異邦人〜エトランジュ〜
その14








「ふん‥‥カオナシを作り出すことが出来るとはねぇ‥‥」

千尋がはっと振り返ると、そこには湯婆婆が立っていた。

「お、おばぁちゃん!!」

まったく人の部屋で‥‥と愚痴ってから、湯婆婆が言葉を続ける。

「カオナシってのは、行き場のない思いの集合体だ。それが凝縮してカオナシを作り上げる。その思いを昇華出来ない奴はカオナシ自身になっちまうこともあるがねぇ‥‥だが」

湯婆婆はカオナシに囲まれてそこに立つ風に視線を向けた。

「カオナシをこれだけ作り出せるとは‥‥この娘、心をほとんど虚無に食われちまったようだねぇ」

「キョム‥‥?」

同じように風に視線を向けたまま、ハクが千尋の問いに答えた。

「‥‥風は、心が壊れてしまったんだ。だから、彼女の抱いていた思いがカオナシになって外に現れたんだよ。今の風の中には‥‥もう何も残っていない」

「そこまで追い込んだのは、ハク。おまえだよ」

湯婆婆の言葉に、ハクは何も返さなかった。

「ハクが‥‥風を?」

思いもかけなかった湯婆婆の言葉が、千尋の胸をえぐる。



「あの娘は、何度もハクに助けを求めていた。自分を受け入れて欲しいと。それをハクは拒絶したんだよ‥‥千尋‥あんた以外は何も要らない、とね」


だから、心が壊れた。





――――パパも ママも だれも ワタシを アイシテ くれなかった


カオナシの一人が、言葉を紡ぐ。

無表情に立ちつくす風の代わりに




「―――だから、だから、あの切り抜きを見た時に‥‥破り捨てたの? お父さんもお母さんも、風を‥‥風花を愛してくれてないからって?」

そんなことあるはずないのに。

いなくなってしまった娘のために、日本中にテレビで語りかけたり、新聞に載せたりして必死になっている親が、娘を愛していないはずがないのに。



――――ハク アナタも そう

――――ワタシは ドコにも いけない

――――ドコにも イラレナイ



千尋はハクに視線を向けた。

辛そうに風を見つめていたハクが、千尋の視線に気がついてふっとこちらを向く。

「いくら風花が求めても‥‥私は千尋しか選べない。そのせいであの子が死ぬとしても‥‥自分の選んだことに後悔しない」

ハッキリと言いきるハクの服を千尋はぎゅっと握りしめた。



不謹慎だと思う

でも

―――――嬉しい




こんなに想われて、愛されて、私幸せだ。



千尋はにじんできた涙をぐしっと拭うと、ハクから手を離した。

「‥‥千尋?」

そのまま湯婆婆に向き直る。

「おばあちゃん!! 風を助けるにはどうすればいいの!? まだ方法はあるんでしょ!?」

千尋の言葉にハクは驚き、湯婆婆は「おやおや」と声をあげた。

「ない訳でもないねぇ」

「湯婆婆様!!」

その方法はハクも知っているらしく、焦った声を出している。

「ハクは黙りな」

ハクを一喝すると、湯婆婆はいつになく優しい声で千尋に話しかけた。

「あの子の心の中に入って、心の奥底で眠っているはずの自我を呼び戻すのさ」

「呼び戻す‥‥‥?」

不思議そうに訊ねる千尋に湯婆婆は頷いた。

「そう‥‥心が壊れたっていったって、核は奥の奥で守られてるはずだからねぇ。核を傷つけられないための防衛本能みたいなモンさ、これは」

喜色を浮かべた千尋に、ただし! と湯婆婆が釘をさす。

「当然危険は伴うけどねぇ。もしも迷ったり捕まったりしたら、入った者は帰れなくなる。それでも良いなら‥‥やってみるかい? 千や‥‥」

優しい物言いの湯婆婆に、ハクが総毛立つ。

「私が行きます! 千尋にそんな危険なことをさせられない!!」

ハクが叫ぶのを湯婆婆は一喝した。

「黙れ! もうおまえはあの子の心の中には入れないよ。絆を断ちきったのはおまえのほうなんだからねぇ」

「しかしっ‥‥」

「私、行きます」

千尋が一歩前に出て、湯婆婆にハッキリと頷いた。

「千尋‥‥!!」

「‥‥ねぇ、ハク」

千尋はハクに振り返った。

「あのね、風花はね、私とおんなじなの。ここに迷い込んでしまって、不安で、心細くて、自分の名も忘れてしまって。でも‥‥でも、たった一つ違ってたのはね‥‥‥」

千尋は微笑んだ。

「私には、ハクがいた。風花にはハクがいなかった。ただ、それだけなの」




――――――夢の中で泣いていた風花の姿が、きっと風花の本当の心。

だから、見つけられる。

私とあの子はおんなじだから。



「大丈夫。ハクが呼んでくれればちゃんと戻れるから」

まだ納得いかない、という顔をしているハクから湯婆婆に視線を移して、千尋は頷いた。

「いいです。やって下さい!」

「千尋‥‥!」



ハクが手をのばすよりも早く

千尋の体が崩れ落ちる


まるで糸の切れた操り人形のように倒れる千尋の体を、ハクは間一髪抱き留めた。



かたく目を閉じた千尋の体から、あの輝くような魂を感じない。

「千尋‥‥!!」

「さ‥‥あの娘がどこまでやれるか、お手並み拝見といこうじゃないか‥‥」

湯婆婆はカオナシに囲まれたままの風を見つめ、意地悪く微笑んだ。









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