そして誰もいなくなった
その6







とぼとぼ、と先ほどの小部屋に戻って来た千尋を出迎えたのはやっぱり、という顔をしている湯婆婆だった。

「お前みたいな小娘がついてったって真っ先に食われるがオチだよ」

「…………」

千尋は俯いたままだった。

そうかもしれないけど。

何かしたいという気持ちだけでは決して何にもならない事くらい分かってるけど。

―――でも、悔しい。

何も出来ない自分が腹立たしい。

「―――そんなにあのハクの為に何かしてやりたいのかい」

そんな湯婆婆の言葉に千尋ははっと顔を上げた。

「私に、何か出来る事がある!?」

「あるよ」

湯婆婆がすっと指し示したのは、床に一際輝く文字列だった。

呼吸するように青く白く点滅しているのが薄気味悪い。

「こいつが封印の要なのさ。今ハクが奴らを押さえに行っているが、時間がたてばどんどん封印が弱まって奴らの力が強まってくる。そうなったら例えハクが神の化身でも押さえるのが難しくなっちまう」

「………」

「だったらこっちで封印を強めればいい。完全に封印する事は出来なくても相互効果で奴を弱める事くらいは出来る筈さ」

「封印を、強める……?」

言葉で言うのは簡単だが、そんな事が出来るのだろうか?

「でも私、魔法も使えないし魔力も持ってないし……」

「お前は何にも勝る力を持ってるんだよ。処女という汚れのない血をね」

「しょっ……」

そういう言葉をハッキリと言われると、やはり年頃の娘である千尋は赤くなってしまう。

―――そういう経験がないのは確かなので、湯婆婆の言っている事は正しいのだけど。

「封印に処女の血を与えれば封印が強まるだろう。それでハクも随分と楽をする筈だけどねぇ?」

「………」

血を与えるだけで、封印が強まる。

それくらいですむならお安いご用だ。

「おばあちゃん、私やる!」

そう言うなり千尋は水干の袖をまくり上げてたすきがけをし始めた。

「人間はあまり血を失うと死んでしまうとも言うが、それでもいいんだね?」

念を押す湯婆婆の言葉に、千尋は震えつつも「うん」と頷いた。

「ならそこに腕をさしだしな」

点滅する文字の上へと右手を差し出す―――と。

湯婆婆が右の二の腕にすっ…と爪で線をひいた。

「―――っ…!」

遅れて痛みが走り、爪で線がひかれた部分が裂けて血があふれ出した。

血が封印の文字へと落ちていく。

その血が文字にかかった途端、文字が一際明るく輝き始めた。

「文字が……!」

「封印が強まって来てるね……これならハクも戦いやすいだろ」

ずきずきと腕が痛む。

血をずっと見てると気が遠くなりそうで、千尋は腕から目を逸らした。

(ハクが来るまでのがまんがまん……)

しーんと静まりかえった部屋に、ぽたり、と血が落ちる音がする。

「―――ハクが奴らを弱めるのが早いか、お前が失血してしまうのが早いか……どうだろうね?」

湯婆婆は楽しそうにそう呟いた。













思ったよりも数が多い。

竜へと身を変えたハクは考えていた以上に苦戦していた。

きっとまだ明るい処には出てこられない筈と踏んでダストシュートに飛び込んだのが正解で。

ダストシュートの下には従業員や神々たちの体がまるで人形のように転がっていた。

そのなかにはリンや釜爺の姿もある。

まだその気配が体から感じられるため、恐らく精神が表へと出てこられない状態に違いない。

それも時間がたてば亡霊に食らいつくされてしまうのだろうが。

白い鱗に食らいついてくる亡霊を振り払い、その黒い体に噛みつく。

数が10体くらいならば何とかなるだろうが、その数は今や10倍に膨れあがろうとしていた。

(―――このままではまずい…)

鱗が引き裂かれ血が滲む。

随分と消耗してきているのを感じて、ハク竜は荒い息をついた。

(近くに、居るはずだ……)

―――と。

いきなり亡霊たちの動きが鈍くなった。

何かに縛られたように動きがぎこちなくなり、それから逃れようともがいている。

(湯婆婆が何かしたのか……!)

ハク竜はチャンスとばかりにもがく亡霊たちを蹴散らし、最下層へと身を躍らせた。

―――いた。

ひときわ大きい形をした亡霊。

(逃すものか―――……!)

ハク竜はその亡霊めがけて鋭い牙が並ぶその口を大きく開いた。













「―――!?」

千尋はぎょっと周りを見回した。

部屋のなかに埋め尽くされた文字という文字が淡く点滅を始めている。

「どうやらハクがやったようだね」

静観していた湯婆婆がニヤリと笑みを浮かべて手をかざした。

「大地と水と風と火の名において命ず。目覚めよ、今この時を待ちわびるものたちよ。望みは永遠の休息。永遠の自由……」

湯婆婆の声に従って文字の光が強まっていく。

「封印よ―――眠れ」

光が溢れ、千尋は目を覆った。










BACK             NEXT