緋色の野望・血色の闇
その18
中に招き入れて椅子に座らせ、ソフィーはその前に椅子を持ってきて腰掛けた。 「どうしたの? 今日は大立ち回りをしたし怪我も完全に治ってないんだし、もう寝たとばかり思ってたわ」 「……眠れなくて」 「何か飲む? 温かいミルクでも飲んだらきっと気持ちも落ち着くわよ」 立ち上がろうとしたソフィーは、ハウルが無言で首を横に振った事で再び腰を下ろした。 「…眠れなくても横にならなきゃダメよ? 身体は疲れてるんだから」 す…っとハウルがおとがいを上げ、ソフィーを見上げてくる。 その緩慢な仕草で胸が高鳴るのを何とか押さえ込み、ソフィーは「どうしたいの?」と問いかけた。 「……一緒に寝ない?」 ―――と、男性から真顔で言われて即答出来る女性はまずいないと思う。 「……そ、それは……」 みるみる顔が赤くなるソフィーにつられてか、ハウルの方も顔を赤くして首を横に振った。 「そ、そういう意味じゃなくって! ……このまま眠ったら、嫌な夢を見そうで……それで」 泣きそうな声で呟くハウルに、ソフィーはほっと胸を撫で下ろした。 (一人で眠るのが心細いのね……無理もないか) 一時的にとはいえ、絶望から闇に取り込まれそうになったのだ。 心がなかった頃ならいざ知らず、今の彼の状態で闇に取り込まれる事はひどく怖いことに違いない。 「……いいわよ。でも今日だけね?」 「うん」 ちらりと自分のベッドを見て、ソフィーは立ち上がった。 「あたしのベッドじゃ無理だからハウルの部屋に行きましょ。ベッドに乗っかってるぬいぐるみたちをどければ少しは広くなるわ」 ハウルの腕を引っ張る。 「ほら、行くわよハウル」 「あ、うん…」 ハウルの部屋は相変わらず鉱石やら宝石やら文字がかかれた板やらが辺り一面にちりばめられ、ベッドの上にも散乱をしている有様。 それらに混じって年代物なぬいぐるみが散らばっているのがアンバランスで、ハウルの心の内面を表しているようだな、とソフィーは思っていた。 「……明日、掃除しなきゃねぇ、これは」 「え〜…このままでいいよ」 「だぁめ! あたしがいる以上は好き勝手させません」 言いつつベッドの上にあるものをぽいぽいと机の上椅子の上に放り投げていく。 ようやく二人入れるスペースを確保すると、ソフィーはまずハウルをベッドのなかに押し込んだ。 その隣に自分も入り込む。 「きゃ…」 入るなり抱き寄せられて声をあげてしまったソフィーは、すぐ間近で「しー」とハウルにたしなめられて口を押さえた。 「……みんな起きたら困るから、ね」 「いきなり抱き寄せるからじゃないの」 ―――互いの体温を身近に感じる事が、こんなに落ち着くとは思わなかった。 ハウルの方もそうなのか、さっきよりも表情がやわらかい。 「眠れそう?」 「うん」 「肩の怪我、痛む?」 「ううん…見た目ほどそうひどくなかったみたい」 「明日になったら薬を作るから……そうしたらすぐに治るよ」 「うん、有り難う」 ―――沈黙。 温かさと疲れもあってだんだんと眠くなって来て、ソフィーは目を閉じた。 後もう少しで意識も全部眠りの底に落ちる―――という時。 「いつまでもこうしていられたらいいのに……」 ふ、と。 ハウルのそんな言葉が聞こえて来て、ソフィーは微かに目を開けた。 ぎゅ、とソフィーを抱きしめる腕に力が入る。 「君をかごの中に閉じこめて呪いを施しても、それは叶わない願いなんだろうね……」 「……ハウル…?」 「お休み、ソフィー……良い夢を」 ちゅ、と額に軽くキスをされると急激に眠気が襲ってきて、ソフィーは抗えずに目を閉じた。 (―――今、ハウルが凄く大切なことを言ったような、気がするのに……) 次に目覚めた時、きっと自分は今のハウルの言葉を覚えていないだろう。 ―――そんな気がした。 すーすーと穏やかな寝息を立て始めたソフィーの寝顔を見つめ、ハウルは何度も彼女の髪を指で撫でていた。 「…ソフィー…」 信じられるものは何もない。カルシファーですら信じられない。何のために生きているのか分からず、縛られるのが嫌でただ逃げ回っていたあの頃。 「……僕は本当に何も分かってなかったんだ」 ソフィーが深い眠りに落ちていると分かっているからこそ言える言葉。 「ただ怖かった。誰かの人生に深く関わるのが怖かった―――」 ソフィーともう一度出会う事で誰かに必要とされる喜びを知り、愛する切なさを知った。 「――怖いよ、ソフィー……今の生活を失うのが、君を失うのがたまらなく怖い……」 心というものはこんなにも貪欲なものだろうか。 ―――サリマンの言う通り、このままずっと一緒にいたらこの幸せな生活がいつか悪夢に変わってしまったりしないだろうか。 「もし悪夢に変わったとしても……君は僕に笑いかけてくれる?」 化け物でも構わないと言ってくれた君は、それでも愛してると囁いてくれるだろうか。 ハウルの声は誰に聞かれる事もなく闇へと溶けていった。 END |