと一緒になる前にね‥‥出会った大切な人たちから貰ったの。おばあちゃんはね‥‥約束をした人が会いに来てくれるのを待ってるのよ」

「約束したの?」

「そう。もうずいぶんと前の話だけど‥‥きっと会いに来てくれるから」

その時まで私が生きていられればいいけど。

「会えるといいね‥‥澪も会えるように、お祈りするね」

千尋は、小さい手を合わせて祈る真似をする澪の頭をそっと撫でた。









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