異邦人〜エトランジュ〜
その5









「おまえが来た時に着てたのが合うかな?」

リンが風に合う水干やら腹掛けやらを次々と出してくる。

「こんなもんかな?」

「うん、ありがと」

それを受け取った千尋は、風に振り返って―――――息をついた。

風は二人を振り返ろうともせず、ただ手すりにもたれて外を見ている。

「‥‥‥‥風」

「‥‥わたしのうち‥‥どこかなぁ‥‥」

その次に言うであろう言葉を察知して、千尋はシィ、と諭した。

「その次の言葉はいっちゃダメ。ここにいる間は「かえりたい」とか「いやだ」とかいっちゃダメなんだよ。ハクから聞かなかった?」

「聞いたけど‥‥でも‥‥わたし、何にも悪いことしてないのに‥‥」

「風‥‥‥」

しくしくと泣き出した風に何も言葉をかけられず、千尋はそっと風のそばに水干と腹掛け、そしてズボンをおいた。

「ここにおいとくからね‥‥」



風の気持ちはよく分かる。

だけど、何もしてあげられない。

この世界では、自分でやらない者に手をさしのべてくれる人は誰もいないのだから。






とんとん、と控えめに扉をたたくと、中から「どうぞ」という声がした。

「ハク‥‥‥私」

千尋は断ってから中にそっと入った。

「千尋か‥‥入って」

中では、ハクがまだ残っていたらしい仕事を片づけている最中だった。

「風は?」

「まだなれないみたい‥‥今は神経も高ぶってると思うし、そっとしておいた」

「そう‥‥」

ハクは筆をおくと、千尋に向き直った。

「千尋には迷惑をかけるが、風の面倒を見てやってくれ」

「うん‥‥それはいいけど‥‥」

ハクはふう、と息をついた。

「あの娘は、千尋のようにはいかないかもしれない」



湯婆婆のところでも脅えるばかりで「働きたい」という言葉がなかなか言えず。

坊がとりなしてくれたから何とか働けるようになったらしい。

坊が取りなしたのも、たまたま風が「千尋が最初にやってきた時と同じ年頃の女の子」だったからだろうけど。



「無理もないかな‥‥湯婆婆、怖いし」

自分が初めて契約した時も怖かったし、と千尋と頷いた。

「私にできることがあったらなんでもするから」

「うん‥‥お願いするよ」

ハクが疲れている様子なのは、風がうまくやるかどうか‥‥という気疲れから来ているのだろう。

そう考えると、自分は結構優秀なほうなのかなぁと千尋は密かに自分を内心誉めてみたりしていた。

「――――そう。風の名だけど‥‥行く途中に聞き出したんだ。千尋も、覚えていてあげて」

ハクの言葉にはっと我に返り、千尋はハクの口元に耳を寄せた。

「――――ふうか。苅野風花。それが彼女の本当の名だ」

「ふうか‥‥‥風の花、なのね」

きっと、今頃本人はその名を忘れかけている。

自分の名を忘れてしまったらもう元には戻れない。

「覚えておく。私とハクが覚えていたら、きっと風は元の世界に戻れるよね」

千尋へ返事の代わりに、ハクがそっと手をのばす。

それを千尋は避けなかった。

白くて細い指が千尋の髪を撫で――――首筋に触れる。



「千尋‥‥‥」

「‥‥なに?」

「千尋は―――ずっと私のそばにいてくれるか?」

千尋は笑みを漏らした。

「聞くまでもないよ。ハクと一緒にいたいから、私この油屋に戻ってきたんだよ‥‥」

その言葉に対するハクの答えは―――言葉ではなく、直接千尋の唇に落ちてきた。











部屋に戻ると、リンたちはもう休んでいた。

その隣に、風がいる。

が時々もそもそと動いているところを見ると、まだ眠れないらしい。

「‥‥風、眠れない?」

千尋の声にぴくん、と動きが止まる。

ややして、布団から風が顔を出した。

「よければ、話しない?」

千尋がそう誘うと、風はこくんと頷いて布団からでてきた。




ベランダまででてきて座ると、千尋ははい、と風に饅頭を差し出した。

「‥‥いらない」

「食べとかなきゃ。明日から風も働くんだし、力つけとかなきゃね」

促され、風は仕方なく饅頭を受け取ってもそもそと食べ始めた。

千尋は風から視線を外へと向ける。

そこには広大な大地が広がっていた。

「――――私もね、10歳の時にここに迷い込んだの」

同じように饅頭をぱくつきながら、千尋はそう切り出した。

「やっぱりおんなじように湯婆婆の元にいって名前をとられて――――だから私、千って言うんだけどね。それで働いてたんだけど‥‥でも今は自分の名も取り戻して、あっちの世界とこっちを行き来できるようになったの」

風は饅頭を食べる手を休めて、千尋を見つめている。

「戻れたの?」

「うん、戻れたよ。いろいろあって‥‥私はまたここにいる。私がここにいたいと思ったから、いるの」

「‥‥強いんだね、千は」

それだけ言うと、風は目の前の風景に視線を向けて。

それっきり、千尋にはもう目もくれなかった。

千尋は言葉をなくし、ぱく‥‥と饅頭にかじりついた。






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