そして誰もいなくなった
その3






昼過ぎ。

まだ皆寝静まっている中千尋は起き出すと、水干を着てそっと部屋を出た。

「……釜爺なら何か知ってるかもしれない……」

そう思ったのだ。

「何で昨日思い出さなかったんだろ」

ぺたぺたと廊下を歩いて下まで降りていく。

最下層まで来てカラカラと潜り戸を開ける―――と。

わさわさ…という聞き慣れた音が聞こえて来た。

「おはよう!」

声をかけるとススワタリ達がわさわさと音をたてながら床に集まってくる。

それを板張りの上から見下ろして、千尋はふといつも釜爺がいる筈の場所へと視線を向けた。

「―――え…?」

釜爺がいない。

「釜爺は、何処?」

ススワタリに尋ねるものの、千尋にはススワタリ達の言葉が分からない。

ただその様子から慌てているのは分かる。

何か、異変が起こったのだ。

「――どういうこと……?」

釜爺までもがいなくなったという事は、事件だ。

油屋のお湯全てを一手に引き受ける釜爺がいないということは、湯屋が開店出来ないということ。

「―――大変っ…!」

事の重大さに気がついて、千尋は走り出した。

(――ハクに、知らせなきゃ……!)













ハクの部屋はここから階段を幾つか上り、エレベータを使ったところにある。

「さ、さすがにボイラー室からは遠いわ……!」

階段の途中まで走って息切れした千尋は、手すりにつかまってはぁはぁと息をついた。

そして、ふと気がついた。

(―――何だろう? なんか…違う)

いつもの湯屋と、何かが違う。

気配というか、雰囲気というか。

「……坊もリンさん、釜爺もいなくなっちゃったことと関係あるのかしら……」

そう思いつつ、息をつきながら階段を上りきる。

後一つエレベータを使えばハクの部屋だ。

「―――――!?」

いきなり目の前が真っ暗になって、千尋はぎょっと足を止めた。

「な、なに…!?」

身体を闇とは違う何かが包み込む。

「きゃ…や、やだ! 何っ…きゃあ!!」

それは千尋の身体を覆い尽くそうとすべてを包み込んでくる。

引きちぎろうとしても駄目で、段々と疲れて来た千尋はその場にしゃがみ込んだ。

(―――もうだめ……)

どんなに暴れても何ともならず、半ばあきらめかけた時。

「ひゃ…!!」

いきなり身体を衝撃が貫き、千尋は悲鳴をあげた。

「千尋!!」

「え…」

身体を覆っていた黒いものが取り払われている。

はっと上を見るとハクが千尋をのぞき込んでいた。

「大丈夫か、千尋!」

「ハクぅ……」

怖かった。

ハクの顔を見た途端にほっと安心して涙が出てきた。

「ち、千尋?」

「怖かった……!!」

いきなり抱きついて泣き出した千尋に、ハクは驚いておろおろするだけ。

「千尋…」

ハクはそっと千尋の背に腕を回した。

「……ごめん、直ぐに助けてあげられなくて……もう大丈夫だよ、私がいるからね」

「うううう〜〜」

ぎゅっと抱きしめられて背を撫でられると気持ちが落ち着いてくる。

涙もようやく止まって、千尋は何となく気恥ずかしい気持ちになりつつもハクを押し戻した。

「もう大丈夫、ありがとう…」

「平気?」

「うん」

千尋が笑ってくれたことに安心したらしいハクもふっと優しい微笑を浮かべたが、すぐにそれは厳しい表情にとって変わられた。

「……私から離れないで」

ハクが千尋を自分のほうへと抱き寄せる。

―――辺りに不穏な空気が流れているのは分かっていた。

千尋にすら感じられるのだ、ハクは痛いほどに感じ取っているに違いない。

「一体これ何なの……? そう、リンさんや釜爺さんもいなくなってるの!」

「釜爺までもが…?」

清浄な場所であるはずの湯屋が不穏な空気に包まれている。

空気が痛い。

「……多分、もっと多くの従業員が消えているはずだ」

「え!?」

「女部屋にいってみよう」

ハクが千尋の手をぎゅっと握りしめて歩き出す。

それに引きずられるようにして千尋も歩き出した。











「―――そんな……」

確か千尋が起きあがった時には、まだみんな寝ていた筈。

なのに、今の女部屋に人影はない。

「みんな、あの黒いものに……た、食べられちゃったの…?」

「………」

ハクは厳しい表情で暫く部屋を見つめていたが

「……湯屋の状況をきちんと把握したほうが良さそうだ。おいで」

千尋を促して歩き出した。










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