Curse(カース)
その17







次に千尋が目を開けた時――――自分が何処にいるのかがわからなかった。

病院にいるのかと思えば、どうもそうではない。

「‥‥目が、覚めた‥?」

すぐ間近で聞こえる声に視線を向けると、ハクがこちらを見つめていた。

「‥‥ハク?」

千尋はハクに抱きかかえられて、そのまま眠っていたらしかった。

それからハクの周囲に視線を巡らすと――――そこは、いつもハクと会うあの森の、あの大木の下である事がわかった。

「‥‥わたし‥‥」

「気分はどう? 痛いところは?」

矢継ぎ早に質問をしてくるハクに千尋は苦笑した。

「大丈夫だよ。何処も痛くない」

と言ってから、千尋は肩の怪我の事を思いだした。

そこは綺麗な包帯に巻かれていて、そっと肩を動かしてみるも痛みはない。

「これ‥‥ハクが?」

ハクは首を横に振った。

「‥‥美晴が。応急手当をしてくれて、そのままここに運んで来たんだ」

「美晴さんが‥‥」

美晴の姿を探すが、彼女の姿は何処にもなかった。

「彼女は仕事があるからと行ってしまったよ。千尋によろしくと言っていた」

「そう‥‥」

ハクはまだぼんやりとしている千尋を抱きしめながら、千尋には言わなかった美晴の言葉を思いだしていた。




「甘いんだよ」

そう言い捨てる美晴に、ハクは何も言い返さなかった。

言い返せなかった。

「確かに、あの龍をここまで追い込んだのはあたし達人間の所為だ。それは認める。あたし達は報復を受けてもおかしくはない」

だけど。

そう言葉を切って、美晴はハクの胸ぐらをつかんでぐっと引き寄せた。

「あんたには大切なものがあるんだろ!? 失えないものがあるんだろ!! 一時の同情で、何もかも失ってしまったら、あんたどうするつもりだったんだ!」

何も言い返さないハクを、美晴は苛ついたように突き放した。

「あの娘‥‥大切にしな」

「‥‥‥わかった」

それだけをやっと返したハクと、未だ眠り続ける千尋とを見て。

美晴は歩き出す。


その姿はもう振り返らなかった。







「‥‥ハク?」

千尋が心配そうに見つめるのに気がついて、ハクは慌てて取り繕った。

「なに?」

「大丈夫?」

「私は大丈夫だよ。千尋の方が大怪我をしたんだから、もう少し安静にしていた方が‥‥」

「違うの。私の所為で、あの主さんを‥‥」

千尋が何を言いたいのかを悟って、内心痛みを覚えながらもハクは微笑んだ。

「後悔はしてないよ。ああするしかなかったんだから」

「‥‥‥‥‥」

「本当だよ」

千尋はハクの胸に頬を寄せた。

「―――――千尋‥?」

「‥‥妃夜良川は、どうなるの?」

どきん、と心臓の鼓動が一瞬はねたのを、千尋に悟られなかっただろうか。

ハクはそれを気にしながらも千尋に答えを返した。

「主がいなくなったのだから‥‥たぶん、もう川としての機能はしなくなるだろう。きっと‥近々埋め立てられるんじゃないかな」

自分の川のように。

あの場所にはきっとマンションが建ち並び、川があった事など忘れ去られて行くのだろう。

油屋に来る霊々はまだいい方。

傷や疲れを癒す事も出来ず、縛られている霊々のなんと多い事か。



きゅ、と千尋の手がハクの服を握りしめた。

「千尋‥」

「‥‥ううん、何でもないの」




それでも、生きていかなくてはならない。

あの龍と自分の違いは、きっと大切なものがあったかなかったか。

ただそれだけ。

譲れないもの。

大切なもの。

それがあったから――――ハクはこうして正気を保っている。


だから――――後悔はしない。

自分が選んだ道を歩む事を――――恐れはしない。



「――――ハク‥‥」

はっとハクは千尋に視線を戻した。

自分の服を握りしめる千尋の手が震えている。

ハクは千尋の背に腕を回して抱きなおした。

「‥‥千尋‥‥」

「ごめっ‥‥ごめんっ‥‥ねっ‥‥ごめん‥‥」

千尋は涙をぼろぼろこぼして泣き続けている。



――――今は、あの哀しい龍の為に。

涙を捧げよう。



ハクにはあの龍の死を悼む権利はないから。

だから

ハクは泣き続ける千尋をただ強く抱きしめていた。