異邦人〜エトランジュ〜
その4
「千! 何してたんだい! 早くしないとお客様がきちまうよ!!」 「はいっ、すみませんっ!!」 女中頭の怒鳴り声に返事をして、千尋はあわてて持ち場へと走っていった。 「何してたんだ、遅いぞ」 リンが待っていてくれて、千尋にブラシを差し出す。 「ごめんなさい」 そのブラシを受け取り、千尋はバケツの中にブラシをつっこむと一心不乱に磨き始めた。 「‥‥? どうした、なんか不機嫌そうだな」 「そんなことないよ!」 ふと、向こうがざわざわと騒がしくなる。 「なんだぁ‥‥? お客がいるのに賑やかだな‥‥」 リンが視線を向けると、兄役がばたばたと走っていくのが見えた。 「おい、何だよこの騒ぎは」 「ん、リンと千か。いや、どうも人間が入り込んだらしいのだ」 その言葉にリンは千尋に目を向ける。 「千じゃねぇのかよ」 「別の人間の気配らしいと聞いておるがのぅ」 あの子だ。 千尋は直感し、ブラシを握りしめた。 「あのっ、私なんです!!」 あの子は気にくわなかったが、ハクにもしも何かあったら―――――そう思うと、千尋は叫んでいた。 「あの、さっき遅れてしまったから‥‥持ち場わかんなくなって、ウロウロしちゃって」 「なんだ、そうなのか‥‥全く人騒がせな」 疑われるかとも思ったが、兄役はそれを信じてくれたようでぶつぶつ言いながら歩き去っていく。 それを見送って、ほーっと千尋は息をついた。 「‥‥‥人間が入り込んだのか?」 リンの言葉に、千尋は辺りに誰もいないのを確認して微かに頷いた。 「さっき‥‥街でウロウロしているのを見つけちゃったんだ。今はハクが湯婆婆のところに連れてってるはず‥‥」 「なんだってぇ‥‥ったく、何でまた人間が‥‥」 あの通り道は、ふつうの人間にはわからないはずなのに。 そう愚痴ったリンに、千尋は何も返せなかった。 仕事も終わる頃。 「千尋」 片づけをしていた千尋は話しかけられて振り返った。 「ハク‥‥」 そして、ハクのすぐ後ろにあの女の子がいるのに気がつき、ちょっとだけ眉をひそめる。 が、千尋はすぐに表情をやわらげた。 「どうだった? その様子だと‥‥うまくいったみたいね」 「うん。何とかね‥‥」 よくよく見ればハクはずいぶんと疲れている様子で、千尋は心配になって訊ねた。 「‥‥大丈夫? ハク、ずいぶんと疲れてるみたい」 「ん‥‥大丈夫」 そしてハクは後ろにいる女の子の手をとって千尋のほうに押した。 「さ、風。千がこれからおまえの面倒を見てくれる。行きなさい」 風(フウ)と呼ばれた少女はいやいやと首を振った。 「いや‥‥ハクがいい」 「ダメだ。行きなさい」 ハクが厳しい声を出すと、風は仕方なくハクの服から手を離して、おずおずと千尋のほうへとよってきた。 「私は千と話がある。部屋へはリンに連れてってもらえ」 「‥‥‥は、はい‥‥」 脅えきった風の様子に、千尋のほうがだんだんとほだされて、かわいそうになってきてしまう。 自分がようやく契約を取り付けた時も、ハクは厳しかった。 たぶん、従業員としてここで働く辛さを教えようとしているのだろうけど――――― 風は目にいっぱい涙をためて、今にも泣きそうに千尋を見上げている。 それを見てしまい――――千尋は今までの風の態度をとりあえず忘れることにした。 ――――私よりもハクのほうが頼りになるのは、当然だもん‥‥仕方ないよね。 「ハク‥‥後で私が部屋に行くから。私、風を連れてってくる」 ハクは何か言いたそうに口を開いたが――――すぐに閉じた。 「‥‥‥わかった」 ハクは頷くと、そのままきびすを返して歩いていってしまった。 それを見送り、千尋は風の背をたたいた。 「さ、いこ。案内するよ」 「‥‥‥はい」 |