ロンド
交錯の回旋曲
その4
「ようやく現れましたね、ハウル」 ガラス張りの、まるで温室のようなその部屋の中央に、その人は座っていた。 相変わらず感情の読めない微笑みを浮かべているその人を、ハウルは二度と見ることはないと思っていた。 「……来なければソフィーがどうなるか分からないと脅しをかけて来たのはそちらでしょう」 「そうでも言わなければあなたは一人で私の元へと来ないでしょう?」 「………今更不肖の弟子に何の御用ですか? 先生」 厳しい表情でじっと見つめてくるハウルに、目の前のその人―――マダム・サリマンはふっと微笑みを浮かべた。 「強い眼差しをするようになりましたね。それもあの少女のおかげ……という訳ですか」 「…………」 金髪の小姓がハウルに椅子を勧めてくるが、ハウルはそれを無視したままサリマンを見据えている。 「お座りなさい、今日はあなたに頼みたい事があって来て貰ったのです。まずは話を聞きなさい」 有無を言わせぬ言葉にハウルは渋々示された椅子に腰を下ろした。 「……戦争はもう終わった筈です。今更僕に何を頼むというのですか?」 「戦争は終わってはいません」 ハウルの言葉を訂正し、サリマンがじっと見据えてくる。 「確かにほぼ終結したと言っていいでしょう。ですがまだ小競り合いは幾つか続いているのです。それが終わらない限り戦争が終わったとは言えません」 「終わらせるのは先生の仕事でしょう。僕には関係ない」 これ以上話を聞きたくない。 嫌な予感と不安が胸の内を支配している。 ハウルが立ち上がろうとした瞬間。 「聞きなさい、ハウル」 威圧感のある声が聞こえ、ハウルは動けなくなってしまった。 年のせいか体が衰えたといえど、まだまだサリマンの魔力はハウルのそれを凌ぐ。 ここで抵抗したところでどうにもならないと踏んで、ハウルは押し黙った。 ようやくハウルが大人しくなったのを見て取って、サリマンは本題を切り出した。 「私が動ければいいのですが、私にはこの王都の防衛という仕事があります。ですから、あなたにその小競り合いが続いている地域に向かってもらい、紛争を収めて貰いたいのです」 当然、ハウルは声をあげた。 「っ……何で僕が!? 兵を退かせればすむことじゃないですか!」 「一方的に兵を退かせれば、向こうにつけいる隙を与える事になります。それは避けたいというのが王陛下のお考えです」 「そんなの勝手だ!!」 「一人で軍一個小隊に匹敵する力の持ち主はあなたしか思い当たりません」 「嫌です。お断りします!」 腹に据えかねて勢いよく立ち上がり、そのまま出て行こうとするハウルを「ハウル」とサリマンが呼び止めた。 「―――これは隣国に忍び込ませた虫が知らせて来たことですが、向こうの狙いはソフィーのようですよ」 ハウルがもの凄い形相で振り返る。 「ソフィーを……狙ってる…?」 「そうです」 「理由は…!」 「分かりません。ですが、彼女の存在が向こうにとっては好ましくないようですね。射殺命令は出ていないようですが、見つけ次第捕らえるようにという命令が出ています」 淡々と告げるサリマンの言葉が、頭をぐるぐる回る。 (―――どうして、ソフィーが狙われる……? 向こうの国の奴らがソフィーの存在を知ったところでどうなる訳でもないし、彼女自身に国を左右するような価値がある訳でもないのに……!?) 「あなたが紛争を収めてくれるならば、私がソフィーを守りましょう」 「………」 「勿論城にいればあの悪魔が彼女を守るでしょう。ですが城の外に出てしまえば悪魔の力は及ばなくなる。外では媒体となるものなしでソフィーの気配を消し守る事は難しいですからね」 サリマンの言う通りだった。 城にいさえすればカルシファーが城を結界の媒体にしてソフィーを守ってくれる。 だが城を出てしまうとカルシファーだけではソフィーを守りきれなくなってしまうのだ。 ハウルが四六時中傍にいて守れればいいがそれも出来ない。 彼女に外に出るなと言ったところで聞き入れては貰えないだろう。 「どうしますか? また彼女に全てから逃げ続ける生活をさせるつもりですか?」 「―――それで引き受けたのか」 ハウルは言葉無く頷いた。 「……向こうが一体何故ソフィーを狙うのかが分からない。姿も目的も分からない相手から彼女を守り通すのは、僕の力だけでは無理だ……」 「それでサリマンの力を借りた、と」 「まぁね」 「おかしいだろそれ。あの戦争とソフィーと何の関係があるってんだ。関係ないだろ?」 ハウルは落ち着き無く髪をかきあげた。 「だから何か情報を得ようと思ったんだ。―――現実は、向こうは僕の姿を見た途端に発砲してくるからそれどころじゃないけどね」 沈黙が辺りを支配する。 窓の外がほんのりと明るくなって来ていた。 夜明けが近い。 「……さて」 ハウルが立ち上がる。 「行って来る」 「もうか?」 「あまりにも服が汚れて気持ち悪いから着替えに戻っただけなんだ。完全に押さえ込むにはまだかかると思う」 「ハウル」 扉のほうへと歩いていくハウルの背に、カルシファーが声をかけた。 「何でソフィーに言わないんだ?」 「言えると思うか?」 間髪入れず返って来た答えに、カルシファーはそれ以上何も言えなかった。 「……行って来る。今の話、絶対にソフィーには言うな」 取っ手を黒に合わせ、ハウルが外へと出ていく。 「……言うなって言っても……でも言わなきゃソフィーがますます心配するだろうし、ああでも……」 ひとけのなくなったリビングで、カルシファーは朝まで悩む羽目になったのだった。 |