緋色の野望・血色の闇
その16
城があった部分から少し離れたところにハウルは舞い降りた。 足が大地に着いた途端、ソフィーはへなへなと崩れ落ちてしまった。 「……ソフィー…!」 ハウルの姿が見る間に元に戻っていく。 いつもの表情をくるくると変える、自分がよく知るハウルの姿に。 「ハウル……元に戻ったね」 見たところ、ハウルに怪我はなさそうでソフィーは安堵の息を漏らした。 とりあえずハウルが元に戻ったならいい。 (カーディナルのことがどうなったのかは気になるけど、今ハウルがここにいて無事ならそれでいいわ……) 安心した途端に今まで感じていた緊張が解けたのか、意識が遠のきそうになる。 だがハウルのほうはソフィーが意識を失いかけているのに仰天して、彼女の腕を掴んで揺さぶって来た。 「ソフィー! しっかりして、ソフィー!!」 ―――遠のきそうだった意識は、ハウルに揺さぶられることで強制的にこちらに戻されてしまい、ソフィーは顔をしかめた。 「……大丈夫、よ…安心しただけ」 「痛いところは!? あぁ、肩の怪我は!?」 「ハウル……あんまり揺さぶらないで、目が回る……」 「あ…ああ、ごめん」 「あんまり揺さぶったら駄目だって、ハウル」 ぱぁっと光が頭上で弾け、カルシファーの声が聞こえて来た。 「…カルシファー」 カルシファーがハウルとソフィーの周りをふわふわと飛び回る。 「良かった! ソフィーがおいらを呼んでくれなかったら、ハウルもソフィーもきっと駄目になってたぞ」 「そうね……」 ソフィーはそっと左手にはまる指輪をそっと撫でた。 「この指輪、カルシファーとつながってたのね」 指輪は今は何もなかったかのように沈黙を守っている。 カルシファーの炎の光にきらり、と宝石がきらめいた。 「その指輪にはまる石はおいらの分身みたいなもんなんだ。だからソフィーならおいらを呼び出せるんだよ。ソフィーはハウルとおいらを救ってくれた人だからさ」 「そうなの…」 くい、腕を引っ張られて、ソフィーはハウルに視線を戻した。 「ハウル?」 「呪いを解いておかなきゃ」 確かにカーディナルといつまでも繋がっている状態というのは勘弁してほしいところだ。 「出来るの? 今すぐ?」 「うん、すぐ出来る」 ハウルが何やら呪文を唱え、指で印を切る。 それからすっと顔を近づけて来て唇を触れさせた。 「――――……」 カーディナルがかけた術の方法と同じ、だ。 そんな事をぼんやりと考えていたソフィーは、ハウルが自分の背に腕を回してより強く抱きしめ、深く唇を割り込ませてきた事ではっと我に返った。 「んんんっ」 「ソフィー……良かった、ソフィー…」 うわごとのように呟きながらキスを繰り返すハウルに、闇の気配は全く感じられない。 本当に同一人物なのかと疑ってしまうほどに。 「…もうあんな事をしちゃダメだよ、ソフィー」 唇が触れあう程に近い距離で、ハウルが囁きかけてくる。 すっかり酔いしれていたソフィーがえ? と問いかけると、ハウルは瞳を陰らせた。 「…幾ら僕の為だからって、一人で危険な処に飛び込んでいくのは絶対にダメ」 「……ごめんなさい」 「自分の体を傷つけるような真似もダメだからね」 「あ…あれは、カーディナルと繋がってるって思ったから…」 「もし違ってたらどうするつもり?」 「う……」 自分がやった事が間違っていたとは思わないが、さして役にも立たなかったというのが正直なところ。 そのせいでハウルが闇に呑まれそうになってしまったのだから、周りはどれだけハラハラしたことだろう。 「いいね? ソフィー」 ―――でも。 「でもあなたが危険だったら、また同じようなこと……やっちゃうかも、あたし」 きっとその予感は当たっている。 ―――ただ守られているだけは嫌だから。 「ソフィー…」 案の定、ハウルは不安そうな表情でソフィーを見つめている。 「大丈夫よ……こんな危ないこと、滅多に起こらないでしょ?」 ハウルを元気づけようとソフィーがにこやかに微笑みかける―――それに対するハウルの答えは口づけだった。 その場が二人だけだったら、きっとハウルは自分の気が済むまでソフィーを腕に抱いていたことだろう。 だが。 「ハウル〜〜〜いい加減に離れろっ! 寂しかったのはハウルだけじゃないんだぞ、おいらだって寂しかったんだから!」 いつまでたっても離れようとしないハウルに業を煮やしたのか、カルシファーがけたたましくわめき立てながら周りを飛び回る。 「ハウル!! いーかげんにしろよっ!!」 「……わかったよ」 最初はそれを無視していたハウルだったが、しつこくカルシファーが言い立てるのに辟易したのか、ようやくソフィーを抱きしめる腕を解いた。 ソフィーの腕が自由になったのを見て取って、カルシファーがソフィーの手の平に舞い降りる。 「やっぱりソフィーがいなきゃダメだ。だぁれもおいらの面倒を見てくれないんだよ、薪がなくなってるのに誰も持ってきてくんないし。マルクルもハウルの世話ばっかりでちーっともおいらの世話をしてくんない」 手のひらに乗った途端にぶつぶつと愚痴をこぼすカルシファーも、不安だったのだろう。 いつもよりも饒舌に、ぺらぺらとこの一週間の事を喋り倒している。 「それじゃきっと暖炉も灰で汚れちゃってるわね……帰ったらお掃除しなきゃ」 「頼むよ〜〜おいら、前みたいな汚れ放題のお城は嫌だ」 「ふふ…カルシファーにも迷惑かけちゃったから、今日はごちそう作ってあげるね」 ちゅ、とカルシファーの口であろうあたりに軽く口づけをする。 「……えへへ…」 ニヤけてますます赤くなるカルシファーをハウルが横目で睨み付けたその時。 ―――遠くから機械音が聞こえて来た。 聞き慣れた、動く城の音。 「お城の音―――?」 「うん、もうすぐここに来るよ。おいら、先に帰ってるからここで待ってなよ!」 言うが早いかカルシファーはソフィーの手から舞い上がり、音が聞こえる方向へと飛び去っていく。 それを見つめながらソフィーは立ち上がった。 「……ソフィー」 後ろからハウルがソフィーの身体を抱きしめてくる。 「ハウル?」 「―――もう、何処にも行っちゃダメだよ……」 切なげに囁くハウルの声が耳をくすぐる。 ソフィーは自分の胸の前で組み合わされたハウルの腕をそっと撫でた。 「何処にも行かないわ、傍にいる。……もし離ればなれになっても、きっとあなたのところに戻るから」 轟音と共に、動く城が姿を現す。 突き出たベランダで大きく手を振っているのはきっとマルクルだろう。 城がどんどんと近づいてくるのを、ハウルとソフィーはじっと見つめていた。 |