緋色の野望・血色の闇
その13
「!?」 ソフィーははっと身を起こした。 「聞こえるわけ、ないか……」 カルシファーの声が聞こえたような気がした。 いつの間にか眠っていたベッドからもそもそと降りて、スカートのしわを直す。 ソフィーの部屋としてあてがわれた部屋のクローゼットには色々なドレスやネグリジェが入っていたが、袖を通す気にはならない。 傷の手当はさせて貰ったため痛みはかなり治まっていた。 「………ふぅ」 ゴム人間がもってきたらしい食事が扉のところに置いてあったが、とても口にする気になれない。 ここ一週間パンや水を少し食べるだけだったためか、痩せたような気がする。 体力が落ちるのは避けたかったが、カーディナルが何か食事に仕込んでいるかもしれないと思うと、料理されたものは怖くて食べられなかった。 「…もう一週間くらいたったのね…」 あれからカーディナルとは会っていない。 一体彼が何をしているのか心配だったが、下手に自分が手を出すとハウルに影響を及ぼす。 結局ソフィーはこの部屋でただおとなしくしているしか出来なかった。 (大見得切って出てきたはいいけど、結局あたし何の役にもたってない……お荷物なだけだわ…) ソフィーはぎゅ、と手を握りしめた。 指にはまる指輪の存在を感じると少し安心する。 「………?」 ずっと静かだった城の内部が、妙に騒がしい。 人の気配ではないが、いろんなものがあわただしく動くような―――そんな活気が伝わってくる。 「……もしかして!」 ハウルが来てくれた? ソフィーは窓に走り寄って外を眺めた。 だがそこから見える風景は最初の日に眺めた荒地の風景と全く同じ。 ここからでは何が起こっているのか知りようもなかった。 「……どうしよう」 もしかしたらもう中に入り込んだのかもしれない。 おとなしくじっと待っていたほうがいいのかもしれないけど―――でも気になる。 しばし悩んだ後、ソフィーは立ち上がった。 「……様子を見なきゃどうしようもないわね」 何か護身用になりそうなものはないかと視線を巡らせる。 「……あ」 食事が乗せられているトレイにナイフがある。 ナイフを手にとると、ソフィーはスカートのポケットのなかに忍ばせた。 それからそうっと扉を押し開ける―――。 「…きゃ…!!」 廊下をあのゴム人間たちがたくさん、ひしめくようにうろついていた。 ソフィーの食事などを運んできてくれていたのがゴム人間たちだったから、一週間も見続ければ多少は慣れる。 が、これだけたくさんのゴム人間を見ると、あの戦争の時の恐怖を思い出して身がすくむ。 だが裏を返せば、こんなにたくさんのゴム人間たちがいるということは、ハウルがすぐ近くまで来ているという証明にもなる。 「………」 ソフィーの存在に気がついたゴム人間が、一体、また一体とこちらへ向かって来た。 「え、あ、やっ、来ないで、来ないでったら!!」 慌てて扉を閉めようとするが、素早くゴム人間が身体を滑り込ませてくる。 「いや!!」 ソフィーの腕をゴム人間が掴む。 他のゴム人間がソフィーの腰に腕を回して彼女の身体を抱え上げた。 「や、やだっ、離して! 下ろしてよ!!」 ソフィーの身体を抱えてそのままずぶずぶと音をたてながらゴム人間達は歩いていく。 (カーディナルのところに連れていくんだわ…!!) 何とか自由になろうと手足をばたばた動かすが、ゴム人間は一向に気にする様子なく歩いていく。 ―――長い廊下の向こうに、扉が見えて来た。 その扉がぎぃぃ…と重そうな音をたてて開いていく。 「……ソフィー」 その向こうには本来ならばダンスフロアであろうと思わせる大広間があった。 荘厳なシャンデリアや派手な壁、床で美しく飾られた大広間。 その中心にカーディナルが立っていた。 彼がすっと手を差し出す。 「お待ちかねの人が来たようだ。思ったよりも早い到着だったね」 ゴム人間がソフィーの身体をカーディナルに手渡す。 そうして彼らはまたずるずると身体を引きずって、今度は外へとつながる扉のほうへと歩いていく。 床や壁の隙間からどんどん外へと出ていくゴム人間たちを目で追っていたソフィーは、いきなりぐいっと引き寄せられて悲鳴をあげた。 「あの程度でハウルが捕まえられるとは思わないが、時間稼ぎ程度にはなるだろう」 喧噪が先ほどよりもはっきりと聞こえてくる。 「もうすぐ来るよ」 そう言いつつ、カーディナルは指をすっ…とソフィーに向けて、彼女の目の前で何かの印を描いた。 え、とソフィーがその印を見つめたその時。 どぉん! という音とともに広間に続く扉が吹き飛んだ。 「………!」 もうもうとあがる煙のなか男性のシルエットが浮かび上がる。 「……ハウル…っ、きゃ」 ぐい、とソフィーの腰をカーディナルが引き寄せた。 「っ、な…離してよ! んっ」 思いつく限りの罵倒の言葉を浴びせかけてやろうと思っていたソフィーは、次の瞬間口をやわらかいもので塞がれて硬直した。 「――――!」 いま。 あたし―――って、キスされてる、んだよね……? まるで他人事のように考えてしまう―――が、そうでもしなければ神経が焼き切れてしまいそうだった。 「―――カーディナル……」 地の底から響いてくるような低い声にようやく唇が離れる。 はっと我に返ったソフィーは唇を手の甲で拭い、おそるおそる視線を向けた。 ハウルがじっとソフィーを、カーディナルを見つめている。 その表情からは何も感じられない―――が、ソフィーにはハウルの怒りが頂点に達しているのが分かる。 「……ソフィーに何をした」 「ハウル! …あ」 そうと思わずハウルのほうへと歩み寄ろうとしていたソフィーはカーディナルに抱き込まれ、阻まれてしまった。 「……前にも言ったね? この少女を返してほしくばカルシファーを渡せ、と」 「そんなことはしない。おまえにカルシファーを渡せば大切な友人を見殺しにすることになる」 (ああ…相変わらず人の神経を逆撫でする物言いをしてっ…) ソフィーがはらはらどきどきする中、カーディナルは余裕の笑みでハウルを見つめていた。 「では君はこの少女を手放すということだね」 それまであまり感情を見せようとしなかったハウルの表情がこわばる。 「それでも僕は構わないよ……当然その時はこの少女の身に何が起こるかは保証しないけど」 ぎゅ、とカーディナルの腕に力が入って、悲鳴があがりそうになるのをソフィーは何とかこらえた。 「ソフィーは渡さない…!」 その言葉をかわきりにハウルが一気に距離をつめてきた。 すぐそこまで来た―――というところでカーディナルがそれを避けるように横に滑る。 「攻撃を仕掛ければソフィーが先に傷つくよ。か弱い女の身では君の繰り出す火の玉一つで命もろとも燃やし尽くされるだろうね!」 「!!」 一瞬行動を躊躇したハウルの隙を逃すことなく、カーディナルが手を振り上げて何かの印を刻んだ。 ハウルの周りに魔法陣が現れ、それが火となってハウルを包み込む。 「ハウル!!」 ソフィーは渾身の力を込めてカーディナルを突き飛ばした。 「ハウルっ!!」 途中まで走りより、声もかれんばかりに絶叫する。 ――と、ぱぁっと炎が光の粒となって飛び散り、そのなかから全く無傷のハウルが現れた。 恐らくとっさに防護の魔法をかけたのだろう、見たところ何処にも焼けこげ一つない。 「ああ、ハウル…良かった……」 安堵で涙が出てくる。 カーディナルの手を離れたソフィーを見て、ハウルのほうもようやく微かな笑みを浮かべた。 |