雪姫奇譚
その1
111111キリ番作品
冬になると、湯屋あたりは特に寒くなる。 雪は降り止まず、玄関前の雪かきという仕事まで増えてしまい、千尋の様な下っ端には辛い日々である。 「さむ〜〜い〜〜」 寒さに慣れない千尋は、くしゅんっと派手なくしゃみをして、鼻水をすすった。 「わっ、汚ェな、千!」 リンが大げさに驚いて後ずさる。 「ごめぇん」 千尋はそう謝った後、手を擦り合わせた。 「でも今日、特に寒くない? 雪がさっきから激しくなってきてる気がするんだけど‥‥」 「ああ、それは‥‥」 とリンが視線をやる。 つられて千尋も視線を向ける。 ――――食堂街の向こうの空に浮かぶ雲が妙に暗く、どう見ても雪雲に見えるのは気のせいだろうか。 「‥‥‥何、アレ‥‥」 「たぶん、雪姫が来られるんだろ」 「ゆきひめ?」 「そ」 リンはトントンと肩を叩いて息をついた。 「"姫"と名はついているが、どっちかと言ったら精霊に近い、いわゆる雪女の総元締めみたいな感じの人らしいぜ。雪姫が来られたら湯屋一帯大寒波に見回れるから注意しろよ」 大寒波。 これ以上寒くなるのか!? 千尋はごくっと息を呑んで、もう一度空を見つめた。 やがて、リンの言葉通り、湯屋は局地的寒波に見入られた。 「い、い、いらっしゃいませ‥‥」 出迎える湯女や従業員たちも震えが止まらない。 「1日、世話になります‥‥‥よろしゅうに」 玄関でその客―――雪姫は丁寧にお辞儀をし、案内されるままに上階の部屋へと歩いていった。 その後にはあちこちに氷柱や雪が残り。 「千、ここらの掃除を頼む!」 千尋はいつもよりもたくさんの仕事をするハメとなってしまった。 どうも背後から冷気がやってくる。 何でこんなに寒いんだろう、雪姫は上にいる筈なのに‥‥と思いつつ千尋が掃除をしていると。 「‥‥あら‥‥あなた、見かけない子ね」 冷気と共に声までもやってきた。 慌てて振り返ると――――さっき遠目に見ただけの雪姫が、千尋の前に立っていた。 白銀の髪は床につくほど長く、肌は陶磁器のように白い。 白い着物に薄い青色の帯を締めたその女性は、まだ20代くらいにしか見えない。 ただ唇だけが赤く、妙に艶めかしい。 「よくあの湯婆婆が人間を雇ったわね‥‥あなた、人間でしょう?」 「は、はい‥‥」 千尋は箒を握りしめたままこくこくと頷いた。 「こ、ここで働かせて貰っています‥‥千と言います」 「そう‥‥千という名を貰ったのね。私は雪。皆からは雪姫と呼ばれています‥‥よろしくね」 差し出してくる手をそっと握りしめると、まるで氷の中に手を突っ込んだように冷たかった。 精一杯声を出さずに頑張っていたが、どうもそれは雪姫には分かったようだった。 「人間にはわたくしは冷たすぎるようね。ごめんなさいね‥‥」 そう言ってすまなさそうに苦笑する雪姫は、とても穏やかな性質の姫らしい。 一癖も二癖もある客とばかり接していると、こういうお客様と接すると嬉しくなってくる。 「あ、あの‥‥何処か行かれるのですか? 良ければご案内致しますが‥‥」 「そう? 冷やし風呂に入ろうと思ったのだけど‥‥ここは広いので迷ってしまって。案内して頂けるかしら‥‥」 冷やし風呂。 この寒い中、氷の浮いた風呂に入るとは―――さすが雪女だ、と千尋は変なところで感心したのであった。 「ここが冷やし風呂です」 千尋は自分で案内しておいて、中から来る冷気とすぐ後ろから来る冷気とに思わず身震いした。 さむい!!! 水干の下は一応厚手の肌着を着ているものの、足は全くの裸足であるので、足の指がちぎれるかと思われるほどに寒い。 「ありがとう。‥‥あなたにはここはもう寒いでしょう? 行ってよろしいですよ」 そう言われて辺りを見回す。 普通ならば世話する筈の湯女がいる筈なのに、その片鱗すらない。 「あの、私がお世話します」 ここでもし放って帰ったら、後で湯婆婆に何を言われるか分からない。 そんな意地も半分はあった。 「そう‥‥? じゃあお願いしていいかしら」 その時に知ったのだが、こういう沐浴の場合は、白い浴衣を着て入るのが普通らしい。 てっきり裸になるとばかり思っていた千尋は、安心するやら残念やらの複雑な気持ちで髪を梳いていた。 「まぁ‥‥あなた、16歳なの?」 「はい」 雪姫は遠くを見るような仕草をした。 「わたくしにも生きていればそのくらいの娘がいたのです」 「えっ!?」 思わず櫛を取り落としてしまい、慌てて拾い上げる。 「お、お若く見えますのに‥‥??」 「まぁ」 雪姫はくすくすと微笑んだ。 「わたくしは雪女。人間よりもずっと長い時間を生きるのですよ」 ひとしきり笑ってから、雪姫は後ろにいる千尋を見やった。 「一時期、わたくしは人間の殿方のところに嫁いでおりましたから。娘ももうける事が出来ましたが‥‥娘は人間の血のほうを濃く受け継いでいたようで、3つの年にわたくしの冷気に耐えられず死んでしまいました。その時ばかりは自らが雪女である事を恨んだものです」 その話を聞きながら、千尋は雪姫の美しい髪を梳いていく。 「生きていれば16の年になる筈。‥‥懐かしい思い出ね」 その時の雪姫の横顔は、確かに母のもの。 ――――お母さん、元気かな。 千尋の母は決して甘い母ではなく、どちらかと言えば友達みたいな感覚の母ではある。 それでも母のさりげない優しさが身にしみる事もある。 千尋は久しぶりに、あの家で父と暮らしているであろう母に思いを馳せた。 結局、雪姫を部屋まで送り届ける事になった。 色々と話をしつつ部屋までやってきて、障子の前で雪姫が振り返る。 「お仕事はこの後は?」 「え、いえ‥‥」 時間的にはもう上がりの時間の筈。 片づけをしたら部屋に直行して、夢も見ずに眠る事になるだろう。 「少し寄って行きなさい。時間はとらせないから」 え。それって。ちょっと?? 千尋が返事をする前に、雪姫は障子を開けた。 |