翼はもうはばたかない
その12
結末への道というものは 奈落の底に堕ちるのと似ている |
満月の夜。 最も魔力の高まる夜。 魔力が弱まりつつあるハクも、月の魔力を借りて力を行使する事が出来る。 普通、トンネルを通っても湯屋のある世界には行く事が出来ない。 普通の人間とは波長が合わないからだ。 しかし、魔力の強い者ならば話は別。 うまく波長を合わせれば、あの世界にもう一度帰る事が出来る。 だからハクは満月の夜を選んだ。 コートに身を包んだ千尋が、トンネルの前に青ざめた顔で立っている。 「千尋‥‥」 ハクが手をさしのべる。 その手を千尋はとった。 トンネルの中を歩いていく。 昔、まだ背も今のハクの肩までもなかった時 この道を両親と3人で通った。 あの時は昼で、そして夏で、それでも薄暗くて何があるか分からなくて。 母親の腕にしがみついて歩いていったのを覚えている。 今、千尋はハクと二人で歩いている。 もう、このトンネルを通る事もない。 ふるふると体が震えるのを千尋はどうしても抑えられなかった。 「‥‥怖い?」 ハクの声に、千尋は首を横に振って――――おそらくハクに顔が見えていないであろう事に気がついて、「ううん」と声に出して否定した。 「大丈夫‥‥‥行こう」 やがて目の前が開けて、駅の待合室のような場所に出た。 ここも、昔通った場所。 ここを抜けると――――― ハクに促されるままに歩いていった千尋は、時計台を出たとたんに声をあげた。 「わぁ‥‥」 夏の間は確かに草原だったそこは、今は真っ白い雪景色に変わっていた。 足を踏み出すと、足跡がくっきりと残る。 「雪が降ってるんだ‥‥‥」 「今年は人間界も特に冷え込んだから‥‥こちらの世界にも影響しているんだ、きっと」 行こう、と言われて足を踏み出した千尋は、はっ‥と振り返った。 真っ白な雪に化粧された時計台が、千尋の視界に飛び込んでくる。 「‥‥千尋?」 ハクが同じように立ち止まり、時計台を見上げた。 ごぉぉぉぉっ‥‥ 「‥‥時計台が‥‥」 唸っている。 千尋を見下ろして、時計台が唸り声をあげている。 「‥‥‥‥」 千尋はよろっ‥と後ずさった。 「千尋‥どうしたんだ?」 今までの私を あの時計台は すべて知っている 私の苦しみも 私の想いも 私の迷いも すべて―――――― 千尋の手がす‥っとハクから離れる。 「‥千尋!?」 ハクがもう一度その手をとろうとした時には、千尋は既に身を翻していた。 「‥‥ご‥‥めん‥‥ハク‥‥」 溢れる涙を拭おうともせず、千尋はただただハクを見つめていた。 「ごめんね‥‥ごめん‥‥わたしっ‥私、やっぱり‥‥一緒に行けない‥‥」 「千尋‥‥‥!」 「‥‥さよなら」 そのまま身を翻して時計台の中へと駆け込んでいく。 ――――どうして!? 一瞬目の前の出来事が認識出来ず、呆然としていたハクだったが―――はっと我に返った。 「っ‥‥千尋っ!」 その後を追う為に駆け出そうとしたハクは、足下を切り裂く風に飛びずさった。 「‥‥‥‥!!」 上を見る。 「‥‥およし、ハク竜」 そこには、銭婆がいた。 「何故っ‥‥何故止めるのですっ!!」 怒りをあらわにして訴えるハクに、銭婆は首を横に振った。 「おまえの戻る場所は、あの世界にはない。もう千尋の元にも戻れないよ‥‥千尋自身がおまえとの絆を断ちきったんだから」 絆を断ちきった。 その言葉にハクはとっさとはいえ、反論出来なかった。 「‥‥‥‥っ‥」 「厳しい事を言うけど‥‥千尋は、お前よりもあの世界を、両親と共にいる事を望んだんだ。それを受け入れないといけない」 「‥‥‥認めない‥‥!」 頑として目の前の出来事を受け入れようとしないハクに、自然と銭婆の口調も厳しくなる。 「それが現実なんだよ‥‥‥千尋は人間だ。所詮はこの世界に来るべき存在じゃない」 「‥‥受け入れられない‥‥っ‥‥私は、私が生きてきた意味はあの子にしかない!!」 「いい加減におし!!」 銭婆に怒鳴られて、ハクは荒い息をつきつつ口をつぐんだ。 「‥‥もうあの子に甘えるのはおよし。それがどれだけ千尋を苦しめて来たか‥‥全然分かっちゃいないんだね」 「‥‥‥‥‥‥!」 その言葉にハクは何も言い返せなかった。 「さぁ‥‥おいで。油屋に戻るにしても、落ち着いてからの方がいいだろう?」 私の家で休んでおいき。 そう銭婆は付け足すと、背を向けて歩き出した。 ハクは銭婆の後ろ姿から時計台の方に視線を移した。 「―――――――‥‥‥‥」 もう千尋の姿は見えなかった。 |