そして誰もいなくなった
その5








「うわ…」

部屋に描かれた文字が光を帯びて、部屋全体を明るく映し出している。

そのあまりの明るさに千尋は声を上げてしまった。

「これ、全部文字…?」

漢字ともアルファベットともつかない、全く千尋には理解出来ない文字で部屋が埋め尽くされている。

だが湯婆婆とハクはそれが読めるようで、先ほどから無言で文字を読んでいた。

「―――ここに封印があったって訳かい…」

湯婆婆が合点がいったというように頷く。

「恐らく坊が封印を解いてしまったのでしょう」

「今ならまだ間に合う筈だ。急がなければね」

封印。

解き放たれたもの。

―――それが、あの黒いものなんだろうか?

千尋はぞくっとしたものを感じて身を震わせた。

「封印を再度かけることは出来るが、一度解き放たれてしまったものは力を増してるからね―――弱らせないと封印をかける事は無理だろう」

湯婆婆の言葉はハクへと向けられている。

千尋ははっとハクを見た。

「封印の強化はあたしがやる。お前はあいつらを弱らせておいで」

「………分かりました」

やや間が空いた後、ハクは頷きを返した。

「千尋をここに置いていきますので、宜しくお願いします」

「しょうがないねぇ……」

「どっ……どうするの、ハク。弱らせるって……」

歩きかけたハクの袖を掴むと、ハクは笑みを浮かべた。

「昔、ダストシュートに落ちた時の事を覚えている?」

「え……」

昔の事を問われて千尋は記憶を辿るように考え込んだ。

そう―――傷ついたハクを守ろうとして一緒にダストシュートに落ちてしまった事がある。

その時に襲いかかってきた黒い亡霊たち――――とそこまで思い出して、千尋ははっとハクを見た。

「そう。あれはあの場所に封じられている怨霊―――湯屋で亡くなった人間や精霊のなれの果てだと言われている。その怨霊たちの封印がこの部屋によって成されていたらしいのだけど――それが解かれてしまったんだ」

「そ、それで……」

解かれた亡霊達は、当然生きたモノに襲いかかるだろう。

それが従業員であっても、神々であっても。

皆跡形もなく食われてしまったのだろうか?

「大丈夫、まだ助ける事は出来るよ」

千尋が怖い想像をしているのに気がついたのだろう、ハクが優しく訂正してくれた。

「あの亡霊達は従業員たちに入り込んでいるんだろう。体に魂が馴染むには時間がかかるから、皆一所に集まって、自由に体が動くようになったところで一気に反旗を翻すつもりだと思う」

何のために? という言葉を千尋はすんでの所で呑み込んだ。

湯屋、そしてこの世界の掌握。

長い間封じ込められていたという怨念は、本当に解き放たれてしまえば湯婆婆の力を持ってしても押さえきれなくなるのだろう。

「そうなったらさすがにあたし達でも何ともならなくなっちまうからねぇ。その前に何とかするしかないんだよ。ほら早く行った!」

湯婆婆に急かされてハクは軽く会釈をすると、そのまま小部屋を出て行った。

「ハク!!」

どうしよう。

これからハクが向かうところは凄く危険なところに違いない。

しかもハクの事だから、一人だと自分の事を顧みず無茶ばかりするだろう。

「千!? 何処へ行くんだい!」

小部屋を飛び出す瞬間、千尋は振り返った。

「私、ハクの処に行ってきます!!」

「こら、お待ち!!」

湯婆婆の制止の声は千尋に届かなかった。














階段を上っていたハクは、背後から近づいてくる気配にぎょっと足を止めた。

「千尋……!?」

千尋が階段を上ってきている。

「ああ、やっと追いついた……! ハク足が速いんだもの……!」

ハクの目の前までやって来て、千尋はぜぇぜぇと息をついた。

「どうして来たんだ……危ないから湯婆婆の処にいなさいと言っただろう!?」

「ハクを一人にしたら絶対危ない事をするもの!」

そう言い切られるとハクは押し黙るしかなかった。

「私だって何か出来るかもしれないでしょ、だから連れてって!」

「駄目だ」

ハクはハッキリと言い切った。

「絶対に連れていけない。戻りなさい」

「ついてく!」

「駄目と言った筈だ」

厳しい表情で言い放つハクの威圧に怯えつつも、千尋はぐっと腹に力を込めた。

「なら勝手についてくもん!」

「千尋……!」

ぺち、と千尋の頬が軽く鳴った。

「……ハク…」

かなり手加減してくれたのだろうが、それでもハクに頬を叩かれた事に変わりはない。

千尋はびっくりしてハクを見つめていた。

「頼むから戻っておくれ……今の私では自分の身を守るだけで精一杯なんだ。とても千尋まで守りきれない」

千尋をぎゅっと抱きしめてハクが呟く。

「必ず戻るから、だから大人しく待っていて欲しい」

そこまで言われると、それでもついていきたいと言うのは単なる我が侭でしかない。

千尋はいつの間にか滲んで来た涙をぐっと堪えて「うん」と頷いたのだった。











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