異邦人〜エトランジュ〜
その11
湯屋に戻ると、そろそろ従業員たちが起きだそうか――――という時間にさしかかっていて。 屋敷のあちこちから気配が感じられた。 「ハク様、お帰りなさいませ」 頭を下げる兄役にハクは、辺りを見回して 「風はいるか」 「風ですか? 今は廊下の掃除をしておるはずですが‥‥」 「風を呼べ」 「は、はい」 ハクの剣幕にただならぬものを感じたのか、兄役は慌てて風を呼びに走っていった。 「ハク‥‥‥」 後ろから心配そうに顔を出す千尋に、ハクは「大丈夫」と優しい笑みを返した。 「なに?」 勤務中だと言うのに砕けた態度で接してくる風に、ハクは少し眉をひそめたが何も言わなかった。 「ん? あ、千。戻って来たんだ。おかえり」 「う、うん‥‥ただいま」 「風、こちらに来い」 ハクはそれだけ言うと、玄関をあがって自室のほうへと歩いて行く。 「千も来い」 「は、はい」 ハクが仕事モードに入っているのを感じつつ、千尋は靴を脱いで慌ててハクの後を追った。 「なんなの‥‥仕事さぼったら怒られるの、私なんだよ?」 千尋がふすまを閉めるのを確認して、風は苛立ったような声をあげた。 「私には千みたいにかばってくれる人いないんだから」 ちゃっかりと嫌みも忘れない風に、ハクはさっき千尋が見せた新聞の切り抜きを差し出した。 「なに、これ‥‥‥」 そう言いつつ視線を向けた風は、はっと表情を変えて切り抜きに飛びついた。 「これ‥‥!!」 そこには 「社長令嬢、行方不明!? 苅野風花嬢の安否が気遣われる!」 という文字が踊っていた。 「お父さんとお母さん、凄く心配しているみたいだよ‥‥この記事を見ると」 風は切り抜きを見たまま動かない。 「‥‥もし、風が元の世界に戻りたいなら、手がない訳でもない」 ハクの言葉に千尋がこくこくと頷いた。 「戻りたいでしょ? お父さんお母さんが待ってるんだもん‥‥」 ぴっ‥‥という音がして。 風はその切り抜きを引き裂いていた。 「!! 風!?」 千尋は仰天して風の腕を掴んだ。 ハクも驚きを隠せず、風を凝視する。 「‥‥今更、ふざけたことしてくれるよ」 切り抜きをびりびりに破り捨て、千尋の腕を乱暴にふりほどく。 「用はそれだけ? なら行くから」 風はそのままきびすを返して出ていってしまった。 後には、千尋とハクが残されるばかり。 「‥‥どうして?」 風の態度に千尋のほうが泣きそうになっている。 「戻りたくないのかな、風‥‥‥」 「‥‥わからない、が‥‥現世界にも何か問題があるのは確かみたいだね‥‥」 「私、聞いてみる!」 千尋は風の後を追って部屋の外へと出ていった。 「あ、千尋っ‥‥‥」 ハクは千尋を見送ってため息をついた。 結局、仕事中に風とは会えなかった。 千尋が自分の持ち場の仕事を終わらせて部屋に戻った時には、風はすでに布団の中に入っていてぐっすり眠っているようで。 その日に千尋が風に話をすることはなかった。 |