そして誰もいなくなった
その8








「良く辿り着いたね」

崩れるように地に降りたハク竜の背中から千尋が滑り落ちる。

「…あー…」

その体を受け止めたのはカオナシだった。

銭婆は素早く千尋の体に視線を走らせた。

「可哀想に。かなりの血を失ってしまったんだね……酷い失血状態だが、いい薬があるから何とかなるだろうよ」

人の姿へと戻ったハクはその言葉を聞いて力を失ったように崩れ落ちてしまった。

「お前もかなり力を使っているようだね。後で薬を調合するから休みなさい」

カオナシが千尋を抱き上げて家のなかへと入っていくのを見て、ハクはふらつきながらも立ち上がった。

「―――宜しくお願いします……」











銭婆が作ったという秘伝の薬を飲まされ何かの術を施されたらしい千尋は、ベッドですーすーと穏やかな寝息をたてている。

それを確認して、ハクは千尋の枕元へと座った。

とんとん、と扉をノックする音がする。

「休むようにと言ったのに……まだ休んでなかったんだね」

ハクの為にか暖かい湯気が立つ湯飲みを持って銭婆が部屋の中へと入ってくる。

「一時的に大量の血を失ってショック状態になっていたようだが、今はもう落ち着いてるよ。もうすぐ目を覚ますだろうさ」

ハクに湯飲みを差し出してくる。

「これをおのみ。疲れはかなり癒える筈だよ。私が作った薬湯だ」

さすがに疲れを覚えていたハクは素直に湯飲みを受け取った。

「ありがとうございます……」

「しかし……」

ハクの前に椅子を持って来て座り、銭婆は声のトーンを落とした。

「湯婆婆が取り込まれてしまうなんて、厄介な事になったねぇ……」

薬湯を一口飲んだところで湯飲みを膝の上に置き、ハクはうつむいた。

「―――私の落ち度です。まさか湯婆婆が取り込まれるなど思いもよらず……千尋を危険な目に遭わせてしまった……」

「自分を責めたって仕方がないよ。なっちまったものはどうしようもないからね。これからどうするか……だ」

確かに銭婆の言う通りであるため、ハクは素直に「はい」と頷いた。

「あの亡霊たちは一体なんなのでしょうか。銭婆はご存じですか?」

ふと気になってハクが尋ねた言葉に、銭婆は瞳を陰らせた。

「知っているといえば知っている―――かねぇ」

「………?」

「あれは妹が湯屋を守る為に封じ込めた、呪われた死者たちだからね」

その言葉にハクは息を呑んだ。











湯屋で名をとられそのまま死んだ者達は、死した後も名を奪われたままであるが故に、あの湯屋に縛り付けられている。

そんな者たちを湯婆婆はあの封印の部屋を造り、永遠に湯屋を守り続けるように封じ込めたのだ。

「―――だから、あの時契約書を破棄すれば……と言っていたのか」

契約書さえなくなれば、死者たちは自由になれる。

「そんな事を言っていたのかい」

銭婆が驚いたような顔をしていた。

「―――とすれば奴らはここに来るね」

「え?」

「契約が効力を失うのは理に従って契約が解かれた場合か、魔女の契約印によって破棄された場合のみなのさ」

ハクはがたん、と立ち上がった。

「奴らが理に従っている訳がない―――とすれば……」

「契約印は私が持っているからねぇ……それを奪いに来るだろう」
















「――ん……」

千尋が小さく声をあげる。

「千尋」

ハクが覗き込むと、千尋はうっすらと目を開けた。

「……ハク……?」

掠れた声だがしっかりとした言葉に、ハクはようやく安堵の息を漏らした。

「気分はどう? 苦しかったりはしないか、千尋」

「大丈夫……さっきまで寒かったけど今はそうでもないし」

「それなら良かった……」

銭婆も千尋を覗き込んできた。

「おばあちゃん……?」

「まだ顔色は良くないが、意識はしっかりしているようだね……これなら何とかなるだろう」

「………」

銭婆の言葉にハクの表情が辛そうなものになる。

「ハク。辛いだろうがこれしか方法はない」

「―――分かっています。ここも安全ではない以上……これしかないのは良く…分かっていますから」

「……?」

千尋は銭婆とハクとを見比べるしか出来なかった。










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