緋色の野望・血色の闇
その12
「ここは荒地の魔女が居住に使っていた場所だよ。彼女がいなくなってしまった後を勝手に使わせて貰ってる。―――ハウルの処に当の本人はいるんだから、別に問題はないしね」 荒地にそびえる山の中腹に出来た城にソフィーは案内された。 岩で出来た城は一人で住むにはあまりに広く、そして寂しい。 (―――おばあちゃんはこんな処で50年、ずっと一人住んでたんだ……) 「城からは出られないが中でどう過ごそうと君の自由だよ、ソフィー」 はっと気がつくとカーディナルがソフィーのすぐ前に立っていた。 「―――よくよく見れば君の髪は不思議な色をしているね」 茶髪だった髪の色は老婆になった時に銀髪に変わり、呪いが解けた時も結局この髪の色だけは戻らなかった。 だが良く見ると銀髪ではあるが光を受けると色が仄かに変わり、きらめいて見える。 ハウルはこの髪を「星の色」だと言ったが、その呼び名が一番相応しいのかもしれない。 カーディナルが指を伸ばしソフィーの髪に触れる。 「……触らないで」 声が震えるのを必死にこらえて、ソフィーはカーディナルを見据えてしっかりと言い切った。 「あなたがハウルを傷つけたのは確かだもの。―――今のままじゃ、あたしはあなたを許せない」 ソフィーの言葉に目を丸くしていたカーディナルだったが、やがてくっくっと笑みを漏らした。 「何がおかしいのよ」 「許せない、か――――」 カーディナルの様子は何も変わらない。 だが―――ソフィーは彼の事を「怖い」と感じていた。 「……ならば、ハウルが僕を傷つけるのは許すというのかい? 僕は散々ハウルによって貶められ、傷つけられた。それはどうだっていいというのかな?」 にっこりと微笑みながら言葉を紡ぐカーディナルの瞳が―――怖い。 そう、あれは狂気だ。 「―――確かにハウルは自分の事しか考えない、我が侭な人だわ。態度だって横柄だし、性格だって決して褒められたものじゃない。他人の痛みにも無頓着で、きっと知らず知らずのうちにたくさんの人を傷つけてきたと思う」 ―――だけど。 「でも彼は誰よりも純粋だわ。本当に大切なものは何か、ちゃんと見極める目を持っている」 だから戦争をあれだけ恐れ、サリマンからの招へいから逃げ回っていたのだ。 ―――それもソフィーという存在を得てからは戦う事を恐れなくなって来たから、ソフィーとしては複雑な気持ちだったが。 カーディナルがすい、と足を踏み出す。 威圧感にソフィーは身をすくめた。 「―――ならば問おう。あの戦争の時にハウルは何度も黒い鳥となって、生物兵器と化した人間達を次々と殺していったそうじゃないか。それは何故だ? 彼のなかにある子供じみた正義感とやらのせいじゃないか?」 「そ、それはあの鳥たちが皆の街を焼くからじゃないの! 一体何が原因なのかも分からない戦争で、沢山の人が死んだのよ……!」 「ハウルも同じだ。その鳥たちにも皆家族がある。―――家族を奪われてハウルを恨む者たちが沢山いる事を君は知っているのか?」 ―――怖い。 怖い!! ソフィーはじりじりと後ずさった。 「ハウルのせいで一体何人の人間が死んだと思う?」 カーディナルの手が伸びる。 その手が触れる前にソフィーは身を翻した。 その途端右肩に痛みが走り、身体の重心がぶれてバランスが崩れた。 「きゃ…!」 倒れる寸前、腕がすっとソフィーの腰にまわり受け止める。 そのまま引き寄せられてソフィーは恐怖から身をすくめ息を飲んだ。 「他人を傷つけることには無頓着なハウルが君を傷つけられた時に見せた表情―――忘れられないね」 カーディナルの手がソフィーの傷ついた右肩にのび、ちょうど傷がある辺りを掴んで来た。 「……っ…」 何とか声をあげるのだけは我慢したが、必死に耐えるソフィーがおもしろいのかカーディナルはますます力を込めてくる。 「君を失ったら恐らくハウルは狂うだろう」 「…や…やめ、てっ…」 「いや、ただ狂って貰うだけではつまらないな。もっと彼には苦しんでもらわなくちゃ」 薬によって傷が塞がっただけの傷が開き、血がにじみ出てくるのを感じてさすがにソフィーはうめき声をあげた。 「大丈夫、まだ殺しはしないよ。君は大事なお客様だからね…」 唐突にカーディナルが手を離す。 「部屋に案内させよう。傷の手当が出来るようにしてあるから」 それだけを言い、カーディナルは歩いていった。 「ちょ、ちょっと待って。案内させるって……」 言いかけたソフィーは視線を周りに向けてぎょっと身をすくめた。 いつの間にか自分の周りをゴム人間たちが取り囲んでいる。 「な、何よ…」 襲ってくるかと思ったそのゴム人間は、身をかがめお辞儀のようなポーズをとるとすっととある方向を指し示した。 その方向には大きな扉が見える。 「…あそこからいけるってわけね」 ここで立ちつくしていても仕方ない。 ハウルが来るまでは少なくとも自分の身の安全は確定した訳だし、それならば少しでも傷を癒して体力をつけておかなくてはならない。 「……いいわ。案内して」 ずるずると歩き出すゴム人間について、ソフィーは歩き出した。 1週間が何事もなくすぎた。 だが城のなかでそれまで聞こえていた笑い声や暖かい雰囲気は、全くない。 代わりに感じられるのはぴりぴりとした緊迫した空気。 それを生み出しているのは他ならぬこの城の主人、ハウルだった。 「カルシファー、荒地の方向へ城を動かしてくれ」 白いシャツと黒のズボンにクリーム色の上着を肩にかけたハウルが姿を現す。 無造作に薪を放り込み気だるげに髪をかきあげるハウルを、カルシファーはおずおず見上げた。 「……傷が塞がっただけなんだろ? 魔法を自在に使うだけの体力はないんじゃ…」 「これ以上奴に好き勝手させる訳にはいかない」 ハウルはもう一本薪を放り込んだ。 「返り討ちに遭ったら……」 「構わない。もう僕とおまえとは分離しているから、僕に何かあってもカルシファーに影響はないだろう」 無表情なハウルを見ていると、寒気を感じてくる。 彼の心が闇に染まりつつある―――ソフィーがいない一週間で身体の傷は治ったとしても、心の傷は深くなってきている。 このままカーディナルと出会って戦いに突入したら、完全に闇に呑まれてしまうかもしれない。 そうしたらハウルはソフィーのことも分からずただ殺戮を繰り返すだけの化け物と化すだろう。 長い間カルシファーが宿っていたハウルの心臓は、それだけで普通の心臓と違う―――ハウルがそれを望めば、悪魔の力を呼び出すことだって出来るのだ。 「……おいらも行こうか?」 「いや、いい。ソフィーからの連絡を待ってくれ」 外の風景が緑あふれる草原から荒地に変わる。 それに視線をやったハウルはすっと扉のほうへと足を進めた。 「ハウル!」 「後のことは頼む」 そういうが早いかハウルは扉を開けると外へと飛び出した。 バタン! と扉がしまり、後には静寂が残るばかり。 ぱちっ…と火がはぜる音と共に、カルシファーのつぶやきがリビングに響きわたった。 「…早く帰ってきてくれよぉソフィー……このまんまじゃ、ハウルが壊れちゃうよ……」 |