小さな魔法使い
その3
―――次の日の朝。 「ソフィー! 起きてよソフィー!!」 ぽすぽすと布団の上から叩かれて、ソフィーは呻き声をあげた。 「うう……なぁに、一体……」 まぶしさに顔をしかめながら目をあける―――と。 すぐ目の前にハウルのどアップがあった。 ―――ああ、まだ子供の姿のまんまだったんだっけ。 それに気がついてほんのちょっぴり安堵するソフィーだったが、次のハウルの言葉で思い切り脱力してしまった。 「おなかすいた! 早く朝ご飯着作ってよ、ソフィー!」 昨日晩ご飯を食べずに眠ってしまったのだからおなかがすくのも当然だろう。 「分かったから……ハウル、どいて」 どうも重いと思ったら、ハウルがソフィーの上に乗っかっている。 幾ら子供の姿とはいえど、20キロ近くのものが乗っかればさすがに重い。 「起きられないじゃない」 「その前にする事があるだろう?」 にこにこ微笑んで覗き込んでくるハウルに、ソフィーは思い切りでこぴんを食らわせた。 「いたっ! 何すんだよソフィー!」 「寝込みを襲うような人にキスはしてあげないわよ」 「なんで〜〜。早く元に戻りたいだけなのに〜〜!」 愛する者からキスをされないと解呪の力は働かないらしい。 つまりはソフィーの方からハウルにキスをしないと、ハウルは元の姿に戻れないらしいのだ。 「ほら、朝ご飯欲しいんでしょ? リビングで待ってて」 「うう……」 半べそかいて出て行くハウルを見送り、ソフィーは着替えるために椅子にかけてあったワンピースを手に取った。 さっきからの続きでムクれていたハウルだったが、今度は空腹に抗えなかったのか大人しく朝食を食べていた。 パンをお代わりしサラダも全部平らげたところを見ると、相当空腹だったのだろう。 「ごちそうさまでした!」 マルクルがぴょんと椅子から飛び降りる。 「ヒン、外いこっ!」 「ヒン!」 お気に入りとなった城の中庭にマルクルとヒンが走っていく。 「どれ、あたしも行こうかねぇ」 おばあさんもあの見晴らしのいい中庭がお気に入りらしく、この頃は暇があればそこで本を読んでいる。(その本の内容がハウルの所持している魔術書で有ることをカルシファーは危惧していたが、ハウル自身は何処吹く風であった) 3人を見送ってからソフィーは皿の片づけものを始めた。 「……ね〜ソフィー……」 洗い物を始めたソフィーの足元あたりをハウルがうろちょろしては話しかけてくる。 「なに?」 「何でキスしてくんないんだよ〜」 「今忙しいの」 「……洗い物終わったらしてくれる?」 「洗い物が終わったら洗濯があるし、掃除もしなきゃいけないし、お店も開けなきゃいけないでしょ」 「………」 暫くそのまま洗い物をしていたソフィーだったが、ふとハウルが何も言わなくなったのに気がついて、ふと視線を下げた。 「……ハウル?」 ソフィーの視線からでは、うつむいたハウルのつむじしか見えない。 「ハウル?」 気になってしゃがみ込む―――と。 「………」 ハウルが目に涙をいっぱいためて口をへの字にし、泣くのをぐっと堪えているのが見えた。 ―――泣く程嫌か!? と呆れつつも、ソフィーはハウルの頭をなでなでと撫でた。 「後でしてあげるから、今は大人しくしてて?」 「……ソフィーの意地悪…」 ―――ふっ、と辺りが暗くなった。 「……え…?」 辺りを黒いもやのようなものが覆い始めた。 この状況は―――前にも見たことがある。 そう、髪を染めるのに失敗したハウルが、大癇癪を起こした時だ。 「うわわ、まずいぞソフィー!」 カルシファーが慌ててソフィーの近くに飛んできた。 「体が小さくなってもハウルの心臓にはおいらの魔力が宿ってるのに変わりはないんだ!!」 「やっぱり闇の精霊を呼び出してるの、これ……!?」 見ればハウルの周りにどんどんと黒いものが集まって来ている。 「ど、どうしよう、カルシファー?」 「どうしようって……ハウルを宥めるしかないだろ」 仕方なくソフィーはハウルに視線を合わせて肩を持った。 「落ち着いて、ハウル。別にいじめてる訳じゃないのよ?」 ―――本音を言えば、今まで散々言いように自分を扱ってくれたハウルへのしっぺ返しも含まれているが。 「そ、それに! 小さくなったハウルが綺麗で可愛らしいから、つい、元に戻すのが勿体ないなーって思ったのもあるのよ!」 涙目のハウルがソフィーを見つめてくる―――というか睨み付けてくる。 とはいえど、目がうるうるしているので全然怖くない。 「……綺麗はいいけど可愛い、は要らない……」 この期に及んでまだそんな選り好みをするか。 何て事を思いつつも、ソフィーはぐっと我慢をして優しくハウルの髪を撫でた。 「ね? 機嫌を直して」 「……今キスしてくれなきゃ、ほんとに闇の精霊呼び出すぞ……」 「……………」 カルシファーがそっとソフィーの耳元にやって来て声を潜めた。 「してやれよ……ホントに闇の精霊を呼び出されたら、後が大変だぞ……」 かなり不本意ではある。 不本意だが本当に闇の精霊を呼び出されたら大変な事になるのも確か。 ソフィーは仕方なく(一応はこれ見よがしに溜息をついてはみせたが、ハウルにそれが通用したかどうかは分からない)頷いた。 「仕方ないわね……キスしてあげるわ」 ソフィーがそう言うと、ハウルはようやく納得したようだった。 すうっと辺りに満ちていた圧迫感と黒いもやが消え去りいつもの雰囲気が戻ってくる。 「目を閉じて!」 顔を近づけてもまだじーっとこっちを見ているハウルに気がついて、ソフィーは声を荒げた。 「分かったよぉ…」 ハウルがようやく目を閉じる。 目の前で手を振って本当に目を閉じている事を確認してから、ソフィーはそっとハウルの唇に自分のそれを触れ合わせた。 |