異邦人〜エトランジュ〜
その7
どこだろう。 どこにいるんだろう。 そう思いながら橋のたもとまで来た千尋は、あわてて「油」とかかれた行灯のすぐ後ろに隠れた。 そーっと顔をのぞかせる。 橋の真ん中で、ハクと風がなにやら話をしている。 風の向きが悪いのか、話し声は微かにしか聞こえてこない。 ハクに見つかりたくないので千尋は出来るだけ行灯に張り付いて、耳を澄ませた。 「さ、帰ろう。千が心配している」 ハクが風に手を差し出すと、風は首を横に振った。 「ハク、千のことばかり言うのね」 風としては嫌みも込めていただろう。 が。 「千は――――千尋は、私のすべてだ」 いとも簡単にさらっと言うハクに、陰で聞いている千尋のほうが赤くなった。 「すべて‥‥‥? 自分よりも大切ってこと?」 「大切とか、そういう言葉では言い表せない。千尋がいるから、私はここに存在出来る」 そう言い切ったハクから視線を逸らし、風は空を見上げた。 「いいな‥‥千は。そんな風に想ってくれる人がいて」 ざぁぁぁぁ‥‥と風が橋の上を通る。 その風に煽られる髪をかきあげて、千尋は二人を凝視していた。 「名前も、帰る場所も、これからどうすればいいのかも――――何もかもわかんないよ、私‥‥‥」 大人びた口調の風に、千尋のほうがどきん‥とする。 風が、あの頃の千尋よりも大人びているのはわかっていた。 でも。 それにしても――――あまりにも寂しげな風の物言いに、千尋はきゅっと胸を押さえた。 「名前は、わかる」 ハクが口を開いた。 「風花。そなたの名は、苅野風花だ」 「ふ・う・か‥‥‥」 風が、その名を繰り返す。 「風花。私、風花って名だったんだ‥‥」 ハクが頷く。 「その名を大事にとっておきなさい。今度こそ無くさないように」 帰り道を無くさないように。 あの草原の向こうに道があることを忘れないように。 「ありがと、ハク!!」 風花が、ハクに飛びつく。 「こ、こら。風!」 慌てるハクを気にせず、風はぎゅっとハクの首にしがみついたまま離れない。 「ふざけるのもいい加減にしなさい、風!」 「だって、嬉しいんだもん!」 ムカつく。 という表現が今の千尋の心境だった。 ハクに所有格をつけるつもりは毛頭ない。 5歳も年下の女の子に妬くなんてみっともない。 とは思うけど。 等と思いながら様子をうかがっていた千尋は、目の前の状況に思わず立ち上がっていた。 かすめるようなものだったけど。 でも確かに。 風の唇が、ハクのそれに触れた。 「―――――――――!!!!」 「‥‥ち、千尋!?」 ハクに見られたらまずいとか、そういうのは全部頭の中から消し飛んでいた。 ただとにかく、今凄い顔をしているであろう自分の顔をとにかく隠したくて。 千尋は凄まじい勢いでボイラー室のほうへと走っていったのだった。 「‥‥千。おーい、千」 リンは釜の上に立って千尋を見下ろした。 釜の中では千尋が一心不乱にゴシゴシと汚れを落とそうとこすっている。 「千。ハクが来てるぞ」 「‥‥‥いないって言って」 「ンな無茶なこと言えるか。ほら、拗ねてないで顔出してやれよ」 「忙しいの」 殺気をとばしつつ磨いている千尋に、リンは肩をすくめた。 トン‥と床の上に飛び降りると、入り口近くにたっているハクの元まで歩いていく。 「忙しいだとさ」 「そうか‥‥わかった。すまない」 「アンタ‥‥何やらかしたんだ? 千がああまで拗ねるって言ったらよっぽどだぞ?」 「‥‥‥ちょっと、な」 ハクは曖昧に濁し、リンに背を向けるとため息をついた。 |